第20話 竜は舞う(前編)
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お祭りのお話、前編です。
建国祭が、近づいていた。
王都の大通りには紋章旗が連なり、広場には屋台の骨組みが立ち、リオはといえば、祭りの喧騒で眠れなくなった気難し屋の梟三家族を、静かな鐘楼へ疎開させる依頼を終えたところだった。品目欄には「梟の避難(気難しい)」とある。
建国祭の目玉は、毎年決まっている。
王都の大競技場で行われる、竜技団の飛竜ショーだ。
「……取れなかった」
カイルが、机に突っ伏していた。
「竜技団の席札、今年は完売だった……。ガキの頃から毎年観てるのに。十二頭の竜が、それぞれ相棒のテイマーを背に乗せて、編隊で頭の上を飛ぶんだぞ。手綱もなしで、乗り手の合図ひとつでだぞ。火の輪くぐりもあるんだぞ。去年なんか、最後に全頭で王家の紋章の形に並んだんだぞ……」
「その嘆き、先週から三回目よ」
セナも口ではそう言うが、実は彼女も出遅れた口である。膝の上のフワを撫でる手つきが、心なしか湿っぽい。
竜と言っても、御伽噺に出てくる古竜のことではない。あちらは百年単位の伝説である。飛竜と地竜は、軍や興行の世界では現役の隣人だ。ただしどちらも立派な大型で、それが群れともなれば、扱える一座は大陸でも数えるほどしかない。
その数えるほどの筆頭が、「アルバ竜技団」である。座長のマキアス翁は五十年選手の老テイマーで、団のテイマーは十二人。一人が一頭と組む、堅実な一人一頭制で知られている。
祭りの三日前までは、何もかもが順調だった。
その夜、灰色の封筒が届いた。
『竜技団の件。大至急、事務所』
大至急、の四文字は、初めて見た。
◇
「食中毒だ」
夜の事務所で、グラントは前置きなしに言った。
「昨夜の前夜祭の差し入れに、あたった貝汁が混ざってた。竜技団のテイマー、十二人が十二人、今朝から全滅だ。命に別状はねえ。ねえが、全員、三日は寝床から動けん」
「ショーは、明後日ですよね」
「そうだ。で、中止の相談が、後援の財団経由でうちに来た。……来たんだが」
グラントは、依頼書を机に置いた。
「財団の言い分はこうだ。建国祭の目玉が飛ばなきゃ、王都中の子供が泣く。代役を立てられるものなら立てたい。──代役を、な」
「代役って……竜のショーの、ですか」
無茶である。
他所のテイマーが竜を借りて飛ばす、という話ではない。竜は道具ではない。それぞれが相棒と契約で結ばれ、相棒の合図で舞う。テイマーが倒れれば、その竜は飛ばない。それだけの話だ。
「無茶は百も承知だ。だから『できるかどうか、見に行くだけ』の依頼にしてある。竜舎を見て、無理なら無理と言え。誰もお前を責めん。……ただな」
帳の主は、少しだけ声を落とした。
「マキアスの爺さんが、寝床から一筆よこした。読んでみろ」
差し出された紙には、震える字で、短くこうあった。
『竜どもは、この日のために一年稽古した。あいつらに、舞わせてやってくれ』
テイマーの無念ではなく、竜の無念を書く親方だった。
「……竜舎、見てきます」
◇
翌朝の竜舎は、静かだった。
競技場の裏手に建つ、大きな石造りの竜舎である。十二の広い房に、飛竜が十頭と、地竜が二頭。どの竜も、体高が馬を軽く超える大型だ。
そして、どの竜も、元気がなかった。
餌は残され、翼は畳まれたまま。房の奥にうずくまり、時折、入口の方に首を伸ばしては、また戻す。
待っているのだ。毎朝来るはずの、自分の相棒を。
「……分かるんだな、やっぱり」
案内してくれた竜技団の事務方が、悔しそうな顔でうつむいた。
「あの人たちが倒れた朝から、この調子で。飯も稽古も、上の空でさあ」
リオは房を一つずつ回り、格子越しに、触れ糸で挨拶をして回った。
一頭ずつ、一瞬ずつ。
流れ込んでくる温度は、どの房でも同じだった。心配。相棒はどうした。具合が悪いと聞いた。会いたい。それから――明後日は、どうなる。
最後の一つが、リオの足を止めさせた。
竜たちは、知っているのだ。明後日が本番だということを。一年、そのために稽古してきたことを。
そして竜舎の一番奥、ひときわ大きな房の前で、リオは立ち止まった。
そこにいたのは、群れで最年長の飛竜だった。
鱗は使い込んだ鎧の色で、翼の縁には古い傷がいくつも走る。左の角が半ばで折れているのは、若い頃の武勇伝だろう。事務方が言うには、名をゼノ。座長マキアスの相棒を五十年務め、群れの長を三十年務める、この団の主柱である。
ゼノは、房の奥に伏せたまま、値踏みする目でこちらを見ていた。
挨拶の糸を触れさせると、返ってきたのは、他の竜より数段落ち着いた、けれど同じ温度だった。
――相棒が、倒れた。群れの若いのが、皆、気を揉んでいる。
――で。お前は、何をしに来た。
単刀直入な長である。
リオは、格子の前にしゃがんで、一番短い本当のことを、糸に載せた。
――明後日、あなたたちに舞ってもらう方法を、探しに来ました。
◇
昼、竜技団の宿舎の病室で、対策の相談が開かれた。
寝台が並び、十二人のテイマーが青い顔で唸っている。一番奥の寝台では、白髭の老人が半身を起こしていた。座長のマキアス翁である。枕元には竜技団の事務方と、財団の名代として同席したグラント。そして、競技場の支配人だという恰幅の良い男が、腕を組んで壁際に立っていた。
「……あんたが、窓口の」
「はい。竜舎を、見てきました」
リオは、見立てだけを話した。
竜たちは演目を体で覚えている。一年の稽古は、竜たちの中に生きている。舞える。舞う方法も、ある。
「――冗談じゃない!」
声を荒らげたのは、支配人だった。
「方法がある、だと? そもそもこんな子供が、大型の竜と一日で契約できるものか! 竜のテイムというのは、年単位の信頼で結ぶものだと聞いているぞ!」
「契約は、今夜します。明日の朝、ご覧に入れます」
「……は?」
「明日の朝、駄目だったら、中止にしてください。それでも間に合います」
即答に、支配人は一瞬詰まり、それから別の矛先を出した。
「で、できたとして、だ! 一日で結べる契約など、どうせ一頭が関の山だろう! うちのショーは十二頭だぞ! 一頭だけで、何ができる!」
「一頭で、十分です」
リオは、静かに言った。
「――すべての竜に、言うことを聞いてもらいます」
「な……」
支配人の口が、開いたまま止まった。
「い、意味が分からん! 一頭の契約で、どうして十二頭が……わ、わけの分からんことを! 万一の時は、誰が責任を取るんだ!」
これには、リオではなく、隣の男が答えた。
「ヴェイル財団が、全責任を取ります」
グラントは、懐から一枚の書付を出して、支配人に渡した。財団の印の入った、正式の引受状だった。
「人も、竜も、競技場も。何かあった時は、全部うちが引き受けます。……こいつの腕は、財団が保証します」
支配人は書付とグラントの顔を何度も見比べ、唸り、それでも食い下がった。
「せ、せめて、どうやるのかを説明しろ! 十二頭を、どう動かすつもりだ!」
「明日の朝、ご覧に入れます」
リオは、同じ答えを繰り返した。方法は、言葉で説明するより見せた方が早い。それに――言葉で聞かされたところで、この人はたぶん、余計に混乱するだけである。
沈黙を破ったのは、寝台のしわがれ声だった。
「――支配人さんよ。俺からも、頼む」
マキアス翁が、白髭の頭を下げていた。
「この若いのはな、竜舎に着いて最初に、房を一つずつ回って、うちの子ら全員に挨拶をして回ったそうだ。……竜を道具と思ってる奴は、そういう順番で動かねえ。方法は知らん。知らんが、俺はこの若いのに、うちの子らを預ける」
そして翁は、青い顔の団員たちを見回した。
「一時解除だ。三日だけ、うちの子らを自由にする。……契約が繋がったままじゃ、この子らは寝床の相棒の顔色ばかり読む。長の合図より、相棒の具合を優先しちまう。それじゃ、舞にならねえ。……できるか、お前ら」
返事は、十一の呻き声だった。ただしそれは、全部が「はい」の形をした呻き声だった。
会議が散会し、宿舎の廊下に出たところで、リオはふと足を止めた。
「グラントさん。そういえば……報酬の前借りって、できますか」
「あ? いくらだ」
「金じゃなくて。……ショーの席札、二枚って貰えませんか」
グラントは一拍こちらを見て、それから、ふ、と鼻で笑った。
「後援は財団だ。それくらい、すぐ用意させる。……誰の分だ」
「友達の」
「……そうかい」
帳の主は、それ以上何も聞かなかった。翌日には、金縁の席札が二枚、届いていた。前から二列目である。仕事が早い上に、席が良かった。
◇
契約の解除は、その日の夕方、竜舎で行われた。
青い顔のテイマーたちが、事務方に支えられながら一人ずつ竜舎に入り、自分の相棒の房の前に立つ。
そして、それぞれのやり方で、三日の別れを告げた。
額を格子に付ける者。短く口笛を吹く者。ただ黙って頷き合う者。
契約の糸が、一本ずつ、静かにほどかれていく。リオはそれを、竜舎の入口から見ていた。どの糸も、ほどける時、少しも荒れなかった。良い契約を重ねてきた証拠である。
「――頼んだぜ、代役さんよ」
最後の一人が、リオの肩を叩いて、寝床に戻っていった。
竜舎に、十二頭の、契約のない竜が残された。
リオは、一番奥の房へ歩いた。
ゼノは、伏せていなかった。房の中央に立ち、折れた角の頭をこちらへ向けて、待っていた。
――話は、群れで聞いた。
触れ糸の向こうの声は、静かだった。
――お前と結ぶ前に、一つだけ、確かめる。
――お前のその糸は、儂らに「舞わせる」糸か。それとも、儂らと「舞う」糸か。
試すような、長の問いだった。
リオは、房の格子を開けてもらい、大竜の正面に、丸腰で立った。
答えは、言葉にしなかった。
代わりに、太い線を一本、撚り上げて――その端を、差し出すように、ゼノの心の前に置いた。結ばずに、である。
受けるかどうかは、そちらが決めてくれ。
一体契約のテイマーの、契約の作法だった。
古傷だらけの大竜は、その線を長いこと検分し――
ふん、と鼻から息を吐いて、自分から、線を咥え込んだ。
どん、と胸の奥で、契約の重さが結ばれる。
重かった。スナとも、ラーゴとも違う。五十年を一人の相棒と生き、三十年、群れを率いてきた長の心は、山の湖のように深く、静かで、広かった。
結ばれた一瞬、湖の底から、古い記憶の断片がひとつ、泡のように上がってきた。
若い男が、傷だらけの若い飛竜に、不器用に干し肉を差し出している。──遠い遠い、五十年前のマキアス翁と、ゼノの、最初の日の記憶だった。
見せるつもりのない記憶が零れたのか、見せてくれたのかは、分からない。ただ、この契約が三日限りの間借りであることを、この胸の重さは、忘れさせてくれそうになかった。
長の心の底には、明後日への武者震いが、確かに沈んでいた。
――よかろう、若いの。
――群れの誇りに懸けて、建国祭の空は、儂らが持つ。
◇
その晩、リオは長と連れ立って、十一の房を回った。
一つずつ房の前に立ち、隣にゼノがいる状態で、触れ糸を一瞬ずつ。
――明後日、長と俺が先頭を飛びます。命令はしません。付いてくるかどうかは、あなたが決めてください。
返事は、十一通りだった。
聞き終わる前に翼を広げた若いの。相棒の房着を一度見てから、深く頷いた律儀なの。地竜の一頭は、返事の代わりに、稽古の足踏みをその場で一節、踏んでみせた。
十一通りの温度の、全部が――飛ぶ、だった。
長が隣で、ふん、と満足そうに鼻を鳴らした。
――言ったであろう。儂の群れだ、と。
◇
仕上げは、衣装だった。
「舞台に立つなら、衣装からよ」
夜の楽屋に、葡萄色の髪を結い上げたシェラが、大きな衣装箱を抱えて現れた。歌劇団の座長は、こういう相談を一番喜ぶ人である。
箱から出てきたのは、濃紺のフード付き外套だった。裾に銀の刺繍。中には例の、声を変える覆面。
「大観衆の前でしょ。顔と声は、完全に隠すわよ。……はい、着てみて。ふふ、いいじゃない。謎の竜使い、って見た目だわ」
「観客席に、うちのクラスの席があるんですけど」
カイルとセナは、当日、観客席にいる。それも、たぶん前の方の席に。
「あら、最高の客席ね」
シェラは、扇子の陰で楽しそうに笑った。
「明後日のあなたの仕事はひとつ。誰にも見られずに、王都で一番の舞台を回すことよ」
無茶を言う人であった。
◇
翌日の昼、学園の食堂で、カイルはまだ突っ伏していた。
「席札……せめて立ち見でも……」
「まだ言ってるの」
セナの声にも、張りがない。
リオは弁当の包みから、二枚の札を出して、机に置いた。
金の縁取りの入った、竜技団の席札である。それも、前から二列目の。
「……は?」
「バイト先で貰った。二枚。……俺は当日もバイトだから、行けない。二人で行ってきなよ」
二人は札とリオの顔を交互に見て、それから声を揃えた。
「「どんなバイトだよ(なのよ)!?」」
「配達とか、いろいろ」
嘘は、言っていない。当日、バイトなのも本当である。
行けない、は――まあ、半分だけ本当だった。
【後書き】
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