第48話 祭りの客席(中編)
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第48話の中編です。
リュート座の舞台が終わって、竜の舞までは二刻の休憩だった。
最前列の券があっても、二刻は長い。六人は大広場を出て、屋台通りへ流れた。
昼の屋台通りは、去年より長かった。
大通りの端から端まで屋台が並び、その途中で一箇所だけ、人の流れが止まっている場所があった。
行列だった。
百人はいた。通りを塞がないように三つ折りにされて、それでも角を曲がって先が見えない。
「なんだあれ」
カイルが背伸びをした。
「……ロンド亭、って書いてある。ロンド亭って、あの三番街の」
「一皿が宿代ひと月分の、あの店?」
セナが言った。
「祭りの出張店ですって。一皿、銅貨三枚。……嘘でしょう」
行列の先に、白い布を張った屋台があった。
屋台の奥で、白衣の大男が鍋を振っていた。祭りだというのに、厨房にいる時と同じ白衣で、同じ顔だった。笑っていない。客が並んでいても、皿を渡す時も、一度も笑わない。それでも行列は減らなかった。
バルカ・ロンド。表の顔は王都最高級料理店の主。
裏の顔は、ナンバーズの五番。毒味の料理人だ。
「並ぶぞ!」
カイルが宣言した。
「一時間はかかるわよ」
「一時間で銅貨三枚のロンド亭だぞ! 並ばねえ理由がねえ!」
理由はなかった。全員で並んだ。
カイルは並びながら、自分で書いた屋台の地図に印をつけていた。ロンド亭の場所に二重丸。その隣の串焼き屋に丸。丸は全部で二十三個あった。
「……全部回るの?」
「回る。祭りは年に一度だぞ」
「胃は一つよ」
「胃は鍛えられる」
鍛えられない、とテッサが小声で言った。
侯爵家の令嬢が屋台の行列に並ぶのを、遠巻きの護衛たちがどう思ったかは分からない。エリアナ本人は扇子を閉じて、楽しそうに列の先を覗いていた。クラリスは「並ぶのは初めてです」と言って、背筋を伸ばして並んでいた。並び方まで正しかった。
列が半分まで進んだ頃、リオは言った。
「……ちょっと」
「どこ行くの」
「手洗い」
「今?」
「今」
セナが目を細めた。
「……長かったら、あなたの分は食べるわよ」
「食べていい」
リオは列を離れた。
人混みに紛れて、通りを一本裏へ入る。祭りの日の裏通りは静かで、遠くの太鼓の音だけが響いていた。
◇
竜舎の前に、瓦版屋が立っていた。
去年から見覚えのある男だ。竜技団の入口を張って、覆面の竜使いが来るのを待っている。今年も来ていた。
リオは学園の制服のまま、その前を通った。
「おい、坊主」
「はい」
「竜技団の関係者か」
「関係者です」
「……ちょっと待て。聞いてくる」
瓦版屋は裏口から中へ声を掛けた。しばらくして、奥からしゃがれた声が返った。
「――入れてやれ。関係者だ」
瓦版屋は疑わしそうな顔で道を空けた。学生の顔には、瓦版の一面を飾る値打ちはないらしい。
裏口から入ると、竜舎の中は熱気で満ちていた。
十二頭の飛竜が、それぞれの止まり木で羽を広げたり畳んだりしている。テイマーたちが鞍を締め、鱗を拭き、餌の量を確かめている。去年、この竜舎で倒れていた十二人が、今年は全員立って動いていた。
その奥に、白髭の老人がいた。
「――来たか」
マキアス翁は振り向きもせずに言った。
「来るなと書いたつもりだったがな」
「観に来ました。舞台じゃなく、竜を」
「同じことだ」
翁は鼻を鳴らして、それから奥の止まり木を顎で示した。
ゼノがいた。群れの長は、リオを見て一つだけ低く鳴いた。覚えている、という鳴き方だった。
その隣に、墨色の若竜がいた。
ノワールは、リオが近づく前に首を下げた。
検分がなかった。去年の秋、初めて糸を差し出した時、この子はたっぷり時間をかけて匂いを嗅ぎ、目を見て、それから咥えた。今年は何もしなかった。ただ首を下げて、額をリオの肩の高さまで持ってきた。
リオは額に手を置いた。
糸は伸ばさなかった。今日は客だ。
「……懐いてるなあ」
横から、若い声がした。
十七か十八くらいの、日に焼けた青年だった。竜技団の乗り手の服を着て、手には鞍を抱えている。
「あんたが、親方の知り合いの学生さん? ノワールがやたら懐いてるって聞いてた」
「……リオです」
「ユーゴ。こいつの、今日の乗り手」
ユーゴはそう言って、ノワールの首を叩いた。叩き方が固かった。
「初舞台なんだ。俺も、こいつも」
「そうですか」
「親方が言うんだよ。こいつは力むと右に流れるって。……俺、まだそれ、直せてない。稽古じゃ出ないんだ。本番で出たらどうしようって、それが」
ユーゴは鞍を抱え直した。抱え直す手が白かった。
リオはノワールの額から手を離した。
「……大丈夫だと思います」
「なんで分かるんだよ」
「顔が」
「顔?」
「落ち着いてる顔をしてる。乗り手より」
ユーゴは自分の顔を撫でて、それからノワールの顔を見た。
見比べて、笑った。
「……そりゃそうだ。俺の方が緊張してるもんな」
鞍を抱えて、ユーゴは止まり木の方へ歩いていった。
翁が横に来た。
「……何も言わんかったな」
「言うことは、ないので」
「そうか」
翁はそれだけで、それ以上は聞かなかった。詮索しない流儀は、今日も変わらなかった。
「客席で観ろ。最前列だ。……うちの若いのが、飛ぶ」
「はい」
竜舎を出る時、ノワールがもう一度だけ鳴いた。
振り向かなかった。振り向くと、客ではなくなる気がした。
表通りへ戻る角に、まんじゅう屋の屋台が出ていた。
去年、空を飛ぶゼノを屋台ごと追いかけてきた、あの店だ。店主は今年も蒸籠の前で汗を拭きながら、隣の客に話していた。
「去年のあれ、今年は出ねえのかね。覆面の竜使い」
「出ねえだろ。あれは一回きりの祭りの余興だ」
「一回きりにしとくには惜しいんだよなあ。うちのまんじゅう、あの日は空を見上げた客が転んで、三十個落として――」
リオはまんじゅうを六つ買った。
店主はリオの顔を見なかった。制服の学生に、覆面の竜使いの面影はないらしい。
「まいど。……坊主、竜の舞は観ていくのか」
「はい」
「そりゃいい。竜ってのは下から見るもんだ」
紙袋を抱えて、リオは表通りへ戻った。
◇
列に戻ると、ちょうど屋台の前だった。
「遅い!」
「長かったわね」
「……道に迷って」
「祭りの日に、手洗いで迷う?」
「迷った」
「で、それは何」
「まんじゅう」
「手洗いに行って、まんじゅうを買ってくる人がいるの」
「いた」
セナは紙袋を覗いて、六つあるのを確かめて、それ以上は聞かなかった。聞かない代わりに、一つ取った。
白い屋台の前で、バルカが鍋から皿へ料理を盛っていた。
鶏と根菜の煮込みだった。祭りの安い皿で、だが匂いが違った。並んでいた百人が黙る匂いだった。
六枚の皿が、順に渡された。
カイル。セナ。テッサ。クラリス。エリアナ。
そして、リオ。
バルカはリオの顔を見なかった。見ずに皿を盛って、見ずに渡した。祭りの客の一人として。
ただ、皿の上の鶏が、一切れ多かった。
誰も気づかなかった。
カイルが自分の皿とリオの皿を見比べるまでは。
「……おい。お前の、多くね?」
「気のせいだ」
「一、二、三、四。俺の、三。お前の、四」
「数えるな」
「なんでお前だけ多いんだよ!」
バルカは次の客の皿を盛っていた。こちらを見なかった。
「痩せてるからじゃない?」
セナが言った。
「顔が痩せてるから、おまけしたくなる顔なのよ、あなた」
「そういう顔なのか」
「そういう顔よ」
テッサだけが、皿を持ったまま屋台の奥の白衣の大男を見ていた。
次にリオを見て、口を開いた。
「……バルカさんて、リオくんの――」
言いかけて、閉じた。
「……なんでもない。食べよ」
この人は窓口に出入りしている。裏口の飯の量のことも、たぶん知っている。知っていて、言わなかった。
六人は屋台の脇の石段に並んで座って、銅貨三枚の煮込みを食べた。
クラリスは一口食べて、しばらく動かなかった。
「……アルクスさん。私、屋台で、こんなに」
「はい」
「泣きそうです」
エリアナは扇子を膝に置いて、両手で皿を持っていた。侯爵家の令嬢が両手で皿を持つのを、遠巻きの護衛たちが見ていた。そして、自分たちも列に並びに行った。
あかりがポケットから顔を出して、匂いを嗅いだ。
「いい、におい」
「食べないだろ」
「たべない。でも、いい、におい」
太陽が真上を過ぎた頃、太鼓が鳴った。
遠くの大広場の方からだった。開演の、一つ目の太鼓。
「竜の舞、始まるぞ!」
カイルが皿を置いて立ち上がった。
「最前列だ! 最前列って、俺、人生で初めてだ!」
「私もです」
「わたくしもですわ」
「……行きましょう」
セナが立ち上がって、それからリオを見た。
「今年は、ちゃんと観てなさいよ」
「観る」
リオは皿を返しに屋台へ行った。
バルカは受け取って、何も言わなかった。
ただ、皿を受け取る手が、一瞬だけ止まった。
「……行け」
低い声だった。祭りの客には聞こえない声で。
「はい」
リオは走った。
最前列は、遠かった。
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【登場人物メモ】
バルカ・ロンド……三番街の高級店ロンド亭のオーナーシェフ。十三番窓口の五番、毒味の料理人(第1話・第29話)。
ユーゴ……アルバ竜技団の若手テイマー。ノワールの初舞台の乗り手。
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次回、後編です。




