第71話 紙の裁き
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第71話です。
審問の三日前に、リオは約束を果たした。
放課後の川辺だった。秋の休みに夕日を見て、十三個目を聞いた、あの場所だ。
話すことは、実はもう多くなかった。
覆面のことは、冬の倉庫の夜にセナ自身が見ている。力の中身は、この前、厩舎で実験した日に話した。両親がいないことも、とうに伝えてある。
だから今日話したのは、残りの全部だ。
両親の名前と、村の夜に本当にあったこと。それをやった商会の名前。池の竜と、幼い日の糸のこと。糸が一本しか出ない、本当の理由。
それから、南の池の三日間。
相手が十年前の実行者だったこと。剣の届く間合いまで追い詰められて、本当に死にかけたこと。その瀬戸際で、繋がらないはずの糸を人間に撃ったこと。なぜか一瞬だけ通って、それで勝てたこと。
話し終わるまでに、川の水はだいぶ流れた。
セナは、最後まで一度も口を挟まなかった。
聞き終えて、最初に言った。
「……『よほど大きなものと、一度結んだことがある』。私の仮説、合ってたのね」
「合ってた。仮説は、正しかった」
「そう。……そこだけは、ちょっと嬉しい」
帳面に書き留めるような顔は、そこまでだった。
「死にかけたのは、怒ってるから。すごく怒ってるから。でも、帰ってきたから……今回は、十四個目にはしない」
「助かる」
「人に糸が通った件は、今度ゆっくり仮説を立てるわ。付き合いなさい」
「ん」
「なら、最後に一つだけ。あなた、怪我は」
「……肩と腿。浅い」
「見せなさい。手当ての確認が先。泣くのは、その後」
泣く、と自分で言った目が、もう濡れていた。リオは大人しく袖をまくった。
傷を確かめる指が一度だけ震えて、止まった。
隠していることは、もう何も残っていない。残っていないのが、こんなに軽いとは知らなかった。
帰り際、セナは川に背を向けてから、思い出したように振り返った。
それから、いつもの顔ではない顔で言った。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
◇
審問は、役所の一番広い部屋で開かれた。
傍聴の席は開く前から埋まった。記者が前列を取り合って、商人が中程を固め、立ち見の市民が壁際まで詰まる。十年前の村の件と王都を騒がせた瓦版の件が、一本の縄で裁かれる日だった。
リオは、グラントの隣に座っていた。
今日は、傍聴人だ。証言の席には、もっとふさわしい人たちが並んでいた。
開く前に、グラントが低い声で言った。
「名前は、俺が言う。……十年、そのために覚えてたようなもんだ」
「はい」
「お前は、聞いてろ。聞くのも仕事だ」
審問官が木槌を一つ鳴らして、始まった。
◇
証拠は、紙から始まった。
最初に立ったのは、エルム・シラードだった。
「商人として、帳面の写しを提出します」
静かな部屋に、頁をめくる音だけが続いた。偽名の口入れへの前払い。特注の檻、一基。生かしたまま、の一文への二重線。燃えた村の後始末の払い。
「出所を問われれば、こう答えます。――私の、古巣です」
どよめきが、部屋を一周した。白庭の王都の顔が、白庭の帳面を裁きの場に置いた。
「なぜ、出した」
審問官の問いに、商人は少しだけ首を傾けた。
「古巣の帳面の付け方が、好みに合わなくなったので」
どよめきの中をエルムはどちらの顔もせず、一礼して席へ戻った。
次に、テッサ・ロディが立った。
聴聞で見せた鑑定の続きだった。捏造の苦情状三十一通の筆と、押収された白庭の帳場の控えの筆。扇形に広げた紙の上で、同じ癖が同じ深さで沈んでいた。
「瓦版の件と、村の件は、同じ家の仕事です。筆が、そう言ってます」
ルヴィナからの文も読み上げられた。
差出人は二人。荒っぽい字と端正な字の連名で、現地の冒険者組合の記録と遺族の証言が綴られていた。曰く、あの隊は賊の討伐だと騙されて雇われた。曰く、遺された家族は十年、嘘の英雄譚の陰で口を噤まされてきた。
騙して殺された側の国からの紙が、国と商会をきれいに切り分けた。
最後に、ローウェン侯爵家の名で一通の記録文書が提出された。白庭の金の流れを、貴族の側から長く見ていた記録だった。読み上げられた家名の重さに、部屋の空気が一段沈んだ。
◇
「被害者の氏名を、記録します」
審問官が言って、書記の筆が構えられた。
「氏名の分かる者は」
「います」
立ったのは、グラントだった。
証言の席まで歩く間、大きな体がいつもよりゆっくり動いた。
「全員の名前を、言える者は俺だけです。……十年、俺の中に書いてあったので」
グラントは、正面を向いた。
「ヨナス・アルクス。エマ・アルクス」
一つ目から、部屋は静まり返った。
「バルト・クレナ。同じくミーネ。息子のトト――」
名前は、続いた。
年寄りの名前。夫婦の名前。子供の名前。石に彫られなかった二十一が、一つずつ公の帳面に書き取られていく。書記の筆の音だけが、名前と名前の間を埋めた。
リオは、一度も目を閉じなかった。
ポケットの中で、あかりが光を細くしたまま最後まで灯っていた。
どこかの席で、押し殺したすすり泣きが聞こえた。記者の何人かは、筆を止めていた。書く仕事の人間が筆を止めるところを、リオは初めて見た。
「――以上、二十一名」
グラントは席に戻る前に、一度だけ傍聴席を見た。リオを見たのか全員を見たのか、分からない見方だった。
審問官は長い沈黙のあとで、木槌を鳴らした。
「記録した。……この国の帳面に、今日から載る」
◇
翌朝の瓦版は、一面が黒かった。
太い見出しで、燃えた村の二十一人とあった。書いたのはまともな刷り元で、例の刷り元は店を畳んで夜のうちに消えたという。
紙は、それから毎日降った。
今度は、窓口に味方する紙だった。
座長シェラ・リュートの談話が載った。王都の舞台は、あの派遣所なしには回りません。獣医師会の談話が載った。夜間の魔物保護で、何度も世話になっています。鍛冶師ハインツの談話は一行だった。納めた物と金は帳面の通り。それ以上でも、以下でもない。竜技団の翁は祭りの思い出を語り、眠り鹿の女将の談話はやっぱり一行だった。
――よく眠れる宿です。うちの客のことは、聞かないでくださいな。
審問の日、リュート座の演目は『ともしび』だった。満席の客が泣いて帰った夜の王都に、冷たい紙の居場所はもうなかった。
受付の間は、戦場になった。
「求人が……求人が、五十二件! 過去最多です!」
「派遣依頼、午前だけで三十……ああもう、算盤が足りない!」
「落ち着け! 落ち着いて、全部受けろ!」
グラントの声も、半分笑っていた。詰所は毎日声が嗄れて、バルカの鍋は毎日空になった。苦情の常連の婆さんは長椅子で茶を飲みながら、新顔の客に自慢していた。
「あたしゃね、みんなが来なくなった頃も通ってたんだよ」
窓口は、戻った。
戻って、前より大きくなった。
学園では、リオは何度か視線を感じた。瓦版の名簿の姓と、出席簿の姓を見比べる目だった。それでも、聞きに来る者はいなかった。
隣の席だけが、何も見比べなかった。
見比べる必要が、もうないからだ。
「襟」
「……ん」
「曲がってない。よし」
確かめただけらしかった。
◇
数日後には、猟師の噂が届いた。南の湿地の奥の村の跡に、花を持った見知らぬ人々が通い始めているという。
名前を知る者しか来られなかった場所に、いまは王都中が名前を知っている。無銘の石碑の前から、花が絶えなくなった。
その夕方、帳場に一通の報せが届いた。
読んだグラントの顔から、笑いが引いた。引いたが、嫌な顔でもなかった。帳場の主は、報せを畳んでリオに言った。
「……白庭の、庭の主が王都に入った」
「庭の、主」
「帳面の右側しか見ねえ男だ。剣が落ちて、紙が落ちて、それでもまだ、算盤だけ持って出てくる。……会いに来るぞ、ここへ」
グラントは茶器を二つ、棚から下ろした。
「来るなら、茶ぐらいは出してやる」
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