第48話 祭りの客席(前編)
お読みいただきありがとうございます。
新しいお話です。二年目の建国祭、前・中・後編でお届けします。
建国祭の三日前、図書館の返却本に薄紙ではなく封筒が挟まっていた。
白紙先生は何も言わずに棚の奥へ戻っていった。いつもと同じ足音のなさで。
封を切ると、中に厚紙の券が六枚と鉛筆で書いた紙が一枚入っていた。
『依頼じゃねえ。今年は客席で観ろ。うちの若いのが飛ぶ。学園の友達でも連れてこい。 親方』
券には、竜の舞、最前列、と刷ってあった。
去年、リオは客席にいなかった。
十二人のテイマーが食中毒で倒れた夜に、ゼノ一頭と糸を繋いで覆面の下で十二頭を舞わせた。舞わせた、というのは正しくない。ゼノの後ろで十一頭が自分の意思で飛んだ。三万人はそれを新演出だと思った。
今年は十二人が全員いる。
そこに、若いのが一人足される。
若いの、というのがどの竜かは書いていない。書いていないが、心当たりは一頭しかなかった。墨色の鱗の、力むと右に流れる癖のあったあの子だ。
十三頭の演舞。
気になった。客として気になるというのが、どういうものかを久しぶりに思い出した。
リオは六枚の券を数えて、封筒ごと鞄に入れた。
◇
翌朝の教室で、リオは二つ隣の席に声をかけた。
「クラリスさん」
「はい」
「これ。……面談の、お礼です」
厚紙の券を一枚、机の上に置いた。
クラリスは券を見て、リオを見て、もう一度券を見た。
「竜の舞の……最前列、ですか」
「はい」
「あの、最前列は学園の推薦枠でも三年生から順で、私たち二年には回ってこないはずで――」
「知り合いから、もらったので」
「…………」
クラリスは券を両手で持ち上げた。
持ち上げて背筋をいつもより伸ばし、それから小さな声で聞いた。
「……二人、ですか」
「え」
「その、竜の舞を、二人で」
「六人です」
「六人」
「セナと、カイルと、テッサと。それから――」
「……そうですか」
クラリスは券を胸に当てた。
「正しく、受け取ります。六人で」
受け取り方まで正しい人だった。ただ、六人で、と言う時の声がほんの少し落ちていた。
「――ごきげんよう」
教室の入口に、金の髪の令嬢が立った。取り巻きは廊下に待たせて一人で。
教室が凍った。去年の秋以来、二度目の事件だった。
「アルクスさん。次のお茶会のお日にちをお伝えに参りましたの。……あら、お邪魔でしたかしら」
エリアナは涼しい顔でリオの席まで来た。
来て、机の上のもう一枚の券を見た。
「それは」
「……面談の、お礼です。よければ」
リオが差し出すと、エリアナは扇子の下で受け取って刷り文字を読んだ。
「竜の舞。最前列」
「はい」
「あら」
扇子が一度、小さく動いた。
「デートのお誘いですの?」
「六人です」
「六人」
「セナと、カイルと、テッサと、クラリスさんと」
「……残念ですわ」
残念、と言った顔は面白がっていた。
「でも、いただきます。竜の舞の最前列は、侯爵家でも順番待ちですもの。お茶会のお日にちは、また改めて」
鈴の音を残して令嬢は去った。
残された教室で、セナが腕を組んだ。
組んで、それから解いてリオの机の縁を指で一度叩いた。
「……ねぇ。私の分は?」
「ある」
「そう」
「カイルとテッサの分も」
「……なら、いいわ」
なら、いいわ、の声が、いつもより半音低かった。
リオはそれに気づかない顔をした。気づかない方が幸せなことは、世の中に多い。
◇
建国祭の朝は、去年と同じ音で始まった。
王都中の鐘が一度に鳴る。宿の一階ではマルタが客の朝食を五人分同時に運んでいて、リオにはパンを投げてよこした。
「今年は、お客さんなのね」
「はい。観るだけです」
「よかった。去年は祭りの日に、くたくたで帰ってきたもの」
去年の祭りの夜、リオは竜の背から降りて宿に帰って階段の途中で寝た。マルタが部屋まで運んだらしいが、覚えていない。
「今年は遊んでらっしゃい。食べて、観て、帰ってきなさい」
「はい」
「帰ってくるのよ。そこが大事」
マルタは笑って、リオの背中を叩いた。
大通りは朝から人で埋まっていた。旗が屋根から屋根へ渡され、屋台の煙がもう上がっている。
待ち合わせの噴水に、全員がいた。
カイルは屋台の地図を手に持っていた。自分で書いたらしい。セナはフワだけを腕に抱えて、十二匹は家に置いてきたと言った。
テッサは工具を持っていなかった。
持っていない代わりに、つなぎではなく淡い黄色のワンピースを着ていた。ゴーグルもない。そばかすがいつもより目立って、本人はそれを気にしている顔だった。
「……なに。言いたいことあるなら言って」
「ない」
「あるでしょ」
「似合ってる」
「言わせたみたいになったじゃない!」
テッサは赤くなって、カイルの後ろに隠れた。カイルは何も分かっていなかった。
リオのポケットの中で、あかりが赤い帽子をずらして外を覗いた。
「ひとが、いっぱい」
「祭りだ」
「まつり、って、なに」
「……食べて、観て、楽しむ日」
「ひのわ、みたい」
「午後だ」
あかりは帽子を戻して、ポケットの中で光を小さくした。
噴水の反対側に、二人の令嬢が並んで立っていた。
クラリスは学園の外套の下に淡い若草色の服。エリアナは取り巻きなしで、白い扇子だけを持っていた。二人で来たらしい。二人で来られる仲だとは、リオは知らなかった。
もっとも、二人きりというわけでもなかった。
噴水の周りの人混みに、仕立てのいい上着を着た男が三人、別々の屋台を眺めるふりをして立っていた。眺めているのは屋台ではなく、二人の令嬢の背中だった。侯爵家と子爵家の護衛は、遠巻きにするのが作法らしい。
「ごきげんよう、皆さま」
「お、おはようございます……」
カイルの声が裏返った。
「なんでローウェン様が、俺らと」
「券をいただきましたので」
「誰に」
「アルクスさんに」
カイルがリオを見た。
見ながら、指を折り始めた。
「……お前、なんでそんなに沢山、券持ってんだ」
「バイト先の、知り合いから」
「バイト先ってどこだよ」
「配達」
「配達で竜の舞の最前列が六枚もらえるのか!?」
「もらえる時もある」
カイルは指を折るのをやめた。考えるのをやめたらしい。
セナは答えずに、フワを一度強めに撫でた。
◇
建国祭の開幕は毎年、大広場の野外舞台と決まっている。
今年の開幕を飾るのは、リュート座だった。
「リュート座……!」
クラリスの声が、普段の倍の高さになった。
「うちの父でも半年待ちで一枚取れるかどうかなんです。野外で観られるなんて」
「わたくし、リュート様の舞台は全部観ておりますの」
エリアナが扇子を開いた。
「観終わった後、本当に幸せな気持ちになるのよ。理由は分からないの。ただ、幸せになるの」
二人はもう舞台しか見ていなかった。
貴族の令嬢というものは、こういう時に一番年相応になるらしかった。
舞台には、何もなかった。
野外なので幕は張れない。板の床だけがある。その真ん中に女が一人立った。
黒い衣装に、長い髪。糸繰りの座長、シェラ・リュート。
その隣に黒い正装の男が一人、椅子に座った。喪服のような黒。白髪まじりの長い髪を後ろで結んで、膝に深い飴色の弦楽器を載せている。ラウル・ベルカント。歌劇場付きの楽士、というのが表の顔だ。
舞台の上には、その二人だけだった。
役者も、大道具も、楽団もない。
三万人の広場が、ざわついた。
弦が、一つ鳴った。
次の瞬間、舞台に山が立った。
板の床から、布とも光ともつかないものが立ち上がって山になった。緑の山だった。山の裾に森があり、森の奥で何かが光った。獣の目だった。
シェラが歌い始めた。
声は、四方から届いた。舞台から届くのではなく、広場の右からも左からも、後ろからも。三万人の一人ひとりの隣で歌っているように聞こえた。
歌は、建国の話だった。
この土地に最初に来た人間のことを歌っていた。魔物の棲む山に、槍も杖も持たずに来た一人の男。男は山の獣を狩らなかった。狩る代わりに森の入口に座って三日三晩待った。
シェラの声が、男の声になった。
低い、若い男の声。同じ喉から出ているとは思えなかった。
男が待って、森の奥から獣が出てきた。
舞台の山から、影が降りてきた。大きな四つ足の影。光でできているのか布でできているのか、リオにも分からなかった。ただ、獣の形をしていて獣の歩き方をしていた。
シェラの声が、獣の声になった。
唸りと息だけの、人の言葉とは違う声。それなのに意味が分かった。誰だ、何をしに来た、と言っている。
男が答えた。
共に住みたい、と。
弦が鳴った。
山が、開いた。
森が割れて、川が流れた。舞台の板の上を本当に水が流れているように見えた。川は舞台の縁まで来て、そこで光になって客席の上を渡った。三万人の頭の上を、光の川が流れていった。
どよめきが、悲鳴に近かった。
男が、川のほとりに家を建てた。二軒、三軒、十軒。家は光で、家の窓に灯りがともった。獣たちが森から出てきて、家の間を歩いた。人が獣を撫でた。獣が人の子供を背に乗せた。
国だった。
この国の、一番最初の形だった。
シェラの声が、何十人分にもなった。
民の声、子供の声、市場の声、獣の声。一人の喉から広場中に散らばって、舞台の上の光の街を満たしていった。
リオは、舞台の上の空を見ていた。
何も見えない。見えないが、あそこには本物の糸が張ってある。細い絹の糸が、舞台の上の暗がりから何百本、何千本。布も光も、川も家も、その糸の先に吊られていて、座長の指先から流した魔力が糸を伝って、全部を一度に動かしている。
人形劇だった。三万人の広場を丸ごと客にした、一人の人形遣いの芝居だった。
人間の腕とは思えない。ただ、あの人は六番だ。糸繰りの舞台屋の六番が、糸で街を一つ吊るくらいのことは、できても不思議はなかった。
やがて光の街の真ん中で、男が老いた。
背中が丸くなり歩みが遅くなって、川のほとりに腰を下ろした。
獣たちが、男の周りに集まった。
弦が、一度止まった。
三万人が息を止めた。
次の一音は、低かった。
リオはその音を知っていた。送りの音だ。窓口の裏で老いた軍馬を丘へ送った時の、あの音。
弦が一節、鳴った。
そしてリオの頭の中に、夏の午後が来た。
池のほとり。水音。ちゃぷ、と何かが水面を叩く音。母の声と父の声。顔が見える。この夏に返してもらった、一つきりの午後だった。
隣で、クラリスが息を吸った。
小さく震える吸い方だった。この人の一番楽しい日は、たぶん池の畔にある。台の左側に座る人と一緒に。
反対の隣で、エリアナの扇子が閉じたまま動かなかった。
この人が何を思い出したのかは分からない。分からなくていい。
カイルは口を開けたまま、目だけが遠かった。テッサは両手を膝の上で握っていた。
セナは、舞台を見ていなかった。
リオの横顔を見ていた。
見ていることに、リオは気づいていた。気づいて、舞台の方を向いたままでいた。
弦の一節が終わった。
舞台の上で、男が倒れた。
獣たちが、男の体を囲んだ。囲んで、山の方へ運んでいった。光の街の灯りが、一つずつ消えていく。
最後の一つが消えて、舞台が暗くなった。
三万人の広場が、真昼なのに夜のように静かだった。
弦が、鳴った。
今度は高かった。
舞台の山の上に光が一つ点いた。
二つ。十。百。
山の上に街が立ち上がった。光の街より大きい、石の街。城壁と、塔と、鐘楼。三万人の全員が知っている形だった。
王都だった。
今、自分たちが座っているこの街だった。
鐘楼の鐘が鳴った。舞台の鐘ではなく、本物の王都の鐘だった。座長がそこまで計算していたのか、偶然かは分からない。広場中の人間が、舞台の光の鐘楼と頭の上の本物の鐘を同時に聞いた。
シェラが、一礼した。
ラウルが、弦を膝から下ろした。
光が、全部消えた。
一呼吸の間、広場は音を失っていた。
それから、地鳴りのような拍手が来た。立ち上がる者、泣く者、隣の知らない人間と手を叩き合う者。あかりがポケットの中で光を大きくして、リオは慌てて帽子を押さえた。
「……幸せです」
クラリスが、両手で頬を押さえて言った。
「アルクスさん。私、今、すごく、幸せです」
「観るたびに、この国に生まれてよかったと思いますの」
エリアナが扇子で口元を隠して言った。隠し切れていなかった。
カイルは立ち上がって、誰よりも大きく手を叩いていた。テッサは目をこすりながら「仕組みが分からない」と三回言った。
リオは拍手をしていた。
していて、舞台の上の座長を見た。
一礼を終えた座長が、顔を上げた。
その目が、客席の一点を一瞬だけ見た。
リオを。
見て、何もしなかった。頷きもしなかった。ただ、口の端がほんの少し上がった。
リオも何もしなかった。
隣の令嬢たちは、舞台の座長に手を振っていた。
「リュート様……! シェラ・リュート様……!」
「お顔を、こんなに近くで……」
リオは拍手を続けた。
あの人が自分の名前を知っているとは、この二人には言えなかった。
言えないことが今日、二つ増えた。朝に一つ、たった今、もう一つ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
【登場人物メモ】
シェラ・リュート……リュート座の座長。十三番窓口の六番、糸繰りの舞台屋(第13話・第37話)。
ラウル・ベルカント……歌劇場付きの楽士。十三番窓口の十番、葬送楽士(第15話)。
マキアス翁……アルバ竜技団の座長(第20話)。ゼノとノワールの主。
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次回、中編です。




