第64話 二度目の茶会
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第64話です。
「行ってこい」
手紙を読んだグラントは、即答だった。
「断らないんですか」
「貸しは貸しだ。それにな、あいつは嘘をつかねえ。嘘をつかねえ商人ってのが、一番厄介なんだ」
グラントは手紙を返して、一つだけ足した。
「言いたくねえことは、言うな。黙る分には負けねえ」
リオは頷いて、上着を取った。
燭台のあかりが、心配そうに光を揺らした。
「だいじょうぶ?」
「茶を飲むだけだ」
「おちゃ、にがい?」
「……たぶん、今日のは苦い」
前の茶会の流儀は、体が覚えている。
あの人は嘘を言わない。こちらにも嘘を許さない。言いたくないことは言わなくていい。それだけ聞くと親切な決まりに聞こえるが、やってみると分かる。嘘という逃げ道を先に塞がれた卓の上では、黙ることしか盾がない。
茶房の前で、リオはポケットに指を入れた。
「中では、灯りを消しててくれ」
「わかった。いき、ひそめる」
あかりはそう言って、本当に光を消した。
◇
大市場の北の茶房は、前と同じ匂いがした。
奥の席も、同じだった。壁が厚く、通りの音が遠い。エルム・シラードは先に座っていて、リオを見ると目だけで笑った。
「お呼び立てしました。お座りください」
茶が来るまで、商会の男は季節の話しかしなかった。茶が来て人払いが済むと、湯気の向こうで指を組んだ。
「約束は、前と同じです。私は今日も、嘘を一つも言いません。あなたは、言いたくないことを言わなくていい。ただし――嘘は、なしだ」
「……はい」
「結構。では、世間話を」
世間話は、学園から始まった。
「ご進級、おめでとうございます」
「ぎりぎりでした」
「ぎりぎりで進む方は、好きですよ。余計な点を取らない。……瓦版の件は、お困りですか?」
「客が減りました。うちの、表の方は」
「でしょうね。ああいう紙は、効きます」
エルムは茶を一口含んだ。
「お生まれは、王都ですか」
リオは、湯呑みを置いた。
「……言いたくありません」
「結構。次に行きましょう」
声の調子は、何も変わらなかった。
「ご両親は、お元気ですか」
「…………」
「結構。次に」
「学園の前は、どちらで学ばれました」
「……独学です」
「ほう。あの腕で」
エルムは驚いた顔を作らなかった。作らないことが、答えを書き留めた印に見えた。
「テッサ・ロディさんは、お変わりなく?」
「元気です。相変わらず、手だけ正確です」
「うちはまだ、三度目のお誘いをしておりません。いい店は、二度断ってくるものですから」
「……本人に言うと、投げ返されますよ」
「存じています。だから、あなたに言いました」
湯呑みが、一度だけ軽くなった。留学組の話も出た。ダリオとヴァンスはよくやっている、ルヴィナの冬は堪えたようだが嵐鷲は元気だ、と商会の男は面談官の顔で言った。そこまでは、茶の味がした。
「南の湿地の干拓は、あれきり止まったままです。誰も、水を運ばなくなった」
「……そうですか」
「ええ。そうなんです」
それは問いの形をしていなかった。していないのに、卓の上に置かれて、しばらくそこにあった。
「竜という生き物を、どう思われます」
「……大きくて、静かな生き物だと思います」
「近くで、ご覧になったことは」
「…………」
「結構」
茶が、注ぎ足された。
リオは湯気の向こうの顔を見た。穏やかで感じがよく、考えは一つも読めない。糸があれば、と考えてやめた。この人に糸は繋がらない。繋がっていい相手でもない。
「最後に、一つだけ」
エルムは湯呑みを置いた。
「十三番窓口は、あなたにとって、何ですか」
それは、飛ばしてはいけない問いに聞こえた。
飛ばせば、窓口が言えない何かになる。答えれば、それはそれで何かを渡す。リオは三呼吸だけ考えて、答えた。
「……バイト先です。飯がうまい」
エルムが、初めて声を出して笑った。
「それは、いい職場だ」
笑いの名残のまま、エルムは茶菓子の皿をリオの側へ押した。
「どうぞ。ここの胡桃の菓子は、王都で一番です」
胡桃の菓子は、本当にうまかった。この人の言うことは全部本当で、だから困る。
◇
帰り際、エルムは店の外まで送りに出た。
「今日の茶代は、貸しの分で結構。代わりと言ってはなんですが、一つ差し上げます」
商会の男は、通りの雑踏を見たまま言った。
「紙の雨は、止みません。次は瓦版ではなく、役所の印の付いた紙が降る。……ご主人に、そうお伝えを」
「……それは、警告ですか」
「情報です。私は商人ですから、ものには値をつけます。これは、ただで差し上げられる値のものだ、というだけです」
「どうして、ただなんですか」
「良い取引相手には、長生きしてほしいからですよ」
エルムは目だけで笑って、頭を下げた。
「良い茶でした。嘘のない茶は、何よりの贅沢だ」
リオは通りを歩きながら、茶会を頭の中でさらい直した。
言いたくないことは、一つも言わなかった。
嘘も、一つもついていない。
何も渡していない。……そのはずだった。
帳場に戻って、警告だけを報告した。グラントは腕を組んで、長いこと黙った。
「役所の紙、ですか」
「ああ。……瓦版は世間の口だ。役所の紙は、国の手だ。手が出てくるなら、話が一段上がる」
「エルムさんは、ただでくれました」
「そこだ」
グラントは、机の上の断り状の束を見た。
「ただより高いもんはねえ、って言うだろう。あいつがただで寄越す時は、別の場所でもっと大きい商いをしてる時だ。……気をつけろ。あの男の親切は、全部本物で、全部商いだ」
◇
奥の席に戻ったエルムは、冷めた茶を一口だけ飲んだ。
従者が茶器を下げに来て、主人の手元に帳面が開いているのを見た。帳面には、問いの並びだけが書いてある。答えの欄は、ほとんど空白だった。
空白の場所が、きれいに揃っていた。
出身。両親。竜との距離。
言わないと決めている場所の並びが、そのまま一枚の地図になっていた。
エルムは帳面を閉じて、窓の外の夕方を見た。
「……勘定が、合いました」
誰に言うでもない声だった。
帳面は、懐の内側へ仕舞われた。売り時の来ていない商品は、金庫より深い場所に置く。それが、あの家で習った仕舞い方だった。
従者には、主人が良い商いをまとめた後の顔に見えた。それ以上のことは、誰にも見えなかった。
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