第50話 ものさし 〜リオのテイムを測る回〜(中編)
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第50話の中編です。
奥の柵を見に行く前に、セナが帳面を開いたまま言った。
「その前に。もう一つ、測りたいことがあるの。……ずっと気になってたこと」
「なんだ」
「あなた、糸を使っていない時でも、獣が寄ってくるでしょう」
リオは少し考えた。
「……そうか?」
「そうよ。フワは初対面であなたの膝に乗ったわ。うちの庭では十二匹が走ってくる。ゼルは合図なしで落ち着く。学園の演習じゃ、鎧角牛があなたの隣で寝たって備考に書かれてる。面談の時だって――」
セナは言いかけて、やめた。
「とにかく。あれは、テイムの腕なの? それとも、別の何かなの?」
「考えたこと、なかった」
「でしょうね。だから測るの」
実験は単純だった。
厩舎の運動場の真ん中に、リオが一人で座る。糸は一本も出さない。手も出さない。餌も持たない。ただ座る。
ミラが立会いで、糸の気配がないことを確かめる。セナは柵の外で時計を見る。
「はじめ」
リオは座った。
面談の時と同じだった。何もしない。眠そうな目で、地面を見ている。
最初に来たのはロロだった。顔見知りだから実験にならない。セナが帳面に「参考外」と書いた。
次に、翼を布で吊られた鳥型が水場からぴょこぴょこと歩いてきた。
脚に添え木をした山羊型が続いた。
療養柵の中の大蛇が、柵の隙間から頭だけ出した。頭だけで届く距離ではないのに、出した。
百呼吸たつ頃には、リオの周りに七匹いた。
どの子にも、糸は繋がっていない。ミラが首を横に振って、それを保証した。
「……はい、そこまで」
セナは時計を閉じ、柵を乗り越えて、リオの隣に同じように座った。
糸なし。手なし。餌なし。同じ条件。
百呼吸たって、誰も来なかった。
ロロだけが義理のように近くへ来て、セナとリオの間に伏せた。顔は、リオの方を向けて。
「……言っておくけど、私、十二匹にはちゃんと好かれてるのよ」
「知ってる」
「庭では走ってくるのよ」
「見た」
セナは立ち上がって、スカートの土を払った。払いながら、帳面に新しい頁を作った。
「結論。これは、テイムの腕とは別の何かだわ。糸の技術なら、糸を使わなければ出ないもの。あなたの場合、座ってるだけで出てる。……二つあるのよ、あなたの変なところ。契約の糸が規格外なのと、獣に好かれる体質と」
「体質」
「体質としか言いようがないでしょう。匂いなのか、気配なのか、心臓の音なのか。教本に項目すらないわ。正直に言うとね」
セナはペンの尻でリオを指した。
「糸の方より、こっちの方がよっぽど不思議よ」
リオは、周りに残った七匹を順に見た。
鳥型が袖を甘噛みしている。山羊型が背中に顎を載せている。確かに、糸は使っていなかった。
「……家系だと、聞いたことがある」
「家系?」
「代々、獣に好かれる家だったと。……詳しくは、知らない」
セナのペンが止まった。
止まって、何も聞かずに「家系(詳細不明)」とだけ書いた。聞かない線引きの正確さは、今日も変わらなかった。
◇
「解いた後の話も、しておきなさい」
昼の片付けをしながら、ミラが口を挟んだ。
「この子の一番変なところは、そこだと思うわよ。私はね」
「解いた後?」
セナが帳面を構え直した。
「教本では、契約を解いた魔物は他人に戻る。糸が消えれば、繋がりも消える。覚えているのは、せいぜい餌をくれた記憶くらい」
「リオ君のは、消えないのよ」
ミラは布巾を畳みながら言った。
「一度結んで解いた子が、次に会った時、覚えてるの。それも、餌の記憶じゃなくて……なんて言えばいいかしらね。貸し借りの記憶?」
「貸し借り」
セナがリオを見た。
リオは答える代わりに、思い出していた。
建国祭の空を一緒に飛んで解いた相棒は、一年後にまた頼った時、覚えている、というように一声鳴いた。山で矢を抜いた野生の獣は、去り際に借りだ、と言って消えた。歯を抜いた西山の主は、困ってもいないのに来た人間を変わった子だと笑った。
どれも、糸はもう繋がっていなかった。
「……解いても、覚えてる。向こうも、こっちも」
「それ、縁って言うのよ」
ミラが布巾を置いた。
「契約は道具で、縁は貯金。この子は契約を全然持たないくせに、縁だけは王都で一番の金持ちなの。……獣医を三十年やってるけど、こういう貯め方をする子は初めて見たわ」
セナは「縁が残る(消えない)」と書いて、その横に小さく、王都一の金持ち、と書き足した。
◇
「次。できないことを書くわ」
午後の日が傾き始めた頃、セナは帳面の新しい頁に線を引いた。
「できることばかりの表は、信用できないもの。限界も項目よ」
「……あるぞ、ちゃんと」
「挙げて」
「人間には、糸は結べない。心が読めるのは魔物だけだ」
「はい」
セナが書いた。
「それから、話の通じない相手もいる。聞ける相手なら聞く。聞けない相手もいる。……国境で、一度見た」
「対話不能の個体あり、と」
「あと、一度に一体。これは知ってるな」
「今日ので、唯一の教本通りね」
その時、ポケットの中から小さな声がした。
「けいやく、って、なに」
あかりが帽子の下から顔を出していた。昼寝から起きたらしい。
セナの手が止まった。
「……あかりちゃんは、契約、してないの?」
「してない」
答えたのはリオだった。
「したこと、ない。できるのかどうかも、知らない」
「じゃあ、あの子は何で一緒にいるの」
「……いるだけ」
「いるだけ」
「いたいから、いる」
あかりが補足した。補足になっているのかは、分からなかった。
セナはしばらくあかりを見て、それから帳面に書いた。精霊は契約の外。糸ではなく、本人の意思でいる。
「……これも教本にないわ。精霊の項目は、あるにはあるけど、『干渉不能』の四文字だけよ」
「りお、ぽかぽか」
「ぽかぽかは項目にならないのよ、あかりちゃん」
セナは真顔で返した。返してから、自分で少し笑った。
◇
帳面は、八頁になっていた。
セナは最後の頁をめくり返して、表の全体を眺めた。言葉が分かる。大型が三十呼吸。契約量の種明かし。体質。縁。限界が三つ。精霊。
「……整理するわよ」
声が、計測の声に戻った。
「あなたの『できること』は、教本のどの頁にもない。『できないこと』は、教本と同じ。つまりあなたは、普通のテイマーの限界を持ったまま、普通のテイマーにできないことだけ、できる。……こんな偏り方、設計したみたいだわ」
「設計」
「誰かが、そういうふうに作ったみたいって意味よ。言葉の綾。……さ」
セナは帳面を閉じて、奥の柵を見た。
日が傾いて、療養柵の並びに長い影が伸びていた。一番奥の柵だけ、他より頑丈な木が組んである。中から、低い唸りが続いていた。昼からずっと、途切れずに。
ミラが薬箱を抱えて立ち上がった。
「若いグレートボアよ。山の罠にかかって、前脚をひどく潰してる。罠ごと運ばれてきたの」
「罠って……人間の」
「人間の。密猟の、くくり罠。……だからあの子、人間の形を見ただけで牙を出すの。三日間、餌も水も、人の手からは一度も受け取ってない」
柵の前まで来ると、唸りが一段低くなった。
木の隙間から、目が見えた。
若い猪の目だった。血走って落ち窪んで、それでも衰えていなかった。衰える前に、怒りで立っている目だった。前脚の包帯は自分で噛みちぎったらしく、潰れた脚がそのまま見えた。
セナが、息を呑んだ。
「……教本では」
声が掠れていた。
「敵意のある個体のテイムは、不可。まず敵意を解くところから数か月。でもこの子、数か月もたない」
「もたないわね」
ミラが静かに言った。
「あと二日か、三日よ」
リオは柵の前に立った。
目が合った。
牙が鳴って、柵の木に体当たりの音が響いた。
――にんげん。にんげん。にんげん。
糸を使わなくても、聞こえる気がした。
「……第四項」
セナが帳面を開いた。開く手が、震えを隠せていなかった。
「数えるわよ」
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次回、後編です。




