第50話 ものさし 〜リオのテイムを測る回〜(前編)
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新しいお話です。前・中・後編でお届けします。
きっかけは、学園祭の夜だった。
幕引きの仕事を終えて宿に帰る道で、リオはずっと考えていた。
糸を一本使ったでしょ、とあの人は言った。合図もなしに出ていったわね、とセナは言った。どちらも、当たり前にやったことだった。当たり前に、やれてしまうことだった。
俺のこれは、学園で教えているテイムと同じものなのか。
考えて、答えは出なかった。独学の人間には、自分の癖が分からない。癖を測るには、正しい定規がいる。
定規なら、隣の席にいた。
◇
学園祭が終わった週の放課後、リオは隣の席に声をかけた。
「セナ」
「なに」
「今度の休み、空いてるか」
セナの手が止まった。
止まって、ゆっくりとこちらを向いた。
「……あなたから誘うの、初めてじゃない」
「そうだっけ」
「そうよ。一年半で、初めて」
セナは髪の先を指で直した。直すところのない髪だった。
「い、いいけど。どこに行くの。街? それとも、どこか遠く――」
「厩舎」
「……厩舎」
「獣医師会の。ミラさんのところ」
髪を直していた手が、下りた。
「……そうよね。あなただものね。うん、知ってた」
声が平らだった。平らにしようとしているのが分かる平らさだった。
セナは咳払いを一つして、いつもの顔に戻った。戻るのに、三呼吸かかった。
それから、少し待った。理由が続くのを待つ待ち方だった。
リオは少し考えて、それから言った。
「確かめたいことがある。……俺のテイムのことで」
セナの目が、変わった。
一年半、聞かないでいてくれた人の目が。
「……行くわ」
それだけだった。何を確かめるのかは、聞かなかった。当日まで聞かない気らしかった。
「朝からよ。起きられる?」
「たぶん」
「迎えに行きましょうか」
冗談の顔ではなかった。
ちなみにカイルは、週末まで剣術科の強化稽古で潰れていた。
「カイルには」
「まだ言わない。……順番がある。まず、セナから」
まず、の意味をセナは聞かなかった。
聞かない代わりに、帰り支度の手つきが少し軽くなった。
◇
休みの日の第十三厩舎は、薬草と藁の匂いがした。
「あら、いらっしゃい。久しぶりね、十二匹のお嬢さん」
「ミラさん。お久しぶりです。ユキが、元気にしています」
「知ってるわ。この前、雪の降る日にお宅の前を通ったら、お宅の周りだけ二度涼しかったもの」
ミラは笑って、二人を奥の療養柵の並びへ通した。
リオの上着のポケットでは、あかりが赤い帽子を目まで下げて寝ていた。帳場から「ついていく」と言って聞かなかった割に、道中ずっと寝ていた。
今日のミラは、獣医師会の先生の顔をしていた。リオのバイト先の上司。セナが知っているのは、そこまでだ。
柵の並びの手前で、リオは足を止めた。
止めて、セナに向き直った。
「……セナ。頼みがある」
「聞くわ」
「俺のテイムは、普通と違うらしい。それは、何となく分かってる。でも、どこが、どれくらい違うのかを、ちゃんと確かめたことがない」
「……うん」
「俺は、普通のテイムを知らない。教本も、ちゃんと読んでない。独学だから、自分のどこが変なのか、自分じゃ分からない」
リオは頭を下げた。
「セナは、普通を一番正しく知ってる。だから、測ってほしい」
沈黙が、少しあった。
顔を上げると、セナは鞄から帳面を出していた。十二匹の世話帳面ではない、新しい帳面だった。買ってきたらしい。
「……聞かれると思ってたのよ。いつかは」
セナは帳面を開いて、一頁目に線を二本引いた。表の形だった。
「順番にやるわよ。まず、教本の基準。次に、あなた。一項目ずつ」
理屈の人は、打ち明け話を実験計画で受け止めた。
それが、リオには一番ありがたかった。
◇
「第一項。契約越しの、意思疎通」
セナは帳面に書きながら、暗唱した。
「教本では、契約の糸が伝えるのは感情の大まかな向き。嬉しい、嫌だ、怖い、痛い。熟練すると強弱まで。言葉は伝わらない。……ゴウの時に、私が言った通りね」
「ああ」
「あなたは」
「契約してれば、言葉で分かる」
「……言葉で」
「会話に近い。向こうの言いたいことが、文になって入ってくる」
セナのペンが止まった。
止まって、動いて、また止まった。
「検証するわ。ロロ!」
呼ばれて、厩舎の奥から中型の猟犬型が駆けてきた。ロックハウンド。この厩舎の古株で、鼻は王都一というのがミラの口癖だ。
「ミラさん。ロロって、今、誰とも契約していませんよね」
「してないわ。うちの子は全員、自由契約よ」
「リオ。契約して、ロロに聞いて。……昨日の晩ご飯」
リオはロロの前に膝をついた。
糸を出す。太い方の、契約の糸。差し出すと、ロロは匂いを確かめもせずに咥えた。顔見知りの気安さだった。
繋がる。
――昨日の晩飯、何だった。
――骨付き! 大きいの!
「骨付き肉、だそうです」
「正解」
ミラが頷いた。糸の向こうで、気配が急にもじもじした。
――あと……鍋から、芋をひとつ。ないしょ。
「……それと、鍋から芋を一個。内緒にしてくれと」
ミラの眉が跳ねた。
「……どうりで昨日、数が合わないと思っていたのよ。ロロ!」
ロロは耳を伏せて、ごまかすようにリオの膝へ頭を突っ込んだ。
セナは笑わなかった。帳面に書く手が、どんどん速くなっていた。骨付き肉、正解。芋、立会人も知らなかった。
「……今の、何呼吸だった?」
「え?」
「契約よ。今、差し出してから咥えるまで、三呼吸もなかったわ」
「ロロは、顔見知りだから」
「それも書いておくわ。……第三項の前倒しね」
◇
「第三項。契約に掛かる時間」
セナは厩舎の壁の時計を指した。
「教本では、中型で早くて半月。大型は、相性が良くて季節一つ。普通は年単位。ヴァンスは嵐鷲と二年かけたと言っていたわ。シラード商会の人も、面談で言っていたでしょう。契約は一年かけて結ぶものだって」
「ああ」
「その前に。ロロの糸は、解いた?」
「解いた」
「いつ」
「芋の話の、後」
「……見えなかったわ。確認よ、二本は張れないんでしょう」
「張れない。一度に一本」
「それだけは、教本通りなのね」
セナは帳面に小さく丸を一つ付けた。初めての丸だった。
「ミラさん。大型の子、お借りできますか」
「あの子でいいかしら」
ミラが示した療養柵の奥で、大蛇がとぐろを解いた。
チェーンスネーク。療養中の身で、飯の催促だけは日に日に元気になっている古株だ。体は丸太より太く、長さは柵を二往復する。
「リオと面識は」
「あるわ。でも契約したことはないはずよ。うちでは誰も、あの子と契約していないもの」
「初見に近い大型、ということにします。……リオ、時計を見てから始めて」
リオは柵の中に入った。
大蛇が頭をもたげて、こちらを見た。
糸を出す。差し出す。
大蛇は、たっぷり時間をかけてリオの顔と糸を見比べた。見比べて、首を伸ばして、咥えた。
繋がった。
「……今」
セナは時計を見た。
「三十呼吸。大型が、三十呼吸」
「この子が気長なだけだと思う」
「気長だから三十呼吸で済むのよ! 教本なら気長な子ほど年単位なの!」
セナの声が大きくなった。怒っている声とは違う。理屈が追いつかない時の声だった。
柵の中では、契約を済ませた大蛇が、満足そうにリオの膝に頭を載せようとしていた。来客の膝を枕にする癖は、今日も健在だった。
「重い。やめろ」
――ひざ。
「言葉になってない。やめろ」
――ひざ。
膝は、提供された。
笑い終えたセナが、ふいに黙った。
黙って、帳面の数字を見た。
「……私ね。最初の子と結ぶのに、ひと月かかったの。毎朝餌をあげて、手順を一つも飛ばさないで、ひと月。それが普通で、私はそれでいいと思ってた。今も思ってる」
「うん」
「でも、これは三十呼吸よ」
セナは顔を上げた。
「すごいじゃない」
リオは返事に詰まった。
すごい、と言われたことなら今までもあった。大抵は遠巻きの声で、言った人はすぐに目を逸らした。セナはまっすぐこっちを見ている。ちゃんと測った人の声だった。
「……すごいのか」
「すごいわよ。数字があるもの」
セナは「三十呼吸」と書いて、横に二重丸を付けた。丸がはみ出して、隣の行まで掛かった。
◇
昼休憩の藁の上で、セナは帳面をめくり返した。
「……ねえ。一つ、分かったことがあるわ」
「なんだ」
「学園の帳簿で、あなたの契約量がずっとゼロの理由」
セナは表の端に、数字の欄を足した。
「契約量って、帳簿の上では、張っている糸の数と太さの慣例値なの。私は十二匹で十二。ヴァンスは嵐鷲一体で十五。あなたは――常時ゼロ本。だから帳簿では、万年ゼロ」
「ゼロの見学者」
「誰が言ったのそれ」
「昔、ダリオが」
「……まあ、帳簿上は正しいのよ。測り方が、あなた向きにできていないだけで」
「ものさしが、違っただけか」
「そう。目盛りの外に立っている人は、ゼロに見えるの」
セナの声に、悔しさが混ざっていた。誰のための悔しさなのかは、リオには聞けなかった。
セナはそこで、ペンを置いた。
置いて、藁の上で膝を抱えた。
「ここまでで、二項目。……正直に言うわね。二項目とも、教本の端っこにも載ってない」
「……そうか」
「ねえ。一つだけ、先に聞いていい」
「ああ」
「一年半、何も聞かないでおいたの。……正解だった?」
リオは、藁を一本拾って、指でいじった。
「……今日、頼む気になれたのは、聞かれなかったからだと思う」
「なら、正解ね」
セナは帳面の隅に、短く何かを書き足した。検証結果の欄ではないところに。
「怒ってないわよ。むしろ」
セナは帳面の表を、指でなぞった。
「測り甲斐があるわ。……午後は、何を測る?」
その時、療養柵の並びの一番奥から、金属を引っ掻くような音がした。
荒い息と、低い唸り。柵の木が、内側から叩かれる音。
ミラが薬箱を抱えて、奥を見た。
「……ついでに、頼みを一ついいかしら」
先生の顔のまま、声だけが少し疲れていた。
「三日前に運ばれてきた子が、いるの。怪我をしているのに、誰も触れない。餌も、柵の外から投げ込むしかなくて」
「触れない、って」
「敵意の塊なのよ。私の網でも、弾かれる。……このままだと、傷が膿んで手遅れになるわ」
セナがリオを見た。
リオは、奥の柵の唸り声を聞いていた。
「第四項に、ちょうどいいわね」
セナは帳面を閉じて、立ち上がった。
「教本では、敵意のある個体のテイムは不可。まず敵意を解くところから、数か月。……あなたは?」
「……やったこと、ある」
「何呼吸で」
「覚えてない」
「じゃあ、今日は私が数えるわ」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
ミラ・フォルカ……第十三厩舎の主。王都獣医師会の獣医師(第42話・第47話)。
ロロ……第十三厩舎のロックハウンド。鼻は王都一(ミラ定義)。
チェーンスネーク……療養中の大蛇。来客の膝を枕にする癖がある(第8話)。
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次回、中編です。




