第67話 紙の山
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第67話です。
聴聞の日は、晴れた。
役所の控えの間で、職員たちは普段着の一番いいのを着て、硬い顔を並べていた。グラントだけが、いつも通りの顔だった。
「胸を張って入れ。嘘のない側ってのは、顔を上げてるもんだ」
それだけ言って、先頭に立った。
役所の三階の聴聞の間には、長机が三つ。正面に審理官の初老の文官、右手に申し立て側の役人、左手が窓口の席という並びだ。傍聴の席は記者で埋まり、一番後ろの隅に上等な旅装の男が一人座っていた。
開始の鐘の前に、廊下が騒がしくなった。
台車が、入ってきた。
一台ではない。三台。帳簿の山が、荷崩れしないよう紐で縛られて積まれている。押しているのはヴェイル人材派遣の職員たちで、先頭を初老の事務員が歩いていた。
「ヴェイル人材派遣、帳簿一式。二十年分、百三冊」
事務員は審理官に一礼した。
「全件、照合に参りました」
聴聞の間が、静まった。
紙で殴られた側が紙の山を担いで来た、と誰の目にも分かる絵だった。
◇
照合は、淡々と進んだ。
申し立ての苦情は三十一件。読み上げられるたびに算盤方が帳簿を繰り、事務員が答える。
「西市場の雑貨商ドルン商店より、派遣人員の金銭不正の苦情――」
「ドルン商店との取引は、二十年間、一件もございません」
「堀端の酒場より、夜間の無断立ち入りの苦情――」
「その住所に酒場はございません。三年前まで桶屋、現在は空き家でございます」
「南二番街の織物屋より――」
「取引は四年前に一件。日付が、苦情の言う年の前でございます」
三十一件のうち、取引のない相手が九件。存在しない住所が七件。日付の合わないものが十一件。残る四件は、審理官が申立人の出廷を求めた。
誰も、来なかった。
呼び出しの文は三度出て、三度とも受け取り手がいなかった。役所側の記録係が、それを自分で読み上げる羽目になった。
「……申立人に、会えた者はいるのか」
審理官が、申し立て側の役人に聞いた。役人は書類を揃え直すふりをした。揃え直しても、答えは書類から出てこなかった。
◇
鑑定人として、テッサ・ロディが立った。
工人展で名工の名簿に載った職人は、三十一通の苦情状を机に扇形に広げた。
「全部、同じ人の字です」
聴聞の間が、ざわめいた。
「書体は七種類に書き分けてあります。右手と左手も使い分けてる。でも――」
テッサは一通の「の」の字を指でなぞった。
「癖を裏返して書いてるんです。裏返すのにも、癖が出る。筆の入りが全部、同じ深さで沈む。三十一通、一人の仕事です。手は、正確な人ですね」
褒めてから、テッサは審理官に向き直った。
「原本をお借りできれば、墨の仕入れまで辿れますけど」
「……検討する」
審理官の筆が、長いこと動いていた。
◇
証人は、順に立った。
学園の非常勤講師は「講義は週二つ。報酬は規定通り。真っ当な店だから二十年付き合っとる。以上」と言い、臨時司書は「書架の整理に人を借りております。物静かで正確で、助かっています」と言った。獣医師会の代表は夜間の魔物保護の出動記録を三年分提出し、宿の女将は「うちは飯を出して寝かせるだけの商いです。二十年、それだけです」と言った。鍛冶師は「納めた物と金額は帳面の通り」とだけ言って座り、竜技団の翁は「祭りの竜の舞を支えてもろうた。王都の祭りの帳面にも載っとる」と笑った。
誰も、嘘をつかなかった。
つく必要が、どこにもなかった。
最後に、ヴェイル教育財団の後見状が読み上げられた。学園と医院を後援する財団の印は、聴聞の間で一番重い紙だった。希少種一体の保全について財団の保護蔵が受け皿に立つ、ともあった。
◇
沙汰は、夕方に出た。
審理官は書き上げた紙を手に取り、立って読んだ。
「苦情三十一件、いずれも根拠を認めない。営業停止の仮の措置は、本日づけで解く。無許可保管を理由とする保全措置は、理由を失ったため撤回。保管物は、申し出の後見に従い即日返還とする」
一瞬、聴聞の間が静まり返った。
静まり返って、それから、破裂した。
「うおっしゃあ!!」
最初に吠えたのは詰所の古株だった。
「見たか! うちの帳面に嘘はねえんだよ!」
「静粛に」
「すんません!」
謝った声まで割れていた。算盤方が両手を突き上げ、新入りが隣の同僚に抱きつき、初老の事務員は座ったまま眼鏡を外して、目元を一度だけ拭いた。二十年分の帳簿の山の前で、二十年勤めた人がそうしているのを、誰も茶化さなかった。
審理官は咳払いを一つして、最後の紙を置いた。
「……申立人の件は、別途調べる」
それから申し立て側の役人を長いこと見た。
「帰るな」
役人の顔から、色が抜けた。それを見た傍聴席の記者たちが、一斉に筆を走らせ始めた。紙で殺しに来た連中の名前が、今度は紙に載る番だった。
グラントは、最後まで座ったままだった。
立ち上がって、一言だけ言った。
「帰るぞ。……店を開ける」
「「「おう!!」」」
返事で、窓の硝子が鳴った。
役所の外の石段に、見覚えのある二人が立っていた。
「おい、どうだった!?」
授業が終わるなり駆けつけたらしいカイルが、石段を三段飛ばしで下りてくる。セナはその後ろで、聞くまでもないという顔でリオの顔色を読んでいた。
「勝った」
「よっしゃあ!」
カイルの声が往来に響いて、通行人が振り返った。セナは一つ息を吐いて、それからリオの襟を見た。
「……直すところが、ないわね。今日は」
「背筋を伸ばして行けって、言われたので」
「いい職場ね」
◇
返還は、その足で行われた。
保管庫の係官は、桐の小箱を両手で捧げ持って出てきた。受け取り状に判を押す間も、箱から目を離さなかった。早く持って行ってくれ、と顔に書いてあった。
廊下の隅で、リオは小箱を開けた。
封じ札の上に、指を置く。
札が、ほどけた。
光が立ち上がり、一度だけ大きく跳ねて、まっすぐリオの襟元に飛び込んだ。
「ただいま!」
「……おかえり」
「ねてた! おわった?」
「終わった」
「かった?」
「勝った」
「じゃあ、よかった」
あかりは襟元で二度跳ねて、定位置のポケットに収まった。ポケットの中から、くぐもった声が付け足した。
「はこのひと、ていねいだった。りお、おれい、いっといて」
◇
夕方の二番街に、槌の音が響いた。
グラントが梯子の上で、看板を元の場所に打ち直していた。ヴェイル人材派遣。二十年の字が、西日を受けている。
一打ちごとに、階段の下から拍手が鳴った。職員が全員いた。カイルとセナがいて、ノアまでいた。野次馬が集まり、集まった中から見覚えのある顔が一つ、ばつの悪そうに進み出てきた。角の食堂の店主だった。
「……すまんかったね」
店主は手に、外したはずの求人札を持っていた。持って来て、自分の手で元の場所に貼り直した。拍手が、一段大きくなった。
最後の一打ちが入ると、グラントは梯子の上から下を見た。
「今日は店仕舞いだ! ただし、飯は出る! バルカが余らせた分、全部だ!」
詰所がまた破裂した。大皿が並び、湯気が立ち、誰かが樽を転がしてきた。カイルは三杯目の飯をよそわれて「この店に入りてえ」と言い、セナは初老の事務員に帳簿の綴じ方の講義を受けて、真剣に頷いていた。あかりは宴の真ん中で、燭台から燭台へ跳ねて回った。灯りが跳ねるたび、笑い声が追いかけた。
杖の音が、階段を上ってきた。
「……開いたかい」
「開いた」
「じゃ、聞いとくれ。犬だよ。取っといた分も合わせて、二件」
「二件とも聞こう。茶も、飯も出る」
婆さんは上座に通されて、王都で一番うるさい宴の真ん中で、ゆっくり苦情を言った。
リオは輪の少し外で、椀を持ったままそれを見ていた。
頬が、勝手に緩んでいた。緩んでいることに、椀が空になってから気づいた。
それから、昼間の聴聞の間を思い出した。
傍聴席の一番後ろの隅。
沙汰が出た瞬間、あの男は笑い皺を深くして小さく手を叩いていた。帰り際にリオと目が合うと、片手を上げて会釈までして寄越した。
初めまして、の顔ではなかった。
近いうちに、あの男は客として帳場に来る。
理由は言えないが、リオにはそれが分かった。
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