第49話 狩らずに待つ男(前編)
お読みいただきありがとうございます。
新しいお話です。二年目の学園祭、前後編でお届けします。
委員長が机を叩いた。
クラリス・ルーメルが教壇の机を叩いたのを、クラスの全員が初めて見た。音は小さかった。小さかったが、叩いたことに変わりはなかった。
「劇を、やります」
学園祭の出し物を決める、放課後の話し合いだった。
黒板には候補が並んでいた。去年と同じふれあい獣舎。菓子の店。魔物の図鑑展示。どれも票が割れていて、まとまらないまま日が傾いていた。
そこへ、委員長が机を叩いた。
「建国祭で、リュート座の舞台を観た方は」
半分ほどの手が上がった。
「あれを、やります。私たちの手で。……建国の話を、劇にします」
「委員長、あれはリュート様と楽士の二人で」
「二人でできることが、三十人でできないはずがありません」
理屈になっていなかった。
なっていなかったが、クラリスの目が本気だった。建国祭の帰りに「幸せです」と言った時の目のまま、一週間冷めなかったらしい。
「……ふれあい獣舎は」
「一年生のクラスが、今年やると聞きました。去年のトトさんの案は、もう伝統です」
トトが後ろの席で少し照れた。
カイルが手を上げた。
「劇って、誰が出るんだよ」
「配役は、これから」
「俺、出たい」
「はい」
クラリスは即答して、それから初めて少し笑った。
「レオンハートさんは、男の役です。……声が一番大きいので」
満場一致だった。
こうして、二年テイム術科の出し物は劇に決まった。題は『狩らずに待った男』。脚本は委員長が三日で書いてきた。
台詞が、多すぎた。
◇
「共に、住みたい!」
カイルが講堂の舞台で叫んだ。
叫んで、森の入口に座った。座る、というのが脚本の指示だった。
舞台の奥に、獣がいた。
セナの十二匹が、木の板で作った山の陰に並んでいる。鈴尾鼬のリンとスズ。苔背亀のゴウ。綿羽鳥のフワ。黒猫のノル。ユキ。十二匹全部と、後輩クラスから借りてきたブレイドラプトルのゼル。
獣が山から降りてくる場面だった。
降りてこなかった。
十二匹は山の陰で、揃って舞台袖を見ていた。
袖には、幕引きの紐を持ったリオが座っていた。
「……あなたが袖にいるから」
セナが舞台の下から言った。
「じゃあ、出る」
リオが袖を出て講堂の後ろへ歩くと、十二匹が全員山の陰から出てきた。舞台を降りて通路を歩き、リオの足元に集合した。ゼルまで来た。
「降りてきたぞ!」
「舞台からね」
セナが額を押さえた。
「リオ、戻って」
「戻ると、出てこない」
「出ると、追いかける」
「……どうすれば」
「知らないわよ」
三日目の稽古は、そこで止まった。
脚本は、まだ一場面も通っていなかった。
カイルは舞台に座ったまま、台本をめくっていた。
「なあ委員長。この台詞、俺の分だけで四十ある」
「建国の男の心情を、丁寧に」
「三日三晩待つ場面で、十二行しゃべってる」
「待っている間の、心の声です」
「待ってねえだろ、これ」
クラリスは台本を抱えて黙った。
舞台の隅では、テッサが光の川の魔道具を組んでいた。隣のクラスからの越境協力だ。水の代わりに光を流す筒を三本繋いで、舞台の縁から客席の上へ渡す仕掛けだった。
「できたー! 見て見て!」
筒の先から、光が出た。
出て、客席の三列目で消えた。
「……三列目まで」
「建国祭は三万人の頭の上を渡ったわよ」
「あれと比べないで! あれは六番――じゃなくて、シェラ様だから!」
テッサが慌てて口を押さえた。
誰も聞いていなかった。聞いていたのは、袖のリオだけだった。
そのリオの足元で、十二匹が丸くなっていた。
稽古は進まなかった。
◇
四日目、講堂に客が来た。
放課後の講堂の扉が開いて、黒い衣装の女が入ってきた。長い髪。舞台の人間にしか見えない歩き方。
最初に気づいたのは、見学に来ていた魔法科の令嬢だった。
「――リュート様」
エリアナの扇子が、手から落ちた。
落ちたのを、クラリスが拾った。拾って顔を上げて、固まった。
「シェラ・リュート様……」
「あら。いいのよ、そのままで」
シェラは講堂の真ん中を歩いてきた。三十人の学生が道を空けた。
「学園の司書に、古い友達がいるの。会いに来たら、講堂で私の演目を素人がやっていると聞いたものだから。……覗きに来ただけ。続けて」
続けられる者はいなかった。
シェラは舞台を見た。板の山、光の筒、座り込んだカイル、山の陰の十二匹。
それから、舞台袖を見た。
「――あ、リオ?」
講堂が凍った。
袖で幕引きの紐を持ったリオが、動かなかった。
「……どうも」
「あなた、このクラスだったの。学園に通ってるとは聞いていたけど」
「…………」
「リュート様」
クラリスの声が裏返った。
「アルクスさんは、その……リュート様の、お知り合い、なのですか」
シェラはリオを見た。
リオは、シェラを見た。
一瞬だった。一瞬で、この人は全部読んだ。
「そう。うちの舞台裏で、荷運びのバイトをしてもらっているのよ」
「荷運び」
「腰が強いの、この子。大道具を一人で運ぶわ。……ね?」
「……はい。搬入の、バイトで」
クラリスは手の中の台本を、意味もなく一枚めくった。
「……そう、なのですか。荷運び」
「荷運びです」
舞台の下で、エリアナが拾ってもらった扇子を開いた。
開いて、口元を隠した。
隠した下で、この人は数えている。夜会の給仕。竜の舞の券。リュート座の荷運び。線が、また一本増えた。
リオは見ないことにした。
「で。何が困ってるの」
シェラが舞台に上がった。
「獣が、降りてきません」
セナが答えた。
「袖にいる人を見てしまって」
「あの子ね」
シェラは袖のリオを顎で示した。
「獣が寄るのよ、あの子。昔からね。……荷運びの間も、劇場の猫が全部ついて回るの」
猫の話は本当だった。
シェラは舞台の真ん中で座り込んでいるカイルの前に立った。
「あなたが、男の役」
「はい!」
「台本、見せて」
受け取って、めくった。三頁めくって、閉じた。
「……台詞が多いわ」
「ですよね!」
「委員長さん。この男は、三日三晩待つのよね」
「はい」
「待つ人間は、しゃべらないわ。しゃべるのは、待てない人間よ」
クラリスが黙った。
黙って、台本を胸に抱えた。抱える手が少し震えていた。書いた人にしか分からない震え方だった。
「あなた」
シェラはカイルに向き直った。
「三日三晩、黙って座れる?」
「……無理です」
「正直ね。いいわ。表はあなたが演じなさい。待つ役は、待てる人間に任せればいい」
シェラは袖を見た。
「幕引きは、待つ仕事よ。……ね、リオ」
「……嫌です」
「嫌なのね。分かった。じゃあ座ってなさい。座って、紐を持って、何もしないで」
「それは、今もしてます」
「なら、続けて」
シェラは舞台を降りた。
降りて、講堂の扉の前で振り返った。
「本番、観に来るわ。……司書の友達と一緒に。私が観ていると思って、しゃべりすぎないことね」
扉が閉まった。
三十人が、しばらく動かなかった。
最初に動いたのはクラリスだった。台本を開いて鉛筆を出し、カイルの台詞に線を引き始めた。四十が、二十になり、十になった。
「……三日三晩の場面は、台詞なし」
小さな声で言った。
「レオンハートさんは、座って、待ってください」
「おう」
カイルが座った。
座って、黙った。黙っていられたのは十秒だった。
「……腹減った」
「待ってください」
「待ってる」
◇
五日目の稽古で、獣が降りてきた。
カイルが舞台の真ん中で黙って座り、リオが袖の暗がりで紐を持って座り、セナが舞台の下で鈴を一つ鳴らした。
十二匹が山の陰から出てきた。
出てきて舞台の上を歩き、カイルの前で足を止めた。そこから半分がカイルの周りに、半分が袖の方へ寄った。
「……半分ね」
セナが言った。
「表と裏で、半分ずつ。……それでいいわ。客席から見えるのは、表の半分」
「裏の半分は」
「あなたが引き受けて。座ってるだけでいいから」
リオは座っていた。
足元にゴウが来て、甲羅の裏を板に付けた。舞台の振動を聞いている。ノルが袖の暗がりの一番奥に座って、目だけを光らせていた。
舞台の上では、カイルの周りにフワとユキと耳長がいた。カイルは黙って座っていた。今日は三十秒持った。
テッサの光の川は、五列目まで届くようになっていた。
「本番までに、最後列まで!」
「無理はしないで」
「無理はするよ! シェラ様が観に来るんでしょ!」
クラリスは舞台の下で台本を抱えて、削った台詞の跡を指でなぞっていた。
削ったのに、劇は前より良くなっていた。それが嬉しいのか悔しいのか、本人にも分からない顔だった。
「委員長」
リオが袖から声をかけた。
「はい」
「台詞、減らしてよかったです」
「……そう、でしょうか」
「待ってる人が、待ってるように見えます」
クラリスは台本を抱え直した。
「……アルクスさん。荷運びの方の意見として、聞いておきます」
「荷運びの方の意見です」
本番は、二日後だった。
その日の帰り、図書館で白紙先生がいつもの足音のなさで隣に立った。
「――今年も、静かだといいのですけれど」
去年と同じ言葉だった。
去年、この言葉の翌日に、学園は静かではなくなった。
「……はい」
リオは答えた。
答えて、返却本に薄紙が挟まっていないことを確かめた。
挟まっていなかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
シェラ・リュート……リュート座の座長。十三番窓口の六番(第13話・第48話)。
ゼル……一年ノアのブレイドラプトル。群れの見張り役(第40話)。
面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。
次回、後編です。




