第53話 光の文字 〜夜空の救援信号〜(前編)
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第53話です。前・後編でお届けします。
馬車は大通りを使わなかった。
エルムの御者は口が堅いだけでなく、道の選び方も堅かった。裏道を三つ繋いで十三番窓口の前に馬車を着けると、何も聞かずに帽子だけ上げて帰っていった。
帳場に飛び込むと、グラントは奥にいた。
リオは台の上に予定の帳面を置いた。角の土と、線の引かれていない今日の頁。
それで、全部通じた。
「……座れ。水を飲め」
「グラントさん」
「飲め。これから長い夜だ、最初に走る奴から倒れる」
リオが水を飲み干す間に、グラントは帳場の裏へ短い声を三つ飛ばした。夜の側の声だった。昼の窓口では聞かない速さで、二人が裏口から夜へ出ていった。
戻ってきたグラントは、台の上に報せを二枚並べた。
「夕方からの届けだ。学園から一枚。ヴェルナー家の一年が、獣舎に竜を預けたまま戻らん。検疫舎から一枚。三年の主席が、荷の確認に出たきり消えた」
「……セナで、三人目」
「学園のトップテイマーが、揃って同じ日に消えた。偶然って顔ができる奴は、王都にいねえよ」
グラントは報せを畳んだ。
「狙いはお前さんだ、覆面。白庭は覆面を若い学生だと踏んで、学園で一番のテイマーから順に攫った。どれかが覆面だと思ってやがる」
「……なら、人違いで三人攫われたのか」
「お前が一頭も連れて歩かないおかげでな」
リオの手が、台の上で固まった。
帳簿の上では万年ゼロ。目盛りの外に立っている人間は、ゼロに見える。あの日セナが悔しがってくれた数字が、今夜はセナを攫う側の名簿になった。
「顔に血が上ってるぞ、小僧」
グラントの声は、動かなかった。
「慌てるな。考えろ。白庭は商売人だ。確かめもしないで商品に傷はつけん。覆面がどれか分かるまで、三人は無事だ。……時間はある。今夜ひと晩だ」
「ひと晩で、何をする」
「表は俺が止める」
グラントは指を一本立てた。
「衛兵が倉庫を叩けば、荷ごと消される。学園にもラティスの家にも、窓口から話を通して、朝まで表を黙らせる。騒ぎは白庭の耳にも入るからな。……それから、夜は」
「……俺の仕事だ」
「覆面の仕事だ。言っとくが、一人とは言ってねえ」
グラントの顎が、リオの胸元を指した。襟の内側から、スズが顔を出していた。
「鼬を借りてる以上、もう二人だ」
帳場の燭台で、あかりの光が揺れた。いつもの橙ではなく、赤に寄った揺れ方だった。
「しろにわ」
「……ああ」
「あかりも、おこってる」
去年、箱の中にいた子の声だった。
◇
同じ夜、王都の南のラティス家では獣舎の十一匹が吠え続けていた。
なだめても、餌を見せても、止まらなかった。セナの父は厩の親方を三十年やってきて、獣が理由もなく吠えないことだけは骨で知っていた。
夜半、十三番窓口の使いが来た。
口上は短かった。娘さんは攫われた。狙いは人違いで、商いの筋の攫いだから、命を取る話ではない。居場所の調べはついている。騒げば荷ごと動かされる。だから朝まで、表は騒がせない。
「朝までに、必ず連れ戻します。十三番の名で、お約束します」
親方は拳を一度だけ固めた。
固めて、ほどいて、頭を下げた。
「……役所が、必ずなんて言うのは初めて聞いた」
「言わない決まりなんです。今夜は、特別です」
使いを見送ってから、父はもう一度獣舎に入った。
入って、気づいた。
「……全員、同じ方を向いてる」
十一の鼻先が、揃って北東の夜空を指していた。倉庫街の方角だった。
柵の一番手前で、フワが戸を掻いていた。小さな体で、戸の隙間に鼻をねじ込もうとしていた。
父はフワを抱き上げた。
「お前の主人は、学年一だ」
言い聞かせる声は、半分は自分に向いていた。
「朝まで、泣かずに待てる子だ。……だからお前も、待て」
◇
夜の修理屋の戸を、リオは叩いた。
ロックウェル修理店は店じまいの後で、それでも二階に灯りがあった。降りてきたテッサは、寝間着の上に仕事の前掛けだけ着けていた。
「……リオくん?」
「悪い。夜に」
リオは銀貨を台に置いた。
「光の筒を、一本」
夜中に、玩具を買いに来る客はいない。
テッサはリオの顔を見た。魔力の流れを見る目は、たぶん人の顔色も同じくらい見る。昨日の、変な目の話をした時の納得しない顔が一瞬だけ戻ってきた。
戻って、消えた。
テッサは何も聞かずに棚から筒を下ろし、継ぎ目を外して三本繋ぎを一節にした。
「……一節なら、袖にも入るよ」
「助かる」
「区切り方、覚えてる?」
「昨日、聞いた」
「うん。……手伝い、いる?」
「これが、その手伝いだ」
「そっか」
テッサは銀貨を、リオの方へ押し返した。
「売り物じゃなくて、貸しにする。返しに来て。……直しに来る客の顔で」
壊れない道具より、直せる道具。うちの実家の流儀、と昨日この人は言っていた。
リオは銀貨をしまって、一節の筒を懐に入れた。
今夜だけで、貸しが二つになった。返す当ては、まだない。
◇
倉庫街は、夜になると音の数が三つまで減る。
川の音と、見回りの靴と、倉庫の軋み。配達で二年歩いた耳が、そう覚えていた。
リオは覆面を着けた。布を巻く手が、いつもより速かった。
手掛かりは二つ。荷車の轍が倉庫街の側へ続いていたこと。そして、胸元のスズ。
糸は、方角を教えない。教えないが、濃さが変わる。スズの受けている怖いは、セナに近づくほど濃くなる。碁盤の目の倉庫街を一筋ずつ歩いて、濃くなる筋だけ残す。
――……こっち、こい。
スズが襟の中で鼻先を動かした。怯えの声は、もう見張りの声に変わって久しい。小さな獣は、震えながら仕事をしていた。
三筋目で、濃さが跳ねた。
窓のない古い倉庫だった。高いところに換気の窓が並び、扉の前には男が二人。夜の倉庫番にしては、荷を守る気配がなかった。守っているのは、扉そのものだった。
リオは隣の倉庫の屋根に上がった。
上がって、懐から一節の筒を出した。手の中で一度だけ光らせて、すぐ消す。
念のために言えば、スズはリオの魔物ではない。触れ糸に、命令は乗らない。乗らなくても、この子は聞く。人の鞄の底を寝床に選ぶ子は、その人間の頼みを、頼みとして聞いてくれる。契約ではなく、縁の側の話だった。
リオは触れ糸を繋いだまま、囁いた。囁きは、糸が言葉にして運ぶ。
「換気窓から入れ。セナに、これを渡せ。使い方は、セナなら分かる」
――わたす。それから?
「それだけでいい。あとはセナが考える。学年一だからな」
――……こわい、けど、いく。
「……頼んだ」
スズは筒の一節を咥えて、屋根の縁から夜へ降りた。灰色の小さな体が月のない側を選んで壁を走り、高い換気窓の闇に吸い込まれて消えた。
覆面は屋根の上で、長い息を一つ吐いた。
怒りを、仕事の形に畳むための息だった。
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次回、後編です。




