第52話 工人展の外(後編)
お読みいただきありがとうございます。
第52話の後編です。
翌日の昼、眠り鹿の宿の前にセナが来た。スズの回収のためだ。
スズは、出てこなかった。
リオの鞄の底で丸くなったまま、覗き込んだセナの指を甘噛みしてまた丸くなった。
「……スズ。あなた、うちの子よね」
返事の代わりに、鞄の中で尻尾が一回だけ振られた。
セナは糸を読む目になって、短く黙った。
「……満腹で、ぬくぬくで、上機嫌。連れて帰る理由が、感情のどこにもないわ」
「悪い。餌はやってない」
「分かってる。マルタさんの匂いね、これ。厨房の匂いが染みた鞄なんて、鈴尾鼬には寝床そのものよ」
セナは諦めて立ち上がった。
「夕方、茶会が終わる頃にまた来る。それまで預けるわ」
「茶会のこと、言ったか」
「封書を見たもの。シラード商会のお茶が、短く終わるはずないでしょ」
じゃ、夕方に。
セナは手を振って、昼の人混みへ戻っていった。今日も供はいない。買い物のついでの回収だから、と言っていた。
それが、この日の分かれ道だった。
◇
大市場の北の茶房は、奥の席だけ壁が厚かった。
エルム・シラードは先に来ていて、立って迎えた。
「お越しいただけた。まず、それが嬉しい」
「……どうも」
「会場の中は、目が多すぎますから。お茶は、外に限ります」
席に着くなり、エルムは言った。工人展の外、の意味はそれらしかった。
リオの足元では、鞄の中のスズが寝ていた。茶房に入る時に一度だけ顔を出して菓子の匂いを確かめ、また底へ沈んだ。
茶が注がれる。エルムは自分の杯に先に口を付けてから、本題の前に約束を置いた。
「先に決めましょう。私は今日、嘘を一つも言いません。あなたは、言いたくないことを言わなくていい。ただし、嘘はなしだ。……商人の茶会は、これで成立します」
「……分かりました」
嘘のない茶会は、剣を使わない決闘に似ていた。
「留学の話は、まだ生きています。これは確認です」
「気持ちは、変わっていません」
「断られている自覚はあります。では次。ロックウェル工房に、昨日も声を掛けました。二度目です。二度断られました」
「……二度も」
「いい店は、二度断ってくるものです。三度目は来年にします」
エルムは茶を一口飲んで、杯を置いた。
「一つ、伺っても」
「どうぞ」
「学園祭の夜、あなたはどこに」
「講堂です。幕引きの仕事をしていました」
「幕の、どちら側で」
「裏です」
本当のことだった。一つ残らず本当のことで、肝心なことを何も言っていない。エルムは目を細めて、楽しそうに頷いた。
「いい返しだ。……では、こちらも一つ、ただで差し上げます」
声が、商談の低さになった。
「あなたの周りに、目が付いている。私の手の者ではありません。昨日、会場にもいました」
「……知っています」
「でしょうね。なら、これも足しておきます。去年の工人展で、妖精を装置に封じた職人がいました。ああいう手合いの雇い主は、職人を使い捨て、魔物を使い捨て、いずれ人を使い捨てます。私は、ああいう商売を軽蔑します」
「本当のことしか言わない人が、軽蔑ときた」
「軽蔑は、本当のことです」
リオは茶を一口飲んだ。飲んでから、決めた。
「……こっちからも一つ、聞いていいですか」
「どうぞ。答えないかもしれませんが、嘘は言いません」
「あんたは、俺を何だと思ってますか」
エルムは杯を置いた。置いて、惜しみなく笑った。
「良い取引相手だと思っています。王都で一番、将来が楽しみな」
「……取引した覚えは、ないんですが」
「茶会は取引です。あなたは今日、私の茶を飲んだ」
◇
同じ頃、王都の三か所で同じことが起きていた。
一つ目は、検疫舎の裏。搬入を終えたベルント・シュタムが、係員の上着を着た男に呼び止められた。荷の員数の確認を裏手で、と言われて応じた。裏手に、係員はいなかった。大柄な体が膝から崩れるまで、薬の布で四呼吸。運び出された箱には、風車の羽根の部品の判が押してあった。
二頭のストーンライノは、検疫舎の柵の中にいた。決まりだから。
二つ目は、学園の獣舎の前。弟子入りを今日も断られた帰りのノア・ヴェルナーが、火急の文です、の声に呼ばれて路地へ一歩入った。
ゼルは、獣舎の中にいた。決まりだから。
三つ目は、大通りの一本裏。近道を選んだセナ・ラティスが、足を止めた。前に荷車、後ろに人が二人。挟まれたと見抜く速さは、さすがに学年一だった。見抜いても、声を上げる暇まではなかった。
供は、いなかった。今日は。
――テイマーは、テイムした魔物が居ない間は、ただの学生。
几帳面な字の、書いてあった通りだった。
几帳面な男は帳面に短い線を三本引いて、今日は飴を買わなかった。仕事の日は買わない主義だった。
◇
茶房の奥で、鞄が跳ねた。
跳ねて、椅子から落ちた。スズが転がり出て、床の上で毛を逆立てた。全身で震えて茶房中の客が振り返る声で鳴いた。
リオは考えるより先に触れ糸を飛ばしていた。
――どうした。
――こわい。こわい。しゅじんが、こわい、って。
主人が。
スズは今も、セナの契約の糸を繋いだままだ。糸は感情を伝える。魔物から、人へ。
なら、人から魔物へも。
血の気が引いた。教本に載っているかどうかなんて、どうでもよかった。現に目の前で、小さな獣がここにいない主人の恐怖で震えている。
リオは立ち上がっていた。
エルムは、何も聞かなかった。聞かない代わりに卓の呼び鈴を一度鳴らして、本当のことを一つだけ言った。
「店の裏に、私の馬車を待たせてあります。御者は口が堅い。……お使いなさい」
「――借ります」
「貸しです」
商人は最後まで商人だった。リオはスズを胸元に入れて裏口へ走った。
残された席でエルムは冷めていく二杯の茶を眺め、誰にともなく呟いた。
「……楽しい茶会だったのに」
それも、本当のことだった。
◇
宿への道筋を、逆にたどった。
セナなら大通りを使う。急いでいれば、一本裏の近道を使う。配達で二年歩いた足が、考えるより先に裏道へ曲がった。
裏道の奥に、見覚えのある小さい帳面が落ちていた。
予定の帳面。三冊目。
拾い上げると、角が土で汚れていた。開いた今日の頁には、一行だけ書いてあった。
夕方、スズ回収。
線は、引かれていなかった。
リオは帳面を懐に入れて裏道の奥を見た。荷車の轍が浅く残っている。轍は大通りと逆の方へ、倉庫街の側へ続いていた。
胸元で鳴き続けるスズに触れ糸をもう一度繋いで、囁いた。
「セナは俺が連れて戻す。だから、怖がるのをやめるな。そのまま糸を聞いてろ。お前の怖いが、一番の手がかりだ」
スズの震えが一度だけ止まった。止まって、鳴き方が変わった。
怯えの声から、見張りの声へ。
王都の南、ラティス家の獣舎で十一匹が一斉に吠え始めたのは、同じ頃のことだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。
次回に続きます。




