第15話 遭難日和(前編)
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夜会編の後の、学園日常回です。
秋も深まった頃、一年の学年行事として、野営実習が組まれた。
北の山裾の実習林で、二泊三日。班ごとに天幕を張り、飯を炊き、決められた範囲で薬草と鉱石見本を採集して、点数を競う。要するに、成績のつく林間学校である。
「野営っ! つまり外で飯っ!」
カイルは告知を見た瞬間から、この調子だった。
「飯盒だぞリオ! 今度こそ正式に飯盒だぞ!」
「よかったな」
「あなたたち、採集課題の方も見なさいよ」
セナは呆れ顔で、それでも班決めの紙をきっちり確認していた。
班は五人。リオ、セナ、カイルに、同じ組から二人。
一人は物静かな眼鏡の少年、トト。植物図鑑が趣味で、採集課題では頼りになる。
もう一人が――問題だった。
「はっ、この班、俺がいれば優勝は貰ったな!」
ネイト・ボーグル。男爵家の次男である。
声が大きく、自信はもっと大きい。入学式の日に「この学年は俺が引っ張る」と宣言して以来、彼の宣言は数あれど、その自信を裏付けるものが何なのかは、半年経った今も、誰にも確認されていない。
「俺は昔から、山と川で育ってきたからな! 山なんて庭みたいなもんだ! お前ら、俺についてくれば間違いない!」
「……よろしくね、ネイト」
セナの笑顔が、既に疲れていた。
ちなみにセナが連れて行けるのは、規定で一匹だけだった。実習の趣旨が「自力の野営」なので、従魔は最小限、というわけである。
「フワにしたわ。夜は冷えるもの」
セナの肩で、綿羽鳥が誇らしげに膨らんだ。抱けば湯たんぽになる、あの保温役だ。
カイルの装備は剣一本。リオの装備は、いつも通りの小さな背負い袋一つ。
こうして、後に「あの班」と語り継がれる五人の実習が始まった。
◇
初日は、順調だった。
いや、正確に言えば、初日の昼までは順調だった。
天幕の設営を終え、採集に出た午後のことである。地図の端の沢筋で、ネイトが胸を張った。
「おい、こっちだ! この沢を上った先に、絶対に群生地がある! 山育ちの勘がそう言ってる!」
「ネイト、そこ、実習範囲の外よ」
「範囲のすぐ外だろ? すぐ外ってことは、ほぼ中だ! 高得点の薬草ってのはな、みんなが行かない場所にあるんだよ!」
「それは、そうかもだけど……」
トトが図鑑を抱えたまま、おろおろと二人を見比べる。
理屈の半分は、実は正しかった。人の入らない沢の上流に良い群生があるのは、山の常識ではある。
問題は、もう半分だった。
「リオ、あなたはどう思う?」
「……空気が湿ってきてる。夕方、降ると思う」
「は? この晴れでか? 山育ちの俺が言うんだ、降らねえよ!」
降った。
それも、秋の夕立とは思えない、バケツをひっくり返したような本降りである。
群生地は見つかり、ネイトが「ほら見ろ!」と胸を張った、その十分後だった。
五人は木の下で雨をやり過ごし、小降りを待って沢筋を戻り――そして、来た時に飛び石で渡った浅い沢が、濁った激流に変わっているのを見た。
「…………う、うそだろ」
ネイトの声から、初めて大きさが消えた。
山の沢は、上流で降れば一気に増える。渡れた場所が、渡れない場所になる。
日は、もう傾き始めていた。
「べ、別の場所から渡ればいいだろ! 下流とか!」
「下流は崖よ。地図を見なさい」
「じゃ、じゃあ上流……」
「上流に行くほど、山は深くなる」
セナは地図を睨み、それから、認めたくないことを認める顔で言った。
「……戻れないわ。今夜は」
夕立の名残が、ぽつ、ぽつ、と木々を叩いていた。
遭難、である。
◇
こういう時、人間の値打ちが出る。
ネイトは真っ青になって「俺のせいじゃ」と「俺のせいだ」の間を行ったり来たりし、トトは黙って唇を噛み、カイルは「腹減った」と言いかけて空気を読んで飲み込んだ。
セナは、班長の顔になった。
「落ち着いて。まず、教官への連絡だけど……フワ、この雨と夜は飛べないわね」
肩の綿羽鳥が、申し訳なさそうにしぼんだ。夜目は利かず、濡れた羽では方向も取れない。伝令には出せない。
「実習の連絡は、朝と夕方に点呼所へ班の札を掛けに行く方式よ。夕方の分は……もう間に合わない。教官が気づくのは今夜、捜索が動くのは早くて明朝。だから今夜、私たちがやるべきことは――」
「無事に、朝を迎えること」
静かな声が、後を継いだ。
リオである。
いつの間にか、その手には枯れ枝の束があった。いつ拾ったのか、誰も見ていなかった。
「セナ、この先に岩の張り出しがあった。風が避けられて、水はけもいい。今夜はそこにしよう」
「え、ええ。……って、あなた、なんでそんなに落ち着いてるの」
「慣れてるから」
「慣れてる?」
「バイトで、夜の森によく泊まるんだ」
一瞬、全員の動きが止まった。
「……どんなバイトだよ!?」
ネイトとカイルの声が、綺麗に重なった。
「配達とか、いろいろ」
嘘は言っていない。夜の森に泊まる配達も、世の中にはあるのだ。主に、十三番窓口の帳簿の中に。
「と、とにかく、今は助かるわ。案内して」
セナが咳払いで場を収め、五人は薄暗くなり始めた森を、岩場へ向かった。
◇
岩の張り出しの下は、ちょっとした部屋ほどの空間だった。
リオの指示は、静かで、途切れなかった。
「カイル、その倒木を風上側に。壁になる。トトは枯れ草を集めて。濡れてないやつ、岩の陰にある」
「お、おう」
「う、うん」
指示の合間にも、リオの手は止まらない。岩屋の入り口の地面に浅い溝を一本掘って、雨水の通り道を外へ逃がす。寝床になる場所には枯れ枝を敷き、その上に枯れ草を厚く重ねる。
「地面に直接寝ると、体の熱を全部地面に取られる。下の断熱が一番大事」
「へ、へえ……」
焚き火の予定地の奥には、平たい石を立てて並べた。
「火の熱を、石で岩屋の中に照り返させる。壁が二枚あると思えばいい」
誰も習ったことのない知恵が、次から次へと出てくる。
「ネイト」
「な、なんだよ」
「火の魔法、得意だろ。授業で見た」
ネイトの目が、点になった。
「……お、おう! 当たり前だ! 火花くらい、目をつぶってても出せる!」
実際、彼の火花の魔法は見事なものだった。男爵家の子は、生活魔法の基礎だけはみっちり仕込まれている。湿気た空気の下でも、枯れ草の芯に確実に火種を落とし、三度目で焚き火が立ち上がった。
橙色の光が、岩屋を満たす。
「すげえ……ネイト、お前やるじゃん」
「……お、おう」
生まれて初めて素直に褒められたような顔で、ネイトは火の番の位置に座り込んだ。
セナは杖の先に灯りの魔法を点して岩屋の奥を検分し、水筒の水には浄化の呪文を一つ。こういう時、魔法というのは本当に便利なものである。剣しか持っていないカイルが、しみじみと言った。
「……俺も生活魔法、真面目にやっときゃよかった」
「今からでも遅くないわよ」
ちなみにリオは、魔法の方はからきしである。テイム術一芸推薦とは、つまりそういうことだ。火はネイト、灯りと浄化はセナ。適材適所だった。
そして、リオはといえば。
「晩飯、作るけど。食べる人」
五人分の手が、綺麗に挙がった。
背負い袋から出てきたのは、小さな鍋と、油紙の包みがいくつか。干し肉、乾燥豆、塩、香草の小袋。それに、さっきの採集で摘んだ薬草の余りと――いつの間に採ったのか、岩場の陰の茸が三本。
「その茸、食べられるの……?」
トトが図鑑を開きかけ、リオは頷いた。
「傘の裏を見れば分かる。それと、この時期にこの木の根元に出るのは、当たりが多い」
鍋が火にかかり、干し肉と豆の出汁に、茸と香草の匂いが重なっていく。
雨上がりの冷えた森に、湯気の匂いが広がった時の五人の顔を、なんと言えばいいのだろう。
「……うっま!? え、うっま!?」
最初に叫んだのはカイルで、二番目はネイトだった。トトは無言で三杯食べた。
セナは、椀を持ったまま、じっとリオを見ていた。
「……あなた、料理までできたのね」
「バイトで覚えた」
「そのバイト、何でも覚えられるのね」
疑いの目、ではなかった。呆れ半分、感心半分。そしてもう半分――数えが合わない何かが、椀の湯気の向こうで揺れていた。
「見張りは、俺が最初にやる。慣れてるから」
「またそのバイトの話……もう何も聞かないわ。お願いね」
夜が、更けていく。
フワが皆の膝を順番に回って湯たんぽを務め、焚き火が爆ぜ、岩屋は思いのほか暖かかった。腹は満ちて、体は乾いて、火の番までいる。遭難初日の夜としては、上等すぎる部類だった。
「……なあ」
寝る前に、ネイトがぽつりと言った。
「悪かった。俺が、範囲の外に連れ出したから」
火の照り返しの中の顔は、昼間の大きな声とは別人だった。
「山育ちってのは、本当だ。けど……ここの山と、うちの領の山じゃ、勝手が違う。そのくらい、本当は分かってた。ただ……初めて、自分の得意なことで班の役に立てると思ったら、張り切っちまって」
沈黙が落ちる。
それを破ったのは、鍋を洗っていたリオだった。
「群生地は、本物だった」
「……え?」
「人の入らない沢の上流に良い群生がある、っていうのは、山の本当の話だ。あの見立て自体は、間違ってない。……間違ったのは、天気と、引き際だけ」
「てんき、と、引き際……」
「それは、これから覚えればいい」
ネイトは、しばらく黙って火を見ていた。
それから小さく「……おう」と言って、毛布にくるまった。
五人と一羽の、遭難一日目の夜は、静かに更けていった。
遠くで、細く長い遠吠えが一つ、夜を渡った。
毛布の中でトトとネイトがびくりと跳ね、カイルが剣の柄に手を伸ばす。
「大丈夫。あれは尾根二つ向こう。……こっちには来ない」
「な、なんで分かるんだよ」
「声の伸び方で」
リオの声があまりに平然としていたので、三人はそれで納得して、まもなく寝息を立て始めた。納得できる説明だったかどうかは、ともかくとして。
――そして、リオだけが知っている。
この沢は、山肌の急な支沢だ。水の出入りが早く、上で降ればすぐ暴れ、止めばすぐ引く。今夜の水位と、濁りの薄まり方からして、引くまでに、あと二日。
迂回路を探して山を彷徨うより、ここで快適に待つ方が、ずっと安全で、ずっと楽だ。
つまり明日から丸二日、この五人は、ここで暮らすことになる。
……さて。
リオは焚き火に薪を一本足して、夜の森の気配に、そっと耳を澄ませた。
快適に暮らすためには、今夜のうちに、この辺りの「ご近所」へ、挨拶を済ませておく必要があった。
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