第66話 底値
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第66話です。
調査の役人は、三日後に来た。
今度は執行官を連れていた。腰に剣ではなく、挟板と封じ札の束を提げた男だった。
「別紙の件だ。無許可保管の魔物一体、調査の間、役所で預かる」
「許可も何も、飼っちゃいねえ」
グラントの声は平らだった。
「契約もしてねえ。帳簿を見ろ。あれは自分の意思でここにいる、ただの客人だ」
「主張は聴聞で述べられたい。……規則では、調査の間の保全措置が認められている」
規則という言葉の使い方だけが丁寧だった。
リオは帳場の隅に立っていた。
執行官が封じ札の束を外した。
その手が動く前に、グラントが言った。
「おい。手順の前に、一つだけ教えとく」
「……何か」
「あれは特殊だ。学園の教本で言やあ、札も鎖も効かねえ側の生き物だ。その上、テイムもされてねえ。つまり、あれを縛れるものは、この王都に紙一枚、鎖一本、ありゃしねえ」
執行官の指が、束の上で止まった。
「その札が効くとしたら、あれが効かせてやってる間だけだ。機嫌を損ねてみろ。札ごと、保管庫ごと、夜が昼になるぞ。……意味は分かるな。お前らの紙が通るのは、あれが大人しくしててくれてる間だけだ」
「脅しか」
「説明だ。知らずに運んで焼けた、じゃあ互いに寝覚めが悪いだろ」
役人が何か言いかけて、やめた。
執行官が燭台に近づく。封じ札を一枚、指に挟む。その指が、さっきより遅かった。
獣なら、暴れるところだ。暴れれば、連中の紙に「危険」の一行が増える。それも向こうの筋書きのうちだと、リオにも分かった。分かっていても、足が一歩出た。
肩に、グラントの手が置かれた。
「堪えろ」
低い声だった。
「ここで手を出したら、紙が全部本当になる」
あかりは燭台の上で一度だけ跳ねた。
それからリオの方へふわりと寄ってきて、いつもの明るさで言った。
「りお。ねてる間に、おわる?」
「……ああ」
「じゃあ、いってくる。おきたら、おしえて」
あかりは自分から、封じ札の上に降りた。
光が札に吸われて、消えた。部屋の暗さが、一段変わった。
執行官が札を摘まみ上げる。
その指先で、札が一度だけ赤く透けた。炙られる寸前の紙の色だった。眠ってなお、入れ物の機嫌は入れ物が決めている。
執行官の喉が、上下した。
執行官は札を桐の小箱に納め、目録に一行書いた。
魔物一体、と書かれた。名前の欄は、やはりなかった。
「あかり、という名前があります」
リオは執行官に言った。声は自分でも驚くほど平らに出た。
「目録に書く欄が、ない」
「……なら、せめて。丁寧に、運んでください」
執行官は一瞬だけ手を止めて、小箱を両手で持ち直した。それが返事らしかった。
「……札のまま、保管庫に入る。損なわれはしねえ」
グラントは空になった燭台を見たまま言った。
「三日だ。三日で取り返す。財団の書類は、もう動いてる」
「……どうやって」
「保管の移し替えだ。希少種の保全は財団の表の仕事で、役所の保管庫より財団の保護蔵の方が設備が上だと、獣医師会と竜技団が書面で言う。全部、本当のことだ。本当のことを三枚重ねると、役所は断れねえ」
リオは頷いた。
頷くまでに、長くかかった。
◇
同じ日の夕方、大市場の北の商会に客が一人通された。
上等な旅装の、四十前後の男だった。笑い皺が深く、剣は帯びていない。応接の椅子に断りなく座り、出された茶を一口で半分にした。
座った位置は、部屋の中で誰の手も届かない一点だった。窓からも戸口からも飾り棚の燭台からも、きれいに間合いの外にある。偶然にしては、外れ方が正確すぎた。
「で? 商人様がこの俺に、何の用だ」
「お売りしたいものがありましてね」
エルム・シラードは向かいに座って、帳面を一冊だけ卓に置いた。
「十年前、南の村で取り逃がしたものの、現在の名前と居場所です」
男の笑い皺が、動きを止めた。
「……ほう」
「学園の三年に、一人。昼は居眠りの名人で、夜は覆面で獣を従える。倉庫街の夜も、湿地の池も、工人展の封じも、みんな同じ腕です。あなたが湿地でお会いになった覆面と、十年前に竜に守られていた子供は、同じ勘定で合います」
「知ってる」
男は茶の残りを干した。
「勘定なら、こっちでも合ってた。……確かめる手間が、省けたってだけだ」
「ではその手間代を頂きましょう。それと、確証には確証の値が付きます」
「言い値で買うよ。あの家の金だしな」
男は懐から手形を出して、無造作に書いた。エルムは金額を確かめて、帳面を男の側へ滑らせた。
商いは、それで済んだ。
済んでから、エルムは茶を注ぎ足した。
「一つ、商人として申し上げておきます」
「あん?」
「お買い上げいただいて何ですが――あなたには、無理だと思いますよ」
応接の空気が、一度固まった。
男はエルムをしばらく眺めて、声を出さずに笑った。
「……言うじゃねえか、商人」
「十年前、あなたは部隊を連れて負けた。今度はお一人です。しかも相手は、あの頃の子供ではない。竜は、今も彼に付いています。湿地の池で、ご自分の目でご覧になったでしょう」
「煽ってんのか、それは」
「いいえ。私は嘘を言わないだけです。無理だと思っているので、無理だと申し上げました」
エルムは手形を懐に仕舞った。
「もっとも、商品は売りましたから、あとは買った方の勝手です。仕掛けるなら、窓口が一番弱っている今の内でしょうね。……それも、ただで差し上げます」
「どこまでも商人だな、お前」
男は立ち上がって上着を直した。欠けた左耳を指先で一度掻いた。
「十年前のやり直しってのは、嫌いじゃねえ。……今度は、ガキの方から竜を出させて、まとめて勘定だ」
足音が廊下を遠ざかっていく。
一人になった応接で、エルムは冷めた茶を見下ろした。
「……さて」
盤面に、駒は全部置いた。あとは勝つ側が勝つだけだ。
どちらに転んでも、損の書きようはない。ないはずなのに、茶の残りはいつもより苦かった。
◇
眠り鹿の宿に帰ると、マルタが起きていた。
何も聞かない人は、今夜も何も聞かなかった。皿に肉が一切れ多く載って、味噌汁の椀が湯気を立てているだけだった。
リオは、全部食べた。
食べ終わるのを待って、マルタが一言だけ言った。
「早く寝な。……あんたの顔は、明日から長くなる顔だよ」
「……はい」
「寝られるかい」
「寝ます。寝るのは、得意なので」
階段を上る足音を聞きながら、マルタは竈の火を落とし、店の塩を多めに撒いた。誰に、ということもない。ただの験担ぎだ。
◇
夜の帳場に、燭台だけがあった。
灯りの載っていない燭台は、ただの古い金具だった。リオは依頼票を一枚引き寄せて、誰に出すでもない品目を書いた。
品目、迎え。期日、三日。受付の欄に、自分の名前を書いた。窓口に出す、初めての依頼だった。
窓の外で、夜の獣の声がいつもより近かった。
筆を置いて、暗い帳場で声に出した。
「……三日で、迎えに行く」
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次回、反撃開始です。




