第21話 湖底の村(前編)
お読みいただきありがとうございます。
新しいお話です。少し大きな依頼になります。
王都の空は、その秋も平和だった。
平和でないのは、山一つ向こうの話である。
東の山を越えた先に、クレールという水の町がある。ミラーレイクという大きな湖のほとりの、水の綺麗さと湖の魚で知られた町だ。
そのミラーレイクの水位が、夏の終わりから、下がり続けているという。雨が少ないにしても、下がり方が尋常ではない。今や水は元の一割。岸は何百歩も後ろに退がり、漁の舟は泥の上に置き去りで、湖を水源にしていたクレールの町は、井戸まで細り始めて水不足の瀬戸際にあるらしい。
「クレールの湖魚の塩焼き、食えなくなるかもなあ……」
昼の食堂で、瓦版を睨んでいたカイルの心配は、主にそこだった。
「王都にも樽で届くんだよ、あの魚。うまいんだよ。……あ、でもこれ見ろよ、すげえぞ。干上がった湖の底から、村が出てきたんだと」
「村?」
「石造りの家が、何十軒も。石畳の道まであるんだと。千年前に沈んだ村じゃないかって、学者の先生たちが大騒ぎだ」
瓦版の挿絵には、泥の平原に立ち並ぶ石の家々が、荒っぽい筆で描かれていた。
湖の底に、千年、村が眠っていた。
なんとも、落ち着かない話である。水の下で眠っていたものは、水の下で眠っていたなりの理由が、あるものだからだ。
その晩、灰色の封筒が届いた。
『ミラーレイクの遺跡の件。今夜、事務所』
◇
「依頼筋は、うちの上――ヴェイル財団だ」
夜の事務所で、彫りの深い顔の帳の主が言った。
「水位の異変が出た時点から、財団は動いてる。遺跡が顔を出したのは十日前、財団の調査団はその翌日には現地入りだ。学者、魔道具班、警備。学術的な観点での値打ちは計り知れんし、値打ち物が野ざらしってことは、盗掘屋が湧くってことだからな。……で、今になってお前を呼んだのには、理由が二つある」
「俺の仕事は」
「一つは、獣手だ」
「じゅうて」
「人手の獣版だよ。崩れかけの石の家から物を出すにも、倒れた梁をどかすにも、人の腕じゃ足りん。かといって大型を扱える者は調査団にいねえ。……現地の山から、力自慢を一頭、借りてこい」
雇う、ではなく、借りてこい、と言うあたりが、この人である。
「もう一つは」
「湖に残ってる水だ」
グラントは、地図を指で叩いた。ミラーレイクの中央、一割になった水が残る一帯である。
「水が引いて、遺跡が出た。ここまでは分かる。だがな、地元の年寄り連中が妙なことを言ってる。『湖の真ん中の島が、近ごろ、場所を変える』とよ」
「……島が、動く」
「年寄りの見間違いなら、それでいい。だが、万一あの湖に『何か』が残ってるなら、それが何かを、こっちの目でも知っておきたい。……見てこい」
それから、帳の主は声を半段落とした。
「もう一つ、嫌な報せがある。財団の情報網に、引っかかったものがあってな。……身元の知れない一団が、荷馬車に機材を積んで、ミラーレイク方面へ向かった形跡がある。遺跡が瓦版に載る、前の話だ」
「……瓦版より、先に」
「そういうことだ。ただの盗掘屋なら、まだいい。盗掘屋じゃなかったら――まあ、気をつけろ」
◇
翌朝の学園で、リオは廊下の角で、膝に衝撃を受けた。
「わっ、ごめん! ドド、停止、停止!」
見下ろすと、犬ほどの大きさの、ずんぐりした石の人形が、リオの足に頭からぶつかって、じたばたと腕を回していた。
その後ろから、つなぎの作業服の少女が駆けてきた。オレンジがかった赤毛の短い髪をゴーグルで押さえ、鼻の頭にそばかす、指のあちこちに絆創膏。腰の工具ベルトが、走るたびにじゃらじゃら鳴る。
「ごめんね! 直進の術式を調整してたら、曲がるのを忘れる子になっちゃって!」
少女は石人形を抱え上げ、裏返して背中の蓋を開け、細い工具でどこかを突いた。石人形の腕が、ぴたりと止まる。
「よし。……あ、足、大丈夫だった? うちのドド、石だから地味に痛いんだよね」
「大丈夫。……それ、ゴーレム?」
「そ! 自作! いいでしょ」
少女は、聞かれてもいないのに胸を張った。
隣の組の、魔導具工学科の生徒だ。名前までは知らないが、廊下でよく何かを分解している姿は見たことがある。
「じゃ、急ぐから! ドド、帰還!」
少女は石人形を抱えたまま走り去った。ゴーレムを抱えて走るなら、帰還の術式の意味とは何なのか。
眠い頭の隅で、そんなことを思った。
その日の午後、リオは学園を早引けして、東の山向こうの、ミラーレイクへ向かった。
◇
ミラーレイクは、ひどい有様だった。
本来の岸辺には桟橋が干からびて突っ立ち、その先には、ひび割れた泥の平原がどこまでも続いている。置き去りの舟が、泥の上で斜めに傾いでいた。
そして平原の先、かつての湖の中心部に。
石の村が、あった。
泥をかぶった石積みの家々。まっすぐに通った石畳。崩れた水路の跡。千年、水の下にあったとは思えないほど、村の形は残っていた。
水が、守っていたのだ。波にも風にも日にも触れず、冷たい水の底で、静かに。
村の一角には、財団の調査団の天幕が並び始めていた。学者たちが石畳に張り付き、測量の声が飛び交っている。
興奮した学者の一人が、聞いてもいないのに教えてくれた。
「このあたりにはね、古い伝承があるんだよ。『水を治める民の村が、一夜にして湖に消えた』という。……ずっとただの御伽噺だと思われてた。それが、これだ! 伝承の通りの村が、出てきたんだ!」
「水を、治める民」
「治水の民、と呼ばれてる。千年前、水路と堰でこの一帯の水を自在に治めた技術の民だ。ほら、あの水路の石組みを見たまえ、現代の職人でも唸る仕事だよ。……それでね、一番の謎が、あれだ」
学者が指したのは、村の中央だった。
ひときわ大きな石造りの建物が、半ば泥に埋もれて建っている。他の家々と違い、壁一面に細かい彫りが施され、入口は大扉で固く閉ざされていた。
「祭殿だと思われる。治水の民の、信仰の中心だ。……扉が、開かんのだよ。千年経っても、びくともせん」
開かない扉、という言葉に、錠前と時計の工房の顔が浮かんだが、リオは黙っておいた。
今回、リオは覆面をかぶって来ていた。調査団は学園の教授や学生も交ざる大所帯だと聞いたからだ。どこで誰と顔を合わせるか分からない現場では、念のためが一番安い。
そして、その念のためは、初日から役に立った。
調査団の中に見覚えのある赤毛を見つけて、リオは覆面の下で少しだけ息を止めた。
今朝の、ゴーレムの少女である。
つなぎの作業服のまま、魔道具班の天幕の前で、大人の職人たちに交じって、機材の調整をしていた。足元では石のドドが、小さなスコップ腕で泥を掘っている。
「ああ、彼女? 学園の魔導工学科から推薦の子だよ」
調査団の事務方が、教えてくれた。
「テッサ・ロックウェルさん。学生だけど、魔力の流れが見える目を持っててね。機材の不調を、触らずに言い当てる。教授連中が、ぜひにと連れてきたんだ」
魔力の流れが、見える。
それは、大した目である。
向こうはこちらを、覆面の変な作業員としか思っていないだろう。学園の顔と窓口の顔が同じ現場に立つのは、夜会以来だ。……気をつけよう、と思った。
◇
獣手の調達は、その日の夕方に済んだ。
ミラーレイクの北の岩山には、マウンテンエイプの群れが棲んでいる。岩を割って虫を採り、岩を積んで寝床を作る、力自慢の一族である。
リオは群れの長に触れ糸で挨拶をし、事情を渡した。
――人手が足りません。力自慢を一頭、貸してもらえませんか。日当は、木の実一俵。
長は群れの若いのを見回し、一番大きいのを鼻で指した。
額に古い傷のある、岩のような若者だった。名を持たないので、リオは額の傷から「ザン」と呼ぶことにした。
ザンは日当の木の実俵を一目見て、太い腕で自分の胸を、どん、と叩いた。交渉成立である。
一時の契約を結んで分かったのは、ザンが実に付き合いやすい性分だということだった。頭の中にあるのは、力仕事の段取りと、木の実のことと、あとは昼寝のことくらい。裏も表もなく、頼めば胸を叩き、済めば木の実を齧る。……こういう心の若者は、獣でも人でも、現場で一番信用できる。
◇
翌日から、発掘の現場が動き出した。
そして、現場の名物が二つ、生まれた。
一つは、崩れた石の梁を軽々と持ち上げる、岩のような大猿である。ザンは学者の指差す先の石をどかし、荷車に積み、日当の木の実を昼にぼりぼり齧った。学者たちは最初こそ腰を引いていたが、三日目には「ザンくん、次はこっち」と普通に呼ぶようになった。
もう一つが、石の犬を連れた赤毛の学生だった。
ドドは犬ほどの大きさのくせに、大人二人がかりの石を平気で押して運ぶ。小さくて、力持ち。狭い床下や水路の跡に潜り込んでは泥を掻き出し、石を押し出してくる姿に、学者たちは「ドドくん」と名前で呼んで菓子を供えるようになった(石なので食べない)。
テッサはその相棒を采配しつつ、機材の面倒を一手に見ていた。その見方が、また変わっている。
「三番の測量具、水晶の左の二本目の線が細ってる。そこだけ流れが痩せてるもん。予備線に繋ぎ替えて」
触りもせず、離れたところからそう言い当て、職人が蓋を開けると、本当にその通りなのである。魔道具班の大人たちは、三日目にはもう、故障のたびに「テッサくん、どこだ」と聞くようになっていた。
そしてテッサ自身は、機材の合間に遺跡のあちこちへ目を走らせては、何かを帳面に書き付けていた。
その二つの名物が、正面から出会うのに、時間はかからなかった。
「――ちょっと! そこの覆面の人!」
三日目の昼、テッサが、ずんずんとこちらへ歩いてきた。目が、爛々と輝いていた。
「その大型、どうやって動かしてるの!? 声も出してない、手綱もない、なのに指示が通ってる! テイム? 契約何年もの!? どういう仕組み!?」
「……最近です」
「最近!? 嘘でしょ、大型だよ!?」
テッサは覆面の作業員の周りをぐるぐる回り、それからザンを見上げ、また戻ってきた。
「ね、その糸ってやつ、どういう機構? 魔力線? どこから出てるの? 見せて! いや見えないんだけど私の目でも見えないんだけど、それが余計に気になる!」
「機構って言われても」
糸は、機構ではない。ないのだが、この目の輝きに、それで通じる気もしなかった。
幸い、救いの声が飛んだ。
「テッサくーん! 三番の測量具、また調子が悪い!」
「はーい! ……この話、続きあるからね! 覚えといてね!」
赤毛の嵐は、機材の方へ走り去った。
嵐のような子である。
その嵐が、夕方、妙に静かな顔で戻ってきた。
「……ねえ、覆面の人。ひとつ、変なこと聞いていい?」
声が、昼間より低かった。
「この遺跡が水から出たのって、半月前だよね。調査団が入ったのは十日前。……なんだけどさ。北の水路の跡に、足場の組み杭が残ってるの。あの杭の打ち方、うちの班のじゃない。それに杭の木口がね、まだ新しいの。半月は経ってない、けど、十日より前って感じの」
「……つまり」
「調査団より先に、誰かこの遺跡に入ってる。……ってこと、ない?」
魔力の流れが見える目は、木の乾き方まで見るらしい。
リオは、その話を胸の帳面に書き付けて、警備の詰所に「念のため」とだけ伝えておいた。
その晩、リオは残った水を見に、村はずれの岸まで歩いた。
一割になった水は、それでもまだ広く、夕闇の中で油のように静かだった。その中央に、こんもりと黒い島の影がある。
水際に立って、まず気づいたのは、静けさだった。
魚の跳ねる音が、一つもしない。虫の羽音も、水鳥の声もない。一割になったとはいえ、これだけの水が残っていれば、夜の水辺は音で満ちるはずである。
それが、ない。
小さな生き物たちが、息を潜める水。……大物が、いる水の静けさだった。
リオは目を凝らし――そして、糸を撚る手を、止めた。
息を、呑んだ。
島の影が。
ゆっくりと、水面を、滑っていた。




