第53話 光の文字 〜夜空の救援信号〜(後編)
お読みいただきありがとうございます。
第53話の後編です。
縄の結び目は三つ。見張りの足音は五通り。扉は南に一つ、換気の窓は高いところに四つ。
数えるものがあるうちは、怖さを薄めていられる。
セナ・ラティスは暗い倉庫の壁に背を付けて、数を数えていた。帳面はない。ないなら、頭の中に頁を作るだけだ。
「喋るな、とは言わん」
右隣でベルント・シュタムが低く言った。縄の中でも、主席の声は崩れていなかった。
「小声にしろ。体力は、逃げる時のために取っとけ」
「……はい」
左隣のノアの声は、小さく震えていた。震えを抑え込もうとして、余計に震える震え方だった。
「すみません。……寒いだけです」
「ええ、寒いわね」
セナは話を合わせた。合わせてから、数えた結果を小声で並べた。
「整理するわよ。私たちは、たまたま攫われたんじゃない。選ばれたの。一年の一番、二年の一番、三年の一番。それも全員、魔物と離れた瞬間を狙われた。あなたの二頭は検疫舎、ゼルは学園の獣舎、うちの子たちは家。……偶然で、ここまで揃わないわ」
「……で、狙いは」
答えは、夜になってから来た。
◇
ランタンを提げた男が入ってきた。
印象に残らない中年の男だった。地味な上着。几帳面に並んだ足音。男は三人の顔を順にランタンで照らして、丁寧に頭を下げた。
「夜分に失礼。確認だけです」
声まで印象に残らなかった。
「あなた方のうちのどなたかが、覆面と呼ばれる方だ。我々はそう考えています」
「……何の話ですか」
ノアが言った。知らないのだから、当然だった。
「結構。知らないなら知らないで、結構です」
男は本当に結構そうに頷いた。
「明日、確かめさせていただきます。それまでお休みください。毛布は、後で人数分」
「どうやって確かめるの」
セナは聞いた。聞かずにいられなかった。
男はランタンを持ち直して、出口で一度だけ振り返った。
「痛い話ではありません。……ご本人以外には」
扉が閉まり、足音が几帳面に遠ざかった。
ノアの震えが戻ってきた。今度は寒さのせいにもしなかった。ベルントが縄の中で身じろぎして、吐き捨てた。
「舐められたもんだな。……テイマーは、魔物が居なけりゃただの学生か」
その通りよ、とセナは思った。
その通りだから、悔しかった。
◇
夜半、換気の窓で小さな音がした。
灰色の影が梁を走り、壁を伝い、縄の中のセナの手元へまっすぐ飛び込んできた。
「……っ」
声を、寸前で殺した。
スズだった。
小さくて、温かくて、心臓がうるさいくらい速い。セナの指の間に鼻先をねじ込んで、それから思い出したように咥えてきたものを手のひらに押し付けた。
筒だった。三本繋ぎの、一節だけ。
目を閉じなくても分かる。テッサの、光の筒。
誰が持たせたのかは、考えるまでもなかった。この子は昨日から、あの鞄の底で寝ていた。
涙が一粒だけ出た。一粒で止めた。
「……遅いわよ」
スズは返事の代わりに縄を齧り始めた。鼬の歯は、仕事が早かった。
糸から伝わってくるものは、もう怖いではなかった。安心と、急ぎ。言葉はなくても、十分だった。
◇
「……正気ですか、先輩」
「正気よ。だから賭けるの」
縄を解いた三人は、積み荷の陰にいた。セナの手の中で、筒が小さく光っては消えた。
「換気の窓は北向き、扉は南。見張りは寒いから火桶のそばを離れない。光は外からしか見えない。賭けるだけの目はあるわ」
「光らせて、どうするんですか」
「合図にするの」
昨日の卓で、テッサが言っていた。区切り方を決めておけば、光が言葉になる。
裏を返せば、決めごとがなければ言葉にはならない。決めごとを作る暇は、なかった。
でも、合図なら決めごとは要らない。
「同じ長さで三つ。間を置いて、また三つ。それを繰り返すわ。……自然の光は、こんな瞬き方をしない」
ここにいる。無事でいる。手は自由になった。
込められるのは、それだけだ。それだけで十分のはずだった。スズを寄越した誰かは、外で必ず見ている。
「台になる」
ベルントが窓の下で膝を突いた。大柄な三年の肩は、二年生一人を載せてもまったく揺れなかった。ノアが扉側の闇に立って、耳を澄ませた。竜と暮らす一年の耳は、夜に強い。
一年が耳で、三年が台で、二年が光。
学園の教本のどこにも載っていない共同作業だった。
セナは窓の桟に手を掛けて筒の端を指で塞いだ。
放す。塞ぐ。長く。短く。
夜の倉庫街に、細い光が瞬き始めた。
◇
送り終えて、セナは呼吸を数えた。
十を超えると、人は天気の話を始めたくなる。いつかの川辺で、そう教えた相手がいた。
十一呼吸目だった。
向かいの屋根の影で、光が瞬いた。
同じ長さで三つ。間を置いて、また三つ。
こちらと同じ律だった。合図に、同じ合図が返ってきた。……読んだ人が、いる。
膝から力が抜けそうになって桟を握り直した。
「……誰か、いるんですか。外に」
下からノアが囁いた。
「ええ」
「味方か」
「ええ。それも――」
セナは屋根の影から目を離さずに答えた。
「とびきりの、よ」
◇
屋根の上で覆面は筒を懐へ戻した。
言葉は、何も来なかった。来なくても、分かることは全部あった。
同じ長さで三つ、間を置いてまた三つ。手の震えのない、落ち着いた律だった。縄を解いて、窓まで上がって、光を振れるだけの自由があの中にある。胸元のスズの糸でも、怖いはもう薄れていた。
あの倉庫の中で、もう誰も泣いていない。それが一番の報せだった。
「……十分だ」
怒りは、仕事の形に畳んだはずだった。
畳んだ形のまま、燃えていた。
扉の外で火桶を囲んでいた見張りの一人が、ふと屋根を見上げた。
何もいなかった。
夜明けまで、あと二刻あった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。
次回、救出です。




