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一体契約のテイマーと十三番窓口〜眠そうな学園生は、裏で魔物案件を片付ける〜  作者: じぇいじぇい


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第10話 夜歩きの亀(前編)

 クラリス・ルーメルという同級生がいる。

 子爵家の長女で、リオと同じ契約術系の組。いつも背筋が伸びていて、提出物は期日の二日前に出し、図書館の返却期限を破ったことがないと白紙先生が褒めていた、数少ない生徒である。

 そしてリオにとっては、同じ組で唯一、定期的に説教をしてくる相手だった。


「アルクスさん。また寝ていましたね」


 昼休みの図書館。本を枕にしていたリオは、真上からの声で目を覚ました。

 腕を組んだクラリスが、仁王立ちしている。学級委員長の腕章が、今日も眩しい。


「……寝てません。本の高さを確かめてました」

「その言い訳、先週も聞きました。図書館の本は、枕ではありません。だいたいあなたは、授業中もいつも居眠りばかりして……! テイマー推薦で入学なさったのでしょう? もう少し、自覚を持ってください」

「……善処します」

「その返事で善処された例を、私は知りません」


 ドレン教諭と同じことを言う。真面目な人の語彙は、どこかで繋がっているのかもしれない。

 ただ、クラリスの説教は正しく、長く、そして不思議と嫌味がなかった。成績が落ちますよ、体を壊しますよ、と要するに全部こちらの心配なのだ。だからリオは、半分眠りながらも、いつも大人しく聞いている。

 ――という程度の、接点である。

 そのクラリスが、ここ数日、様子がおかしかった。

 中庭のベンチで一人、ぼんやりと池を眺めている。授業の合間に、窓の外を見ている。背筋は伸びたままなのに、目だけがどこか遠い。


「なあ、あれ、ルーメルさんだろ。珍しいよな、ぼーっとしてるの」


 昼の食堂で、カイルが遠くの席を見ながら言った。


「委員長がぼーっとしてる日が来るとはなあ。リオ、お前この前も説教されてたろ」

「されてた」

「あの人、いつも姿勢がいいのにさ。今日はスープが冷めてる。ありゃ相当だぞ」

「スープで測るな」

「スープは正直なんだよ」

「……まあ、何かあるんでしょうね」


 セナも少し気にする素振りを見せたが、委員長とは席も遠く、踏み込む口実もない。

 リオはといえば、いつも通り、聞き流していた。

 人には色々ある。それだけの話だと、その時は思っていた。


     ◇


 その日の放課後、図書館で返却した本に、薄紙が挟まっていた。

『今夜の依頼。詳細は事務所。刻限あり、急ぎ』

 いつもより、一行多い。急ぎ、とわざわざ書いてある。

 夕方の事務所に顔を出すと、グラントは書類の山の向こうで、珍しく先に口を開いた。


「来たか。今夜の仕事だ。刻限は明朝、夜明けまで」

「内容は」

「魔物の移送だ。依頼主の別邸の庭に棲みついた魔物を、夜のうちに、誰にも知られず、同じ王都の中の本邸の庭へ運ぶ。……まあ、引っ越しの手伝いだな」

「引っ越し。……急ぎの理由は」

「明日の朝、別邸の庭に駆除業者が入る」


 リオの眉が、少し動いた。


「駆除」

「別邸が売られるんだとよ。買い主は更地にしたい。庭の池にでかいのが棲んでると知れて、業者で片付ける段取りになった。家の方は、本音じゃ引き取ってやりたい。だが貴族の家が、庭の魔物なんぞで表立って動けるわけもなし、そもそも運ぶ手立てもねえ。――で、古い伝手を辿って、うちに話が来た」

「依頼主は」


 グラントは書類の山から一枚を抜き、こちらへ滑らせた。

 依頼書だった。依頼主の欄に、目が留まる。

 ルーメル子爵家。


「ルーメル……」


 どこかで聞いた家名だった。数拍遅れて、学級委員長の腕章と仁王立ちが頭に浮かぶ。


「……あ。委員長の家です」

「だろうな。学園の名簿と照合済みだ。当日の立ち会いは、その委員長どの本人と聞いてる」


 グラントは机の抽斗を開け、布の包みを一つ、無造作に放ってよこした。


「だから、こういうものを用意した」


 布をほどくと、黒い覆面が出てきた。目元だけを出す作りで、生地は薄いのに妙に張りがある。内側の喉のあたりに、小さな刺繍の紋様が縫い込まれていた。


「シェラの工房のだ。着けてる間、声が変わる。低くなって、癖が消える」


 試しに着けてみる。喉のあたりが、すう、と冷たくなった。


「……あー。あー。テスト」


 出てきたのは、低く平坦な、知らない男の声だった。


「……良い覆面ですね、これ」

「だろうな。つまり、そういう仕事だ。依頼主はお前の同級生。顔と声を隠して働け。正体は絶対にバレるな。以上だ」

「以上って」

「学園は休息場だ。仕事場の顔を持ち込むな。……それだけの話だろうが」


 理屈は、いつも通り正しい。正しいが、雑に投げられた覆面と、雑にまとめられた無理難題の重さは、まったく釣り合っていなかった。


「あの、確認ですけど。朝までかかる移送の間、同級生の依頼人と、一晩ずっと一緒で、バレるな、と」

「そうだ」

「無理があると思うんですけど」

「だから、シェラの覆面をやったんだろうが。あとは、お前の芝居しだいだ」

「芝居の分の給料は出ますか」

「移送料に含む」


 毎回、この理屈で負ける。

 リオは覆面を懐にしまい、事務所を出た。

 依頼書の隅の報酬の欄には、控えめな額と、その横に小さな但し書きがあった。

『別添の髪飾り一点は、立ち会いの令嬢へ返却のこと』


「依頼料は、執事が家の金で積んだ分で足りてる。ナンバーズを動かす額じゃあねえが――番号のない腕利きには、ちょうどいい仕事だ」


 グラントは、書類に目を戻しながら続けた。


「娘さんの方は、それじゃ足りないと思ったんだろうな。執事に内緒で、自分の小遣いと髪飾りを封筒に足してきた。……飾りは返してこい。うちは、そこまでは預からん」


 ――ああ、真面目な人なんだな。

 中庭で池を眺めていた背中を思い出しながら、リオは夜の支度に向かった。


     ◇


 指定の刻限は、二十二の鐘。

 場所は王都の西のはずれ、古い屋敷町の一角だった。

 鉄柵の門は蔦に半分覆われ、庭木は伸び放題。それでも荒れているというより、眠っているという方が近い庭だった。誰かが長く大事にして、それから時間が止まった庭だ。

 裏門の前に、外套姿の小柄な人影が立っていた。

 フードの下から、見慣れた姿勢の良さが覗いている。

 リオは、物陰で覆面を着けた。

 喉のあたりが、すう、と冷たくなる。


「――お待たせしました。窓口の者です」


 出た声は、自分のものではなかった。低く、平坦で、年齢の分からない声。シェラの布は、確かに良い仕事をしていた。

 クラリスは、はっと顔を上げ、深々と頭を下げた。


「夜分に、ありがとうございます。クラリス・ルーメルと申します。このたびは、無理なお願いを……」

「顔を上げてください。仕事ですので」

「は、はい」


 顔を上げたクラリスは、フードの下からまっすぐにこちらを見た。

 同級生の目で見られている。

 分かっていても、背中に汗が伝った。バレていない。バレていないはずだ。シェラの布を信じろ。


「あの……失礼ですが、お一人、ですか? その、もっと大勢でいらっしゃるものかと」

「移送は隠密が第一です。人数は音になります」

「音……そ、そうですよね。プロの方は、そういうものなのですね」


 クラリスは真剣な顔で、二度頷いた。素直な人だった。素直な分だけ、騙している側の心臓に悪い。


「では、ご案内します。……こちらです」


 裏門の鍵を開けるクラリスの手つきは、慣れていた。


「よく来られるんですか、ここに」

「祖母の家なんです。……先月まで、祖母が一人で住んでいました」

「今回の依頼は、どちらでうちのことを」

「祖母の代からの執事が、教えてくれました。『表に出せない困りごとを、黙って聞いてくださる窓口がある』と。……昔、一度お世話になったことがあるそうです」


 なるほど。古い伝手の筋だった。ああいう年季の入った執事は、だいたい主家より事情通である。

 先月まで。

 その言い方で、だいたいのことは分かった。

 庭を抜ける小道は、蔦の下にきちんと石畳が残っていた。クラリスは迷いなく歩く。目をつぶっても歩ける道なのだろう。

 小道の先が、開けた。

 庭の奥に、池があった。

 畔の草だけが、きれいに刈られていた。屋敷が空き家になった後も、誰かが通って手を入れている。


「庭が、まだ生きてますね」

「執事と、昔うちにいた庭師が、交代で通ってくれているんです。祖母は……働いてくれていた皆に、本当に好かれていましたから。お暇を出した後も、皆さん何かと理由をつけては、顔を見に来てくださって」


 空き家の庭の草が、刈られ続けている。

 人柄というのは、こういう所に残るらしい。

 思ったより、ずっと大きい。月明かりの下で、水面が黒く静かに光っている。畔には小さな石の腰掛けと、餌をやるためらしい古い木の台。


「――ラーゴ」


 クラリスが、池に向かって小さく呼んだ。


「出てきて。今夜は、大事なお話があるの」


 水面が、盛り上がった。

 最初は岩が浮いてきたのかと思った。苔と水草をまとった、緑がかった岩。それが池の縁まで滑ってきて、水を割って、ゆっくりと持ち上がる。

 亀だった。

 甲羅の直径は、大人が両腕を広げたより広い。首は太く、皺だらけで、半分閉じた目は白っぽく濁り始めている。熊ほどもある、老いた亀型の魔物だった。


「エルダートル……それも、相当な歳ですね」

「ラーゴといいます。祖母が、嫁いできた年に池で出会って……それから六十年、ずっとここで」


 六十年。

 人の家の庭で、一人の人間と、六十年。

 濁り始めた目が、のそりとクラリスへ向き、それから、その後ろの覆面の男へ向いた。

 空気が、変わった。

 水面の下で、巨体がわずかに沈む。首が引かれ、濁った目に、はっきりと拒絶の色が乗った。

 リオは、動かずにそれを読んだ。

 警戒。そして、その奥の――喪失だ。

 腹は減っている。あれだけの体で、ほとんど食べていないなら、減っていないはずがない。減っているのに、食べる気配だけが、体のどこにもない。

 餌の台は、あの人の場所だった。あの人のいない台の餌は、この主にとって、もう餌ではないのだ。


「ラーゴは、乱暴な子ではないんです。世話をする人間には穏やかで、私も、執事も、甲羅に触らせてもらえます。……ただ、祖母が亡くなってから、ずっと元気がなくて。餌も、ほとんど食べなくなりました」


 クラリスは、餌の台を見た。


「それに――この池から、動いてくれないんです。屋敷が売られると決まってから、皆で何度も、移ってほしいとお願いしました。でも、その話をした途端に潜ってしまって、聞いてくれなくて。……このまま置いていけば、明日の朝には業者が来ます。お金で売られて、更地にされて、この子は『駆除』されるんです。六十年ここにいたのに、書類の上では、ただの害獣なんです」


 声の最後が、少しだけ震えた。

 それでも姿勢は、崩れなかった。崩さないように育てられてきた人が、崩さないまま泣くのを我慢する姿勢だった。


「本邸の庭に、先代の作った古い池があります。父も、気づかない振りをしてくれると……。だから今夜のうちに、誰にも知られずに、この子を家へ連れて帰りたいんです。でも、私たちがいくら頼んでも、この子は動いてくれなくて」


 リオは、池の主を見た。

 六十年の主は、濁った目でこちらを警戒し続けている。

 飼い主を亡くし、飯を拒み、明日には住処を潰される、老いた亀。

 ――引っ越し先は、もう決まっている。あとは、本人の気持ちひとつだ。

 リオは覆面の下で息を整え、クラリスに頷いた。


「任せてください。必ず、夜明けまでに移動させます」

「……っ、はい! よろしくお願いします!」


 そして、畔に向かって静かに一歩を踏み出した、その時だった。


「あっ、お待ちください! その子、池から出そうとする気配に、とても敏感で――」


 水面が、鳴った。

 張りの変わった水面と、沈んだ首の角度で、何が来るかは読めていた。左へ半歩。それで外れる軌道だった。

 リオは、動かなかった。

 次の瞬間、太い水の帯がまっすぐに飛んできて、覆面ごと、頭から爪先までを撃ち抜いていった。容赦のない水量だった。六十年この庭を守ってきた主の、正式な拒絶である。

 拒絶を避けて始める話は、ない。まずは全部、受け取っておく。


「――水を、噴くんです……」


 クラリスが、申し訳なさに消え入りそうな声で言い終えた。


「……父も、執事も、私も。移動のお願いをした者は、皆こうなりました」

「ご家族全員ですか」

「祖母だけは、一度も」


 六十年の主は、家族の序列を正確に把握しているらしい。


「……あの。今の、避けられましたよね? 一瞬、動きかけて、それから、わざと」

「威嚇は、受けるのが礼儀ですので」

「れ、礼儀……」


 クラリスの目に、初めて畏敬のようなものが宿った。プロというものは、濡れ方まで違うらしい。

 リオは、ずぶ濡れの覆面から水を滴らせたまま、池の主を見た。

 濁った目が、どうだ、とばかりにこちらを見返していた。


「……なるほど」


 夜明けまで、あと四刻。

 まずは、着替えたかった。


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