第65話 役所の紙
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第65話です。
役人は、朝一番に来た。
二人連れで、片方が紙挟みを抱えていた。受付の間に入ると、紙挟みの方が咳払いを一つして綴じた紙を開いた。
「ヴェイル人材派遣、主グラント・ヴェイル。申し立てられた苦情、三十一件の調べのため、聴聞を行う。聴聞の結果が出るまでの間――営業の停止を命ずる」
読み上げの声は、受付の間によく響いた。
算盤の音が、止まっていた。
グラントは帳場から出てきて、読み上げが終わるのを待った。待ってから、口を開いた。
「仮の措置、で間違いないな」
「……左様」
「聴聞で苦情に根がないと分かれば、停止は解ける。それも間違いないな」
「規則では、そうなる」
「結構」
グラントは手を出した。
「苦情三十一件、全部の写しをもらおう」
役人二人が、顔を見合わせた。
「それは――」
「受理された申し立ての写しは、受けた側が請求できる。規則の帳面の、後ろから三枚目だ。読んだことがないなら、持ち帰って読んでくれてもいい」
紙挟みの役人は返事に詰まり、結局は三日のうちに届けると言って帰っていった。
帰り際、役人は入り口の戸に停止の札を貼っていった。求人の張り紙が並んでいた場所に、役所の印の付いた紙が一枚だけ残った。
階段を下りる足音が消えるまで、受付の間は誰も喋らなかった。
◇
その日の昼、グラントは職員を全員集めた。
「聞いた通りだ。表は、聴聞まで店を閉める」
詰所の空気が下がった。下がり切る前に、グラントは続けた。
「先に金の話をする。停止の間、給金は全額出る。一人も減らさねえし、一文も欠けさせねえ。だから金の心配はするな。……する暇もねえ」
古株の一人が顔を上げた。
「暇も、ねえ?」
「店は閉める。だが帳簿をつけるのを止める規則はどこにもねえ」
グラントは、算盤方と受付の初老の事務員を見た。
「二十年分の帳簿、全部出せ。派遣先、日付、仕事の中身、受け取りの印。苦情の写しが届いたら、一件ずつ突き合わせる」
「……全件、ですか」
「全件だ。うちの帳面に、嘘は一行もねえ。向こうの紙にどれだけ嘘があるかは——突き合わせりゃ、出る」
初老の事務員が、眼鏡を押し上げた。
「二十年、一日も欠かしたことはございません」
「知ってる。だから勝てる」
詰所の後ろで、春に入ったばかりの若いのが、おずおずと手を挙げた。
「あの。……俺も、帳簿の手伝い、できますか」
「おう。目は多い方がいい。数え間違えたら晩飯抜きだ」
「え」
「嘘だ。バルカの飯は全員に出る。閉めてる間も、飯だけはいつも通りだ」
小さい笑いが、詰所に一つ起きた。三日ぶりの音だった。
算盤の音が、戻った。昨日までの重い音ではなかった。
◇
停止の話は、昼過ぎには学園まで届いていた。
瓦版の続報が出たのだ。『夜の口入れ屋、ついに止まる』。刷りたてを握ったカイルが、机を回り込んでくる。
「おい、見たか。早すぎるだろ、この記事。朝に決まったことが、なんで昼の刷りに載ってんだよ」
「……決まる前から、書いてあったんだろ」
「は?」
カイルは紙を見直して、それから、ゆっくり嫌そうな顔になった。セナは何も言わずに、刷り元の名を帳面の同じ頁に書き足した。筆の先が、いつもより強く紙を押していた。
放課後の獣舎で、ノアに呼び止められた。
「先輩。……バイト先、大丈夫なんですか」
一年の頃から世話になっている店が閉まる、と後輩は本気で案じていた。リオは掃除道具を置いて、短く答えた。
「大丈夫に、する」
言ってから、自分の言い方に少しおどろいた。待つ側の言い方では、なかった。
◇
夕方にリオが着いた時には、話は終わっていた。
帳場でグラントは二通の手紙を書いていた。一通目の宛名は、財団の理事会。
「財団に、報せるんですか」
「表の後ろ盾は、表の喧嘩でこそ使うんだ。学園と医院を後援してる財団の名前は、役所の廊下でもそれなりに重い」
「もう一つは」
「テッサ宛てだ。苦情の写しが届いたら、見てもらいてえ物がある。あの嬢ちゃんの目は、紙の上の癖を読む」
リオは、工人展の封じを思い出した。書いた人間の頭ごと読んでいく、あの目のことだ。
二通目を書く手は、止まっていた。宛先を書かないまま、グラントは紙を見ていた。
「……エルムさんの言った通りに、なりましたね」
「ああ。言った通りすぎる」
グラントは二通目を畳んで、引き出しに仕舞った。出さないことに決めたらしい。
「降ると知ってた奴は、雨雲の近くにいる。近くにいて、こっちに傘を寄越した。……どういう商いなのかは、まだ見えねえ」
「悪い人では――」
「悪い奴なら、楽なんだがな」
◇
店仕舞いの刻限に、グラントは梯子を受付の間の外に立てた。
古い商館の三階、階段口の上に木の看板が掛かっている。ヴェイル人材派遣。二十年、雨と日に焼かれてきた字だった。
職員が、全員出てきて見ていた。
古株が手を貸そうと梯子に寄って、断られた。
「自分で掛けたもんだ。自分で外す」
グラントは自分で梯子に上り、自分で看板を外した。
「紙じゃ燃えねえと言ったな」
降りてきて、看板の埃を袖で払った。
「だから、燃やされる前に外して仕舞う。……また掛けるためにな」
看板は布に包まれて、帳場の奥に立てかけられた。
階段の下から、杖の音がした。
苦情の常連の婆さんが途中まで上って、看板のなくなった壁を見上げていた。
「……また掛けるんだろうね」
「おう」
「なら、いいよ。犬の話は取っといてやる」
杖の音が、下りていった。
◇
夜、リオは帳場で役所の紙の束を揃えた。
揃えた一番下から、一枚だけ紙質の違うものが出てきた。
別紙、とある。
――無許可保管の魔物一体につき、追って調査の上、押収の可否を決する。
リオは、その一枚を二度読んだ。
丁寧な字だった。丁寧な字で、ポケットの中の相棒を「一体」と数えていた。名前の欄は、ない。村の数を書く欄がなかった、どこかの帳面と同じ作りだった。
燭台の上で、あかりが首を傾げるように光を揺らした。自分のことが書いてある紙を、自分で照らしていた。
「りお。それ、なに?」
リオは、すぐには答えられなかった。
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