第62話 生まれた村(後編)
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第62話です。前話の続きからです。
「……どこで会った」
「南の湿地の、池の工事です。始末のあとに、覆面の俺へ寄ってきて、言っていきました。あの時、何が何でも殺しておくんだったな、と」
「意味は」
「分かりませんでした。今、分かりました」
グラントはしばらく黙っていた。
「……そいつは、あの朝を見てる。竜と、竜に守られたガキをな。その上で、竜の池に立つ覆面に、そう言い残していった。どこまで繋げてるかは分からん。だが向こうの帳面じゃ、お前はもう死んでねえ」
「……」
「次に会う時は、向こうも勘定を済ませて来る。そのつもりでいろ。……それも含めて、話は最後までやる」
日は沈みかけて、二十一の灯りの方が水面より明るくなっていた。
「次は、お前が泣かなかった理由だ」
◇
夜が、森の輪郭を呑み始めていた。獣たちの気配は夕方より近い。遠巻きの輪が一段縮まって、送り火を囲む形になっていた。
「先に断っとく。ここから先は、俺が見た話でも、紙の話でもねえ。ネムの見立てと、池の子の言葉の継ぎ接ぎだ」
グラントは、石碑の前の灯りを見たまま言った。
「お前はあの夜、竜に糸を繋いだ。五つか六つのガキが、真竜とだ。糸ってのは、繋がれば通う。お前が一番よく知ってる通りだ。お前の中にあったものが、そのまま竜に流れ込んだ」
「……俺の中の」
「ネムは、怒りと悲鳴だと言ってた。体の外に出る悲鳴じゃねえ。中で上がる方だ。竜はそれを浴びて、池の水ごと立ち上がった。……そして朝になって、浴びたものをどうするか決めた」
グラントはそこで、言葉を選ぶ間を取った。
「竜は、お前の記憶を眠らせた。あの夜のことも、村のことも、親の顔もまとめてだ。奪ったんじゃねえ。ガキの頭が五つや六つで持つには重すぎるものを――預かったんだ」
リオは、灯りを見ていた。
「だからお前は、泣かなかった。泣くための元を、持ってなかったからだ。南の池で思い出したものがあったろう」
「……夏の午後の。池で、誰かが笑ってる」
「返してもらったんだ。預かりの、端の方をな。竜は利子をつけるつもりかもしれん」
「糸が一本しか出ないのも」
「同じ夜の話だ。ガキの時分に真竜と結んじまった糸は、竜に届く太さになった。太すぎて、二本は出ねえ。一本の代わりに、どんなものにも届く。……お前のものさしが世間と合わねえ理由は、全部あの夜にある」
「……残りは」
「竜が決める。預かり物ってのは、そういうもんだ」
グラントは、湿地のある南の闇へ顎をやった。
「ただ、端を返してきたってことは、返す気はあるのさ。器が育つのを待ってるんだろう。……会いに行く日が、いつか来る」
◇
「蓋のことを知ってたのは、俺とネムだけだ」
グラントは続けた。
「お前は小さい頃、眠るのが怖いと言った。目を閉じたら、また何か、なくなってる気がすると。……ネムの歌は、寝かしつけじゃねえ。蓋が軋む夜に、軋みを鎮めてた。あいつは十年、お前の眠りの水位を見てたんだ」
「……知りませんでした」
「知らせなかったからな」
グラントは、初めて石碑からリオへ目を移した。
「開ける話も、二人で何度もした。開けなかった。壊れないためだと、理屈はつけた。だがやってたことは同じだ。親の名前も村の場所も蓋のことも、知る筋はお前にあった。それを十年、俺とネムで握ってた」
声は、帳場で依頼を断る時と同じ高さだった。同じ高さのまま、続けた。
「恨んでいい。そのために、ここへ連れてきた」
風が、灯りを順に撫でていった。
リオはすぐには答えなかった。答えの代わりに、池を見た。主のいない水面は暗くなりかけて、灯りの映りだけが残っている。
「……理不尽だとは、思います」
出てきたのは、その言葉だった。
「竜一匹のために、村一つ。帳面の右側だけ見て、二十一人。筋が、どこにも通ってない」
「ああ」
「でも、それはやった側の話です。黙ってた側の話じゃない」
リオは、グラントを見た。
「親の顔は、思い出せません。それでも、魔物といると胸のここがあったかくなる。白い中で、名前を呼ぶ声がする。中身は聞こえないのに、怒られてる気はしない。……それで、足りてました。足りるように育ったのは、帳場と、宿と、歌のおかげです」
「……」
リオは一度だけ、焼けた村の方を振り返った。緑に呑まれた礎石の並びはもう夜の底に沈んで見えない。それでも井戸の跡のあたりだけは、分かる気がした。
「黙っててくれたから、普通に育てられた。だから、恨みません」
グラントは何か言いかけて、やめた。
代わりに長い息を一つ吐いた。十年分の長さだった。
「……怒らねえのか。俺にじゃなくて、白庭にだ」
「置き場所は、決めました」
リオは、池から目を離さずに言った。
「会った時に、出します。それまでは、仕舞っておきます」
膝の上で、あかりの光がゆっくり戻った。細くも赤くもない、いつもの色になった。
「……二人は、どんな人でしたか」
「ヨナスは無口で腕っぷしが強くて、飯を山ほど食った。エマはよく笑って、人の話を最後まで聞いた」
「俺は、どっちに似てますか」
「半分ずつだ。……寝てばっかりなのは、どっちにも似てねえ」
「じゃあ、そこだけが俺です」
グラントが、短く笑った。この場所で笑っていいと分かる、笑い方だった。
「りお。かなしい?」
「……いや。大丈夫だ」
「じゃあ、よかった」
長い話が、終わった。
◇
帰り支度の間に、あかりが二十一の灯りを一つずつ仕舞っていった。
最後の一つの前で、止まった。
「ひとつ、おいてく」
「……なんで」
「るすばん」
石碑の前に、灯りが一つ残った。夜の森の中で、そこだけが小さく明るかった。
森を抜ける間、獣たちが途中まで付いてきた。来た時と同じ距離で、同じ数だけ。見送りの作法を知っている森だった。
湿地の縁に繋いだ馬は、二人を覚えていて鼻を鳴らした。
出る前に、マルタの包みの残りを分けた。夜の空気の中で食う飯は、塩がよく効いていた。
「……あいつの飯は、塩加減が上手い」
「知ってます」
馬車は、暗くなった街道を北へ戻った。
御者台のグラントは、ほとんど喋らなかった。行きと同じ喋らなさに見えて、違った。長い間仕舞ってあったものを、ようやく下ろした後の喋らなさだった。
隣で、リオの頭が揺れ始めた。
揺れて傾いて、グラントの肩に当たった。
グラントは、手綱を持ち替えただけだった。
月の下の街道を、馬車の音だけが進んでいく。グラントは前を向いたまま、眠った横顔へ口の中で言った。
番人が毎晩、池に伝えていた文句だった。
「変わりはない。今日も誰も来ない。……ゆっくり眠れ」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
両親編の核になる三話でした。ここまで読んでくださった方に、心からお礼を。もし「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや評価で応援いただけると、この先の執筆の励みになります。
次回もよろしくお願いいたします。




