第20話 竜は舞う(後編)
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第20話の後編です。
証明の朝は、よく晴れた。
観客のいない大競技場に、支配人と事務方、興行ギルドの立会人が並んだ。全員が、疑いの顔をしていた。
リオは濃紺のフードを被り、竜舎の大扉の前で、ゼノの背に上がった。
鞍は、マキアス翁のものを借りた。長く使い込まれた革は、体を置くべき場所を、革の方から教えてくれた。
竜の背に乗るのは、実は初めてではない。
子供の頃、グラントの「修行」で、何度か乗せられているのだ。財団の伝手の飛竜に、落ちない座り方から、風の読み方、竜の機嫌の測り方まで、みっちりと。当時は、何のための稽古かも分からないままやらされていた。
……今にして思えば、あの帳場の主は、子供のリオに、いったい何の備えをさせていたのだろう。
――行けますか。
――誰に聞いている。
契約の線の向こうで、長が短く応じた。
ゼノが、一声、高く鳴いた。
竜舎の扉が開き、十一頭が、背に誰も乗せず、整然と歩み出てくる。飛竜が翼を畳んで二列、地竜が最後尾。稽古で千回歩いた並びを、竜たちは一歩も違えなかった。
ゼノが翼を広げ、朝の空へ上がる。十一頭が続いた。
競技場の上空をひと回り、編隊は乱れなく旋回し、一糸違わず着地して、支配人の前に整列した。
短い、一節の証明だった。
支配人は、口を開けたまま、しばらく動かなかった。
「……け、契約は、一頭だけの、はず……」
「一頭です」
フードの下から、リオは言った。
「本番、やらせてください」
「や……」
支配人は、書付を握りしめたまま、絞り出すように言った。
「やってくれ……! 頼む!」
◇
本番の昼、大競技場は満員だった。
三万の観客。屋台の匂い。紋章旗の海。
運営席の一角には、白髭の老人がいた。マキアス翁である。
医者は全力で止めたそうだが、翁は「座長が寝込んだままで、誰が興行の責任を取る。うちの子らの晴れ舞台を、この目で見届けんでどうする」と啖呵を切り、青い顔のまま、自力で歩いて来たのだという。
正面の観客席、前から二列目には、見知った顔が二つ。カイルは開演前から身を乗り出し、セナは膝のフワを撫でながら、演目表を読み込んでいる。
ファンファーレが、鳴った。
「――皆様、大変長らくお待たせいたしました! 建国祭の華、アルバ竜技団の飛竜ショーでございます! なお本年は、特別な新演出により、テイマーたちはその姿を隠しての進行となります! どうぞ、竜たちの舞そのものを、御堪能ください!」
支配人の、苦心の口上である。嘘は言っていない。姿を隠している理由が、寝込んでいるからなだけで。
大扉が、開いた。
先頭は、ゼノ。その背に、濃紺のフードの騎手が一人。
続いて十一頭が、誰も乗せずに、翼を鳴らして入場する。
観客席が、どよめいた。
「おい、乗ってるの、先頭の一人だけだぞ?」
「他のテイマーはどうした」
「新演出って言ってたろ。……ってことは、あれか? 合図なしで飛ぶのか?」
「無理だろ、竜だぞ?」
ざわめきの真ん中で、ゼノが翼を打った。
十二頭が、一斉に空へ上がった。
どよめきが、歓声に変わるまで、三秒とかからなかった。
◇
空の上は、静かだった。
眼下に競技場の楕円、歓声は風の底から届く。ゼノの背は巌のように揺るがず、契約の線の向こうから、長の声が短く来る。
乗ってみて、分かったことがある。
これは、操縦ではない。背中の重心の移し方ひとつで、こちらの「次」がゼノに伝わり、ゼノの翼の一打ちの間で、あちらの「今」がこちらに伝わる。合図というより、会話に近い。
舞わせる糸ではなく、舞う糸。
あの晩の長の問いの意味を、リオは空の上で、体で理解した。
――次は。
――火の輪。
――承知。
ゼノが鳴き、隊列が割れる。
十一頭は、それぞれの演目を、それぞれの体で覚えていた。急降下の三頭は迷いなく落ち、宙返りの組は同じ高さで回り、地竜の二頭は地上で丸太を積み上げる力技を、寸分の狂いなく決めていく。
リオがやることは、少なかった。
ゼノと二人で先頭の形を示し、演目の切れ目で合図を出し、そして時々、触れ糸を一瞬ずつ飛ばして、短い温度を配って回る。
――いいよ。
――上手。
――あなたの相棒が見たら、泣くと思う。
命令ではない。ただの、観客の声である。
一度だけ、危ない間があった。
火の輪の前で、一番若い飛竜が、一拍、ためらったのだ。輪の手前で高度が揺れる。いつもそこで背中から声をかけてくれる、相棒の声がない。
ゼノが、鋭く一声鳴いた。
リオは触れ糸を、一瞬だけ。
――大丈夫。それ、あなたと相棒が一年かけたやつでしょ。……見せてあげて。
若い飛竜は、高度を戻し――誰の合図も待たず、自分の翼で、火の輪の真ん中を射抜いた。
場内が、爆発した。
若いのは輪の向こうで高く一声鳴き、それは誰が聞いても、誇らしげな声だった。
前から二列目では、カイルが立ち上がって喉が壊れるほど叫び、セナは両手を握りしめ、その膝の上でフワだけが――なぜか空のフードの騎手に向かって、ぴょこ、ぴょこ、と羽を弾ませていた。
◇
フィナーレは、王家の紋章である。
十二頭が夕陽を背に高く昇り、翼の位置を互いに測り合い、空の上に、狐と剣の紋章を描いて静止した。
三万人が、総立ちになった。
その、鳴りやまない大歓声の中で――
予定にないことが、起きた。
紋章の隊列を解いた十二頭が、着地せず、揃って旋回したのである。
そして競技場の裏手、宿舎の方角へ隊列ごと向き直ると――十二頭が十二頭、声を限りに、長く、長く、鳴いた。
空を震わせる、十二重の咆哮だった。
観客は「感動の締めの演出」だと思って、さらに沸いた。
だが、リオは知っている。あれは演出ではない。
宿舎の二階の窓が、次々に開いた。青い顔のテイマーたちが、窓枠にすがりつくようにして身を乗り出し、空に向かって、ちぎれるほど手を振っていた。泣いているのが、空の上からでも分かった。
――聞こえたか、相棒。
――俺たちの一年は、ちゃんと飛んだぞ。
竜たちの鳴き声は、そういう挨拶だった。
運営席では、白髭の老人が顔を覆い――そして、そのまま、力尽きるように崩れた。係の者たちに抱えられ、医務室へと運ばれていく。見届ける、という無理が、そこで限界に来たのである。
操られた竜は、あんな声では鳴かない。
あの咆哮の意味を正しく分かっているのは、この三万人の中で、宿舎の窓の十二人と、担架の上の親方と、それから空の上の代役だけだった。
◇
終演後の竜舎裏は、ちょっとした騒ぎだった。
「い、一体、何者なんだ、あんたは……」
支配人は、もはや敬語になりかけていた。興行ギルドの立会人は「ああいう芸当のできる竜使いは、大陸のどこにもいない」と繰り返し、事務方は泣きながら竜たちに飼葉を配って回っている。
リオはフードのまま、礼を一つして、答えなかった。
答える代わりに、騒ぎを抜けて、競技場の医務室を訪ねた。
寝台の上で、白髭の老人が半身を起こしていた。
「……親方。お加減は」
「最悪だ。腹は下るわ、涙は止まらんわ、挙句に倒れて運ばれるわだ」
マキアス翁は、赤い目で笑った。
「……信じられねえ。長いことこの商売をやってきたが、今日ほど、とんでもねえもんを見た日はねえ」
それから翁は、声を落として、核心を聞いた。
「なあ、若いの。……あんた、うちの子らに、何をした」
「ゼノと、契約しただけです」
リオは、正直に答えた。
「他の子たちには、何も。……あの子たちは、全部、自分で飛びました。飛ばせたのは、俺じゃありません。あなたたちの、一年の稽古です」
翁は、しばらく黙った。
それから、しわだらけの手で目元を拭って、深く息を吐いた。
「……そうか。うちの子ら、自分で飛んだか」
その言い方は、この老テイマーにとっての、最高の誉め言葉の形をしていた。
「若いの。礼と――それと、詫びだ。俺はあんたの腕を、寝床で少し、値踏みした。この目で見るまで、信じちゃいなかった」
「当然だと思います」
「うちの団に、来ねえか」
「バイトがあるので」
「……はっ!」
翁は、腹の傷に障る勢いで笑った。
「そうかい。なら、そのバイトだけは、辞めるんじゃねえぞ」
◇
三日後、回復したテイマーたちが竜舎に戻り、十二本の契約が、元の持ち主の手に結び直された。
再会の竜舎は、朝から鳴き声と笑い声で大変なことになっていたそうである。
リオは最後に、ゼノの房へ行った。
三日間借りた太い線を、静かに、ほどく。
名残の温度が、ゆっくりと薄れていく、その間際。
線の向こうから、長の声がした。
――良い舞いだった、若いの。
――儂の背は、覚えたな。……いつでも乗せてやる、とは言わん。だが、いつか空で困ることがあったら、思い出せ。
糸がほどけ、大竜は、ふん、といつもの鼻息に戻った。
房の外では、マキアス翁が待っていた。翁とゼノは、三十年ものの気安さで額を合わせ、翁が何か言い、ゼノが尾で軽く小突いた。
ああいう五十年に、この三日を混ぜてもらったのだ。
悪くない、バイトだった。
◇
数日後の学園である。
「――でな! 最後の最後、十二頭が全員で、裏の方に向かって吠えるんだよ! あれ、何だったんだろうなあ! 意味は分かんねえのに、なんか泣けてさ!」
カイルの熱弁は、三日目に入っていた。
「行けなかったの、本当に残念だったわね、リオ」
「うん。……で、どうだった」
「どうもこうもあるか! だからな、まず入場からして――」
「私はね、数えたのよ」
カイルの実況に、セナが割り込んだ。
「十二頭の隊列の間隔。旋回のたびに数えたけど、最初から最後まで、一度も乱れなかったわ。テイマーが十二人いた去年より、揃ってた。……あれ、どういうことなのかしら」
数える人の感動は、数字の形をしていた。
四回目の実況が始まる。リオは弁当をつつきながら、初めて聞く顔で、それを聞いた。
膝の上では、セナの腕から遠征してきたフワが、リオの襟元を、つん、つん、とつついている。
……知ってるぞ、という顔であった。
瓦版は「竜技団、伝説の新演出」と書き立て、業界の裏では「覆面の竜使い」の噂が、静かに流れ始めたという。
窓口の帳簿の品目欄には、グラントの几帳面な字で、こうある。
『竜の舞の代行 一件』
品目欄だけで笑える請求書は、就寝中の熊以来、これで二枚目である。
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