第57話 腹いっぱいの火
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第57話です。
冬の稽古場では、ガルドの特別授業が今日も開かれていた。
特別といっても、カイルが素振りをして、ガルドが壁にもたれて眺めるだけだ。教えている時間より、欠伸の時間の方が長い。
その欠伸の合間に、ガルドが言った。
「おい、レオンハート。お前の剣、拗ねてんぞ」
「……やっぱりそうっすよね。最近、纏いの乗りが悪いんです。機嫌の取り方が分かんなくて」
カイルは鞘の上から刃を叩いた。返ってくる熱が、ぬるい。そっぽを向いた熱だった。
柵の外で見学していたリオは、鞘に細い触れ糸を当てて囁いた。
「どうした」
――つまらん。百年ぶりに山から出たのに、燃やすものが藁。藁、藁、たまに薪。おれは藁を食うために剣に入ったんじゃない。
即答だった。
リオは糸を離して、そのまま伝えた。
「藁ばっかりで、つまらないそうだ」
「贅沢言うなよ! 街中で燃やせるものなんか、藁しかねえだろ!」
鞘の熱が、ぷいと下がった。
会話は、成立していた。成立した上で、決裂していた。
◇
その日の夕方、十三番窓口の表の帳場に苦情が三件届いた。
どれも同じ中身だった。南の街道の脇に荷車が乗り捨てられ、木箱が割れて散らばっている。近くの林で獣が暴れていて、薬のような嫌な匂いがする。怖くて薪拾いに行けない。
帳場の奥でグラントが帳面を閉じた。
「ガルド。仕事だ」
「あいよ」
「南の街道だ。白庭の下請けが、例の首輪と薬の在庫を運びきれずに捨ててった。中てられた獣が暴れてる。……獣を散らして、荷は獣医師会の立ち会いで始末だ」
「散らすのは俺一人で足りる。だが始末の方は、火仕事だろ」
ガルドは首を鳴らして、戸口で足を止めた。
「……ちょうどいい小僧を知ってる」
ガルドは稽古場へ寄って、カイルの襟首を摘んだ。
「レオンハート。実戦だ、来い」
「じ、実戦!?」
「獣が暴れてる。それと、燃やす仕事がある。……剣の機嫌直しには、ちょうどいいぞ」
「燃やす仕事って……俺、剣士なんすけど」
「剣で燃やすんだよ」
鞘の熱が、ぴくりと上がった。現金な熱だった。
荷物持ちとして、リオも付いていくことになった。
「お前も来んのか」
「バイトだから」
「お前のバイト、ほんと何でも屋だな」
◇
現場は、苦情の通りだった。
乗り捨てられた荷車。割れた木箱。転がった薬瓶と、見覚えのある革の首輪の山。昂らせる道具の在庫だった。売り先を失った誰かが、王都の外へ運ぶ途中で投げ出したらしい。
割れた瓶の匂いに中てられて、林の中でホーンエルクが暴れていた。角鹿とも呼ばれる中型の魔物が、三頭。木の幹に角を打ち付けては、荒い息を吐いている。
「手順を言うぞ」
ガルドが顎で林を指した。
「魔物を街道に出すな。カイル、火の壁だ。林との間を一本、長く焼け。……殺すなよ。通せんぼだ」
「殺さなくて、いいんすか」
「追い払えれば、それでいい」
答えたのはリオだった。
「あの子たちは被害者だ。薬の匂いが抜ければ、ただの鹿に戻る」
「分かったよ。……言っとくけどな、俺は剣士だからな。壁職人じゃねえからな」
ぶつぶつ言いながら、カイルが剣を抜いた。
刃が、待っていたように橙に光った。拗ねていた熱が、嘘のように高い。
「お前は乗り気かよ!」
横薙ぎに一閃。
街道と林の間の枯れ草の上に、炎が一本の線になって走った。高さは腰まで。煙は、ほとんど出ない。白に近い澄んだ橙の壁が、冬の夕闇に立ち上がった。
ホーンエルクたちが壁の手前で向きを変える。そこへリオの触れ糸が届いた。
――森へ帰れ。水をたくさん飲んで、寝ろ。嫌な匂いは、それで抜ける。
三頭は壁に沿って駆けて、森の奥へ消えた。角の一打ちも、誰にも当たらずに終わった。
リオの糸にはもう一つ、別の声が飛び込んできていた。
――うまい! やっぱりこいつの魔力はうまい! 藁なんかと量が違う、食っても食っても減らない!
火の壁の声だった。壁の炎が、要りもしないのに二度跳ねた。
「……魔力が、うまいそうだ」
「俺は飯じゃねえ!」
◇
後始末には、ミラが呼ばれた。
獣医師会の先生は、散らばった首輪と薬瓶を検分して迷わなかった。
「全部、燃やして。埋めれば土に残るし、流せば川の獣にまわる。焼き切るしかないの。……ただし、並の火だと毒の煙が出るわ。風下の村まで獣が倒れる」
「煙の出ねえ火なら、ここにいる」
ガルドが、カイルの剣を親指で差した。
街道の脇に穴を掘り、首輪と薬瓶と割れた木箱を積み上げた。小さな山になった。
「カイル。好きにやれ」
「……だから、俺は剣士であって、焼却炉じゃねえんだけどな」
ぼやきながら、カイルは剣を両手で構えた。構えた手つきだけは、文句と裏腹に丁寧だった。
「おい、ホムラ。聞こえてんだろ。晩飯だ。食い放題だぞ」
刃が、白く光った。
炎が山に落ちて、音もなく広がった。瓶が溶ける。革が縮んで消える。首輪の魔石が小さく弾けて、弾けた端から炎に食われていく。煙は一筋も立たなかった。毒ごと、灰も残さず焼き切っていく。
――もっと! もっとだ!
「まだ食うのかよ! 俺の魔力はお前の飯じゃねえっつってんだろ!」
カイルの膝が、一度沈んだ。沈んで、持ち直した。文句を言う口と裏腹に、刃に注ぐ魔力は緩めなかった。
「ったく……際限ねえな、お前は!」
怒鳴りながら、カイルは笑っていた。
炎がひときわ高く伸びた。伸びて、満足げに細くなって刃の中へ帰っていった。
穴の底には、何も残っていなかった。灰さえも。
リオの糸に、満ちた声が届いた。
――……うまかった。百年ぶりに、腹いっぱいだ。
言ってやろうかと思ったが、やめた。
隣でカイルが、剣を杖にして立っていた。立っているのがやっとの顔で、それでも鞘に納めた剣を一度だけ叩いた。
よくやった、の叩き方だった。
鞘の熱が、一度だけ上がった。
◇
帰りは、眠り鹿の宿に寄った。勘定は窓口持ちだとガルドが言った。
カイルは腕が上がらなくなっていて、匙を持つ手が震えていた。震えたまま、三人前食べた。マルタは何も聞かずに四人前目を置いた。
「……なあ、リオ」
「なんだ」
「さっき、燃やし終わった後さ。こいつ、なんか言ってたろ」
カイルは背中の剣を、肩越しに親指で差した。
「……どうして、そう思う」
「熱の上がり方が、いつもと違った。あれはあれだ、喜んでる時の上がり方だ。……うまかった、って言ったろ」
リオは、匙を止めた。
止めて、少し笑った。
「……ああ。うまかった、百年ぶりに腹いっぱいだ、って」
「へへ。分かるようになってきた」
カイルは四人前目に取りかかった。
背中の鞘の中で、熱が返事のように一度だけ上がった。
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