第59話 三年目の朝
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ここから三年生編です。
三年の教室は、二階の一番端だった。
窓から正門がよく見えて、授業を抜け出すには一番遠い。どういう配置だ、とカイルが初日から文句を言った。
席は、また隣になった。
「三年もよろしくね」
「ああ」
「三年目の抱負は」
「……卒業したい」
「始まった日に卒業の話をしないの」
廊下では、二年になったノアが一年を引き連れて歩いていた。獣舎の決まり、演習場の使い方、寄ってくる魔物との目の合わせ方。教えている中身の半分は、去年リオが教えたことだった。教え方の癖まで似てきている。
卒業していった三年主席は、最後まで覆面の名を聞かずに学園を出た。検疫舎から二頭を引き取る日、リオとすれ違って会釈を一つだけ残していった。窓口のバイト君、とだけ呼ばれた。それでいいと思った。
◇
騒ぎは、三日目の朝に来た。
「おい、リオ。……これ、お前のバイト先じゃねえか?」
カイルが机に瓦版を広げた。
刷りたての一面に、太い見出しが躍っていた。
『十三番窓口の夜――苦情の受付か、裏の口入れ屋か』
記事は、長かった。
曰く、役所の窓口のはずが夜更けに人の出入りがある。曰く、帳面に載らない仕事を受けているという証言がある。曰く、冬の倉庫街の騒ぎの夜、窓口の者を名乗る男たちが衛兵より先に現場を仕切っていた。曰く、獣医師会に鍛冶、果ては竜技団まで妙に顔が利く。
リオは、最後まで読んだ。
読んで、一番嫌なところに気づいた。
嘘が、一行もない。
全部、本当のことだった。本当のことだけを並べて、並べ方で黒く見せている。読み終えた者の頭に残るのは「何かを隠している役所」だけだ。
「夜に出入りって、おっかねえな。リオ、見たことあるか?」
「……さあ」
「さあって、お前」
セナは瓦版を手に取り、裏返して刷り元の名を確かめていた。聞いたことのない刷り元だった。帳面に書き留める手つきだけが、いつも通りに正確だった。
◇
同じ朝、南の街道から王都へ一人の男が入った。
旅装の、中年の男だ。左の耳が半分欠けている。
門の脇で瓦版を一部買い、歩きながら読んで笑い皺を深くした。
「……派手にやってるな」
誰にともなく呟いて、男は雑踏に混ざった。
男の仕事は確かめることだった。
窓口の裏に続くという覆面の線。倉庫街の夜の報告書は、何度読んでも引っかかった。三日飢えさせて薬で昂らせた獣を、一呼吸で寝返らせた。そんな芸当をやる人間を、男は一人しか知らない。
十年前の、燃える村の池で。
泣きながら竜を起こした、あのガキだ。
ガキは死んだはずだった。村ごと燃えたのだから。死んだという報告も、上がっている。
――だが、生きてりゃ、いくつになる。
男は歩きながら、指を折った。
覆面は声が若い。手が若い。学生くらいだろう、と調べは言っていた。
勘定が、合ってしまった。
男は角の酒場を横目で確かめて、入らずに離れた。仕事の前は飲まない主義だった。
◇
放課後の帳場は、静かだった。
静かすぎた。苦情の客が一人も来ていない。表の帳面は、三日前から白いままだった。
「……効いてるな」
グラントは机に積んだ瓦版の束を見て言った。怒ってはいなかった。それが逆に、怖かった。
「嘘が書いてあれば、否定すりゃいい。だがこれは全部本当だ。本当のことだけで、人の信用は殺せる。……上手いやり方だ。紙と評判で殺しに来てる」
「どうするんですか」
「表の商いは、しばらく痩せる。覚悟しとけ」
グラントは束を紐で縛った。縛ってから、手が止まった。
燭台の上で、あかりの光が細くなった。いつもと違うものを、小さな灯りは先に感じる。
「ぐらんと。……どこか、いくの」
「ああ」
グラントは帳面を閉じた。
毎年、夏の終わりに丸一日だけ帳場を空ける人だ。どこへ行くのかは、誰も聞かない。その一日をこの人は今、春に動かそうとしている。
「リオ」
「はい」
「次の休み、空けとけ。……付き合ってもらう場所がある」
「仕事ですか」
「仕事じゃねえ」
グラントはリオをまっすぐ見た。
十年で、初めて見る目だった。
「お前が、生まれた村だ」
帳場の時計が、一つ鳴った。
行きます、と答えた自分の声が、自分の声ではないように聞こえた。
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