第61話 生まれた村(中編)
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第61話です。前話の続きからです。
日が、傾き始めていた。
二十一の灯りが石碑の前で揺れて、池の面に小さく映っている。リオは言われた通りに座り、グラントは隣の石に腰を下ろした。
ラウルの弦はもう聞こえない。森へ帰っていく獣の声と、夕方の風だけが残っていた。
「先に、言っとく」
グラントは池を見たまま口を開いた。
「俺はあの夜をこの目で見てねえ。知ってるのは、次の朝に見たものと十年かけて紙で調べたことだ。繋げて話す。穴があったら、穴のまま渡す」
「はい」
「それともう一つ。……お前には、火事だと言ってきた。嘘だ。火は、付けられたんだ」
リオは、池を見た。
主のいない水面が、夕日を割らずに受け止めていた。
「……聞きます」
「ああ。そのために連れてきた」
ポケットの中で、あかりが光を細くした。細くしたまま、消えはしなかった。
◇
あとから繋いだあの夜の形は、こうなる。
十年前の、夏の終わりの夜だ。
村は寝静まっていた。夜の仕事から退いた年寄りの多い村で、灯りの消えるのが早い。
一番奥に、池に面した家があった。
番人の家だ。
番人の仕事は、池の底で眠る竜に「ここにいる」と伝え続けることだった。夫婦は夜ごと水面に細い糸を垂らして、眠りを邪魔しない深さで同じことを伝えた。変わりはない。今日も誰も来ない。ゆっくり眠れ。
その池に、初めて客の来た夜だった。
最初の火矢は、風上の屋根に立った。
一本ではない。十を超える数が、村の入り口側の屋根へ順に立った。
夜襲の火には理屈がある。暗闇で、火を放った側だけが目を持てる。住む者は消火に手を取られて散り散りになる。矢は、近寄らずに届く。そして――獣は、火を恐れる。
獣と結ぶ者たちの里から、先に獣を遠ざけるための火だった。
撃ち込んだのは、国の兵ではない。ルヴィナの冒険者の一隊だった。腕は立つが素行で干された連中が、依頼書を一枚持たされていた。凶悪な魔物を匿い、ルヴィナを襲わんとする賊の里がある。依頼書には、そう書かれていた。
連中は、それを信じていた。
一人だけ、信じていない男が隊の後ろにいた。依頼書の中身が作り話だと知っていて、黙っていた男だ。
村は、ただ焼かれはしなかった。
退いたといっても、夜の側で生きた者たちだ。年寄りが斧と鍬で燃える道を塞ぎ、子供と孫を裏手へ逃がした。それでも火は入り口から順に家を呑んで、村並びの奥へ進んだ。
ヨナス・アルクスは、村の口へ走った。契約獣はいない。それでも体は、若い頃に夜の仕事の一番荒いところで鍛えてあった。燃える道の真ん中で、その体が矢と剣をひとしきり止めた。
エマ・アルクスは、子を抱えて池へ走った。
池までの道を、番人の妻は誰よりも知っていた。
ここから先を見た者は、いない。
分かっているのは、終わりだけだ。
夜明け前、池の水が立ち上がった。
水音。悲鳴。それきり、何もない。
湿地の鳥が一斉に飛んだと、離れた宿場の記録にある。夜が一度だけ白く光った、とも。
朝の池には矢も剣も、それを握っていた者も、まとめて浮いていた。
◇
「俺のところには、使いが来た」
グラントは、揺れる灯りを見たまま言った。
「夜中に帳場の戸を叩く音がしてな。開けたら、ずぶ濡れの子供が立ってた。……人じゃねえ。池の竜が、自分の代わりに外へ出す子だ。エマが前に言ってた。何かあれば、この子が走るとな。だから戸を開けた時に分かった。何かが、あったんだと」
「……」
「馬を二頭潰して、朝に着いた。村は、見ての通りだ。礎石の数だけ家が燃えてた」
グラントは、池を指した。
「あそこに、竜がいた。ガキを一人、前脚の間に抱えて座ってた。俺が近づいても動かなかった。眠ってるお前を、自分から俺の腕に渡した」
「……俺は」
「眠ってた。それから三日、起きなかった」
竜はその夜のうちに池を捨てた。以来、この水面に主はいない。
「ガルドとネムを呼んで、三人で全員を運んだ。墓の話は、昨日までで分かったな。それともう一つある。起きたお前は、泣かなかった」
グラントの声が、そこで一度止まった。
「飯を食っても、歌で寝かされても、泣かなかった。それがどういうことなのかって話は、この続きにある。順番に行く」
「……はい」
「相手が誰かは、十年、分からなかった」
グラントは続けた。
「実行の連中は余所者の冒険者で、全員死んでた。口入れの帳面は偽名だ。辿れる紙が、どこにもなかった」
「……今は」
「ある。この春、瓦版の件で白庭って商会を裏から洗った。そうしたら、十年前の紙が出てきた。例の依頼書の写し。それと、竜を生かしたまま運ぶための特注の檻。その発注の控えだ」
グラントは、初めてリオを見た。
「殺すなら、檻は要らねえ」
「……なんで、村を」
「邪魔だったからだ」
狙いは、池の竜だった。生かして持っていって、使うなり試すなり剥ぐなり好きにするつもりだった。番人の夫婦がいて、獣と結ぶ者たちの里がある。竜を黙って運び出すには、目と手が多すぎた。だから先に、村ごと潰した。
「言っとくが、ルヴィナって国がやったんじゃねえ」
リオが口を開くより先に、グラントは言った。
「ルヴィナは、魔物を狩る国だ。狩りは向こうの暮らしで、善し悪しはまた別の話だ。白庭は、その狩りの上前で肥えた商会だ。国は知らん。……やったのは、白庭だ」
あかりがポケットから出て、リオの膝に降りた。
光は細いままだった。細いまま、膝の上から動かなかった。
◇
「実行の隊は、あの朝、全員が池に浮いてた」
グラントは、話の最後の一本を置くように言った。
「――一人だけ、浮いてなかった」
「……生きてる」
「生きてる。今は白庭の中で成り上がって、通り名まで持ってる。庭の主の剣。白庭の剣だ」
「……剣」
「ルヴィナじゃ、別の語られ方をしてる。賊の砦を潰しに行った隊が竜に呑まれて、一人だけ歩いて帰ってきた男。濡れてもいなかったそうだ。……向こうじゃ、英雄扱いだとよ」
向こうの語りでは、この村は賊の砦のままだ。焼いて正しい場所ということになっている。
「どうやって一人だけ竜の水から逃げたのかは、分からねえ。人相書きも取れなかった。ただ、特徴が一つだけ紙に残ってた」
灯りが、風もないのに一つ揺れた。
「左の耳が、半分欠けてる」
リオは、動かなかった。
膝の上の光だけが、ほんのわずかに赤へ寄った。寄って、戻らなかった。
リオの中で、遠い場所にあったものが繋がった。
南の湿地の、水竜の池。工事の始末のあとで、馬の降り方だけ商人と違う男が覆面の自分に残していった言葉。
――あの時、何が何でも殺しておくんだったな。
「……その男なら」
声は、出た。
「見た」
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次回、生まれた村(後編)です。




