↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一体契約のテイマーと十三番窓口〜眠そうな学園生は、裏で魔物案件を片付ける〜  作者: じぇいじぇい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
15/144

第8話 第十三厩舎(後編)

お読みいただきありがとうございます。


第8話の後編です。

「素性は」


 ミラの問いに、運び屋が息を切らせながら答えた。


「南区の違法闘技場です。昨夜、ギルドの手入れが入って……闘獣が三頭、押収されました。二頭は大人しかったんですが、こいつだけ、朝から悪くなる一方で」


 檻の中で、また体当たりの音がした。

 格子の隙間から見えたのは、灰褐色の大きな山猫だった。グランリンクス。中型の獣で、肩は人の腰より高い。古い傷が体中に走り、耳は片方、半分欠けている。闘わされてきた体だった。

 その巨躯が、汗に濡れ、痙攣まじりに震えながら、鉄の檻に繰り返しぶつかっている。

 ミラは傷だらけのその体を一目見て、それきり、何も言わなかった。

 言わない時のこの人が、一番怒っている。

 リオは、目を細めた。

 突進の線が、全部、壁だ。人ではない。あの夜のゼグと同じ――いや、もっとひどい。ゼグは煩わしさから逃げていた。この子が逃げようとしているのは、自分の体の内側からだ。

 出たいのではない。この箱ごと、今の自分から出たいのだ。


「ミラさん。丸囲いは空いてますか」

「調教用のが。……開ける気ね?」

「檻が保ちません。あの格子が中で折れたら、串になります」


 ミラは一拍だけ黙り、それから運び屋に叫んだ。


「丸囲いの門、全開! 馬車ごと着けて! あなたは下がって、絶対に声を出さない!」


 護衛の指図は荷主より重い、をこの牧場でやるなら、ミラの指図は王命より重い。馬車はすぐに丸囲いへ接続された。


「リオ。言っておくけど」


 囲いの柵を跳び越えるリオの背に、ミラの声が飛んだ。


「私の糸は、まだ結べない。中で何かあっても、外からは何もできないわよ」

「大丈夫です」

「根拠は」

「ないですけど、大丈夫です」

「……もう。あの人と同じこと言うのね」


 最後のは小さすぎて、よく聞こえなかった。

 運び屋が、震える手で閂に取り付いた。


「ほ、本当に開けるんですか。あの中に、一人で」

「声を出さない、と言ったはずよ」


 ミラの声は静かで、それ以上の質問を許さなかった。

 檻の閂が、外から引かれた。


     ◇


 灰褐色の嵐が、丸囲いに飛び出した。

 砂を巻き上げ、柵に沿って疾走する。二周、三周。囲いの中央には、眠そうな少年が一人、立っているだけだ。

 四周目で、嵐がこちらを向いた。

 血走った目に、リオが映る。震える四肢が沈み、跳ぶための力が溜まる。

 リオは、逃げなかった。半身になり、重心だけ静かに落とす。

 突進。

 土砂降りのような足音が一直線に来て――リオの体は、紙一枚の半歩で、その外側にいた。牙は空を噛み、巨体が砂を裂いて滑っていく。

 崩される前に、崩れる場所にいない。あの口の悪い師匠に、百回転がされて覚えた半歩だった。

 巨体は柵の手前で身を捻って踏み止まり、砂煙の中からこちらを睨んだ。荒い息。血走った目。それでも、その目の奥で何かが小さく引っかかったのが、リオには見えた。

 当たらなかった、ではない。

 今の人間は、避ける時に、敵の動きをしなかった。

 迷いの分だけ、二度目の助走は短かった。

 二度目の突進が来る。

 今度は、避けなかった。


「――ごめんな」


 すれ違いざま、リオの手が動いた。

 右手が首の付け根、左手が肩の急所。二点を取ったまま、突進の勢いを斜め下へ流し、自分の体重を軸に、巨体を砂の上へ滑らせて伏せさせる。力で押さえたのではない。獣自身の勢いを、寝かせる形に畳んだのだ。

 どう、と砂が鳴った。

 グランリンクスは横倒しのまま、四肢をもがかせ――もがくたび、二点の急所が優しく、しかし正確に効いて、力が抜けていく。殺さず、傷つけず、ただ止める。そういう技だった。

 リオは押さえたまま、暴れる耳元に顔を寄せ、自分の呼吸を、ゆっくり、ゆっくり、落としていく。

 荒れ狂う呼吸の隙間、一瞬だけ生まれる凪。

 そこへ、太い線を一本、通した。

 息、ひとつ。

 繋がった瞬間、体の内側の嵐が流れ込んできた。焼けるような渇き。皮膚の下を虫が這うような疼き。ないはずの戦いの号令が、頭の中で鳴り続けている。

 ――ひどいな、これは。

 リオは線の向こうへ、静かに、一つだけ渡した。

 もう、鳴らなくていい。

 号令も、次の試合も、ない。ここには砂と、水と、飯と、眠りしかない。

 線の向こうで、嵐が一度、大きくうねった。信じていいのか、確かめるうねりだった。リオは何も足さず、同じものを、同じ温度で、もう一度だけ流した。

 巨体の痙攣が、ゆっくりと、間遠になっていく。

 もがきが止まり、荒い呼吸だけが残り、やがてそれも、砂に沈むように深くなった。

 丸囲いの外は、静まり返っていた。

 運び屋は口を開けたまま固まり、ミラは柵に両手をかけたまま、動かない。


「い、今の……見えました? 俺には、半歩動いたのと、手を二回置いたようにしか……」

「静かに。……見えたわよ、全部」


 ミラは柵から手を離し、長く息を吐いた。


「……ほんと」


 それから、昼間の仕返しのように言った。


「ありえない子」


 これで、言い合いは引き分けである。


     ◇


「今なら、結べるわ」


 ミラは囲いに入り、横たわる巨体へ手をかざした。髪より細い糸が、今度は通ったらしい。目を閉じ、内側を読んでいく。その横顔から、みるみる温度が消えた。


「……薬ね。それも、ひどい量」

「興奮剤ですか」

「常用させられてる。たぶん、試合のたびに。それが押収で急に切れて――この子、禁断症状で荒れてたのよ。体当たりも痙攣も、全部」


 ミラの指が、宙で小さく動いた。内側の帳面をめくる指だった。


「古傷、二十七。全部、体の前側。……一度も背中を見せてないのね、この子」


 逃げなかったのか、逃がされなかったのか。それは、聞かなかった。

 ミラは診察を続けながら、吐き捨てるように言った。


「配合が、変。ただの興奮剤じゃないわ。土台になってるのは南方の鎮静花……ルヴィナ産の、眠り花の系統よ。眠らせるための花で、興奮剤を作ってる。薬師は絶対にやらない、趣味の悪い逆立ちだわ」

「……ルヴィナ」


 リオは、その国の名前を、口の中で転がした。

 聞いたことがある。学園に紛れ込んだ白眠花――あれの産地の見当も、確かルヴィナ方面だった。


「最近、その国の名前を、よく聞きますね」

「そうね」


 ミラは手をかざしたまま、少しだけ声を落とした。


「偶然なら、いいけど」


 それ以上は、二人とも言わなかった。言えるだけの材料が、まだない。

 ただ、ミラは薬の残りを採るための小瓶を、いつもより丁寧に封をして、白紙の司書宛ての箱に入れた。


     ◇


 処置は、日が落ちてから始まった。

 薬を抜くための薬湯。渇きに合わせた水。消耗した体に入る、柔らかい飯。ミラが方針を立て、リオが体を支える。

 グランリンクスは、もう暴れなかった。線の向こうが静かなままなのを、リオはずっと確かめている。

 体を起こさせ、薬湯の桶に顔を導く。

 リオの手は、いつも通りに動いた。まず肩。それから首筋。頭に触れるのは、最後。支える時は、関節の内側に手を添えて、獣の骨の向きに沿わせる。


「次は左の前脚を――」

「押さえてます」

「……話が早いわね」


 指示と手が、半拍ずれて重なる。ミラの言葉より先に、手の方が動いてしまうのだ。

 ふと、視界の端で、ミラの手が止まっているのに気づいた。

 薬湯をかき混ぜる杓を持ったまま、彼女はリオの手を見ていた。


「……その押さえ方と、その順番」

「はい?」

「誰に、習ったの」

「誰にも」


 リオは、支える手を止めずに答えた。


「物心ついたら、こうでした」

「…………」


 ミラは、何かを言いかけた。

 言いかけて、やめて、杓を桶に戻し、背を向けて器具を洗い始めた。

 水音の向こうから、声がした。


「――いいやり方よ」


 振り向かないまま、ミラは言った。


「直すところが、ひとつもない。……忘れないでいなさい、それ」

「……はい」


 習った覚えは、ない。ただ、手が先に動くだけだ。

 誰の手に似たのだろう、と考えかけて、リオはやめた。眠かったからではない。なんとなく、手を伸ばすには、まだ早い気がしたからだ。

 器具を洗う水音は、いつもより少しだけ、長く続いた。


     ◇


 夜半、グランリンクスは眠った。

 薬ではなく、自分の眠りで、である。ミラいわく、この子がまともに眠るのは、記録を遡れるかぎりで初めてかもしれない、とのことだった。


「そういえば、この子の名前は」

「闘技場の番号だけ。左耳に、焼き印で」

「……そう」


 ミラは寝息を立てる巨体を眺め、それから、当然のように言った。


「番号で呼ぶのは、うちでは禁止なの。あなたが付けなさい。寝かせたのは、あなたなんだから」

「俺ですか」


 リオは、砂の上で丸くなる灰褐色を見た。

 初めての眠りが、砂の上。


「……スナ」

「あら、いいじゃない」


 スナ。囲いの砂を掻いて整えながら、ミラは早速二度、その名を口の中で転がした。糸の向こうの名簿に、書き込んでいるのだろう。

 番号が一つ消えて、名前が一つ増えた夜だった。

 寝息を確かめて丸囲いを出ると、思わぬものが待っていた。

 ガロとジドが、自分たちの囲いの、柵のすぐ際まで出てきていた。

 いつもの遠い隅ではない。柵に鼻先が触れそうな距離で、二対の目が、じっとリオを見ている。

 リオが近づいても、二頭は下がらなかった。

 ジドが、鼻を一度、鳴らした。

 それだけだった。それだけだったが――


「……初めてよ」


 いつの間にか隣に来ていたミラが、小さく言った。


「あの子たちが自分から柵に寄ったの、初めて」


 騒ぎを、ずっと見ていたのだろう。暴れる同類が、傷つけられも罰されもせず、ただ静められて、飯を与えられて、眠りにつくまでを。

 言葉の通じない証人たちに、今夜の仕事は、どう映ったのか。

 リオは柵の前にしゃがみ、干し肉を二切れ、届く場所に置いた。

 二頭は、リオが三歩下がるのを待ってから、それを食べた。

 三歩。

 今日の昼間までは、囲いの端から端の距離だった。


     ◇


 帰り支度をするリオに、ミラは戸口で言った。


「あなたのそれ、うちの理屈じゃ説明がつかないのよね。糸も結べない嵐の真ん中に、あんな太い線を通すなんて」

「ミラさんのも、教本の外だと思います。五十一本、繋ぎっぱなしとか」

「あら」


 ミラは、ふ、と笑った。


「お互い様ね」

「お互い様です」

「また休みに来なさい。人手は、いつでも足りないの」

「……次の休みは、寝ます」

「じゃあその次ね」


 断らせる気のない誘いだった。

 夜道を歩いて眠り鹿の宿に帰ると、マルタが盆を抱えたまま迎えた。


「おかえり。いい休みだったかい」

「……働きました」

「そりゃあ、いい休みだ」


 どこがだ、と思ったが、スープを飲んで寝台に入る頃には、悪くない休みだった気もしてくるのだから、不思議なものである。

 明日からはまた、学園だ。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。


次回もよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。