↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一体契約のテイマーと十三番窓口〜眠そうな学園生は、裏で魔物案件を片付ける〜  作者: じぇいじぇい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
103/144

第47話 水の音 〜ラティス家の朝〜

お読みいただきありがとうございます。


新しいお話です。今回は一話完結、セナの家の話です。

 秋の初めの朝だった。

 窓の白花樹はまだ緑で、朝の風だけが先に冷たくなっていた。ヴァンスとダリオの席が空いて二週間。教室はもう、二つの空席に慣れていた。

 その朝、セナが遅刻した。

 鐘の三つ目が鳴り終わってから教室に入ってきて、席に着いて、それきり黙った。襟が曲がっていた。人の襟を毎朝直す人の襟が曲がっているのを、リオは初めて見た。


「……珍しいな」

「何が」

「セナが遅刻」

「……起きられなかったのよ。夜中まで帳面を見てて」


 セナは机に肘をついて、それから膝の上のフワを撫でた。撫でる手が速かった。フワが迷惑そうに丸くなり直した。


「セナ、どうした。腹減ってんのか」


 後ろからカイルが顔を出した。


「減ってないわ」

「じゃあ寝不足か。俺も昨日、稽古の後で――」

「ゴウが、仕事をしないの」


 カイルの話が途中で止まった。


「ゴウって、亀の」

「苔背亀のゴウ。うちの、留守番と振動探知の」


 セナは順番に説明を始めた。理由から順に、いつもの言い方で。

 三日前から呼んでも来るのが遅い。庭の水場に頭を入れたまま、半刻も動かない。昨日の演習で、人の足音を三回拾い損ねた。


「三回よ。……ゴウが拾い損ねたことなんて、今まで一度もなかった。霧の山でも、坑道の実習でも。あの子は一番遅くて、一番外さない子だったの」

「病気か?」

「分からない。餌は食べてる。甲羅の色も普通。……糸からは、何か引っかかってるのは伝わってくるの。不満っていうか、もやもやしてるっていうか。でも、何にかは分からない。糸は気持ちは伝わるけど、言葉じゃないから」


 リオは机に伏せたまま聞いていた。

 契約の糸は、気持ちを伝える。痛い、怖い、嬉しい、嫌だ。それが何に対してかまでは、教えてくれない。それを言葉の近くまで持ってこられるのは、リオの触れ糸くらいだった。セナは糸を十二本持っていて、その十二本のどれも、そこまでは届かない。

 伏せたまま、ゴウの水場の絵を思い出していた。あの家の庭の隅の、浅い石の水場。甲羅を干すのにちょうどいい深さで、潜るには足りない。


「ミラさんに、見せに行くわ。今日の放課後」


 セナは自分で決めて、自分で頷いた。

 それから襟に手をやって、曲がっているのに気づいて直した。


     ◇


 第十三厩舎の診察台の上で、ゴウは籠から出されても動かなかった。

 甲羅の直径は、セナの両手で囲えるくらい。背中一面に深い緑の苔が生えていて、その苔が手入れの証だった。乾かしすぎず湿らせすぎず、三年かけて育てた苔だ。

 ミラは甲羅に手を当て、目と口と足の裏を診て、それから手をかざしてしばらく目を閉じた。


「……どこも悪くない」

「本当に」

「本当に。腹の中もきれい。目も澄んでる。亀は長生きよ。歳でもない」

「じゃあ、どうして」

「それは私の分野じゃないわ」


 ミラは手を下ろした。


「体はうちの分野。それ以外は、テイマーの分野。……あなたの分野よ、セナ」


 セナは鞄から帳面を出した。十二匹分の世話の記録だ。ゴウの頁を開いて、この十日分を指でなぞる。餌、水、苔の湿り、甲羅の艶、機嫌。全部の欄に丸が並んでいた。


「全部、いつも通りなんです。……糸で聞いても、もやもやしてる、しか返ってこなくて。何がって聞くと、そこで途切れるんです」

「糸はそういうものよ。うちの五十一本だって、痛いのはどこかまでは教えてくれない。どこが痛いかは、こっちが触って探すの」


 ミラは帳面を指で軽く叩いた。


「帳面に載らないものも、あるわよ」

「……載らないもの」

「載らないから、困るんでしょう」


 ミラはそれ以上言わずに、診察台の上のゴウの頭を指で一度なでて、籠に戻した。


     ◇


 その夜、ラティス家の食卓で、セナは帳面を開いたまま食べていた。


「セナ。ご飯の時は閉じなさい」

「はい」


 閉じて、一口食べて、また開いた。

 母は「はいはい」と言って、それ以上は言わなかった。

 戸口が開いて、ロディスが帰ってきた。北の街道から三日ぶりで、革の上着に埃が積もっている。ゼグは獣舎に入れてきたらしい。


「ただいま。……なんだ、その顔」

「ゴウが仕事をしないの」

「聞いた。母さんから」


 ロディスは上着を脱いで、それから庭に出た。セナもついていった。

 庭の隅の水場に、ゴウはいた。

 浅い石の水場に、甲羅の半分まで浸かって、頭を水の中に入れている。動かない。月明かりで、甲羅の苔が黒く見えた。

 ロディスは腕を組んで、しばらくそれを見ていた。

 運送屋の目だった。荷獣を毎日見る人間の、荷獣を見る時の目。


「セナ。うちの荷獣は、十日に一日、荷を外す」

「知ってるわ」

「お前の亀は、最後に荷を外したのはいつだ」

「……毎日、餌の後は自由にしてる」

「庭の中でな」


 セナが黙った。


「働けない獣は、休ませるか、譲るかだ。運送屋じゃそう決まってる。荷を引けない荷獣を、引けるふりで繋いでおく方が、獣にはきつい」

「譲る」


 セナの声が低くなった。

 それから、一気に高くなった。


「譲るって、誰に。ゴウは三年うちにいるのよ。振動探知は私が一から教えたの。地面の震えと水の音を分ける教え方なんて本にも載ってないから、庭で毎日、水場の横に座って教えたの。あの子の苔も私が育てた。譲るなら苔ごと譲るの? 苔は水と日当たりで色が変わるのよ、そんなの引き取った先で誰が――」


 止まらなかった。

 ロディスは腕を組んだまま、終わるのを待っていた。初めてリオがこの家に来た日の、縁側と同じ姿勢だった。母が戸口から「はいはい」と言った。

 セナの息が切れた。

 切れたところで、ロディスが口を開いた。


「……休ませる方だ。言ってるのは」

「え」

「譲れとは言ってない。二つ並べただけだ。お前が勝手に後ろの方に噛みついた」


 セナは言い返す言葉を三つまで数えて、どれも使えないと分かって黙った。


「休ませろ。荷を外して、荷の掛からない場所に置け。……それがどこかは、俺には分からん。俺は荷獣の主人で、亀の主人じゃない」


 ロディスはそう言って、家に入っていった。

 庭に、セナとゴウが残った。

 水場のゴウは、まだ頭を水に入れたままだった。


     ◇


「見てほしいの。見て、思ったことを言ってくれるだけでいい」


 翌日の昼、セナはそう言ってリオに頭を下げた。

 ノルの時と同じ頼み方だった。あの時よりも、頭を下げる角度が深かった。


「……週末なら」

「ありがとう」


 カイルは剣術科の合同稽古で終日拘束。「亀だって寝たい日があるんじゃね」と言って、セナに「亀は毎日寝てるわ」と返されていた。

 週末、南門を出て街道を半刻。

 白い柵の家の門を開けると、庭の奥から小さな影が四つ、五つ走ってきた。鈴尾鼬たちが先陣で、フワがセナの腕から飛び降りて列に加わった。


「あらあら、いらっしゃい」


 母屋の戸口で、セナの母がエプロンで手を拭いた。


「リオくん、お昼まだでしょう。先に食べていってね。ゴウのことは、食べてからでいいから」

「……はい」

「あの子は逃げないわ。三日、水場から動いてないもの」


 のんびりした声だった。この家で一番慌てていないのは、いつもこの人だった。

 ゴウは来なかった。


「……来ないの」


 セナが小さく言った。


「あの子、あなたが来ると、一番に走ってきたのよ。亀なのに。……最高速度で」

「ああ」


 リオは足元の出迎えを一匹ずつ撫でてから、庭の隅へ歩いた。

 水場のゴウは、五日前と同じ姿勢だった。甲羅の半分まで水に浸かって、頭を水に入れている。近づいても上げない。

 リオは水場の横にしゃがんだ。

 糸を伸ばせば、分かる。触れるだけの糸を一度触れさせれば、この子が今何をしているかは一息で分かる。

 伸ばさなかった。

 俺が聞けば、俺の答えになる。この子はセナの子で、三年かけてセナが教えた子だ。答えはセナが出すもので、リオが先に出してしまえば、セナは一生この子に自分で聞かなくなる。

 だから、見るだけにした。

 水面に、頭。甲羅の縁が水面に触れて、時々ごく小さく揺れる。


「……セナ」

「なに」

「あいつ、水場で何してる」

「頭を入れてるだけよ。ずっと」

「何してる」

「だから、頭を……」


 セナは言いかけて、リオを見た。


「……聞いてる?」

「たぶん」

「水の中で? 何を」


 リオは答えなかった。

 答えない代わりに、別のことを聞いた。


「セナが、ゴウに演習でいつも言うこと。……何だっけ」


 セナが固まった。

 固まって、口を開いて、閉じた。

 それから、ゆっくりと言った。


「……水の音は拾わなくていい。地面だけ」

「ああ」

「三年前に、教えたの。この水場で。亀は水の中の音の方が得意だから、地面の震えを覚えさせるのに、水の音を毎回、切らせた。水の音を聞くたびに、地面だけ、って。……そうしないと、振動探知にならないから」

「なった」

「なったわ。学年で一番」


 セナは水場を見た。

 水に入れたままの、ゴウの頭を。


「……私、ずっと言ってたのね。水の音は拾うな、って。三年。この子が一番得意なことを、毎日」


 リオは何も言わなかった。

 言うことは、もうなかった。

 セナはしばらく水場を見てから、立ち上がった。


「兄さん」


 獣舎の方へ、声を張った。


「街道で、荷獣に水を飲ませる場所。深いところ、知ってる?」


 獣舎から、ロディスの声が返った。


「二つ目の橋の下だ。淵になってる」

「連れて行って」

「荷車を出す」


 兄は妹に、理由を一つも聞かなかった。


     ◇


 荷車は街道を南へ下った。

 御者台にロディス。荷獣は角の丸い二頭で、この家の一番古い組らしい。荷台にはセナと、籠に入ったゴウと、リオ。

 ゴウは籠の中で、甲羅の裏を荷台の板に付けていた。


「……車輪の音を、聞いてる」


 セナが言った。


「地面の震えを聞く姿勢よ。私が教えた姿勢」

「ああ」

「あの子、教えたことは、全部やるの。ずっと」


 それきりセナは黙った。

 二つ目の橋は、街道が川を渡る石の橋だった。橋の下手で川が大きく曲がり、曲がった内側の水が深く澱んでいる。緑色に見えるほど深い。荷獣がここで水を飲むのは、流れがゆるくて足を取られないからだとロディスが言った。

 ロディスは荷獣を外して水際へ連れて行った。

 セナは籠を抱えて、淵の岸に下りた。

 岸の石にゴウを置く。

 置いて、手を離す。離しかけて、止まった。

 手が甲羅の上で止まっていた。

 三年育てた苔の上に。


「……セナ」

「分かってる」


 セナの声が震えていた。


「分かってるわ。……戻ってこなかったら、それでいい。この子が水の方がいいなら、それでいい。私が決めることじゃない。この子が決めることよ。あなたがいつも言ってる通り。縁は、相手が選ぶ。……分かってる」


 自分に言い聞かせている声だった。

 手は、まだ甲羅の上にあった。

 リオは黙っていた。

 ロディスも黙って荷獣に水を飲ませていた。こちらを見ていない。見ないでいてくれている。

 セナは息を吸った。

 授業モードの吸い方だった。ただ、出てきたのは授業の声とは違っていた。


「――ゴウ」


 甲羅から、手を離した。


「今日は、水の音を拾っていいわ。……地面は、聞かなくていい」


 ゴウの頭が、水面から上がった。

 三年ぶんの決まり文句の、裏返しだった。

 ゴウは首を伸ばして、セナを見た。それから淵を見た。それからもう一度セナを見た。

 そして、岸の石から水へ滑り落ちた。

 ぽちゃん、と音がして、それきりだった。

 緑の水面に、波紋が広がって、消えた。泡も出ない。甲羅の影もすぐに見えなくなった。淵は深く、底は見えなかった。

 セナは岸に座り込んで、膝を抱えた。

 リオも座った。

 糸を伸ばせば、居場所は分かる。あの子が今どこにいて、何を聞いているかも。

 伸ばさなかった。

 荷獣が二頭とも水を飲み終えた。ロディスは荷獣を木陰に繋いで、自分は御者台に腰掛けて煙草を吸い始めた。煙が川風に流れた。

 日が傾いた。

 水面は動かなかった。

 御者台から、ロディスが煙を吐いて言った。


「アルクス」

「はい」

「お前、探せるんだろう。あの亀」

「探せます」

「探すのか」

「探しません」


 ロディスは煙草を口に戻した。


「……そうか」


 それきりだった。この家の男たちは、聞くことと聞かないことを、最初から決めているらしかった。

 セナは一度も水面から目を離さなかった。抱えた膝の上で手を組んで、その手が時々白くなるまで握られた。

 長かった。

 リオは眠らなかった。眠れる場面ではなかった。

 橋の上を、荷馬車が二台通り過ぎた。橋の影が、淵の半分まで伸びた。

 水面が動いた。

 淵の真ん中で、緑の水が盛り上がった。

 甲羅が出た。

 苔が水を含んで、来た時より二段濃い緑になっていた。頭が上がって、岸を探して、岸のセナを見つけた。

 ゴウは泳いできた。

 亀の泳ぎで、ゆっくり、まっすぐ。岸の石に前足を掛けて、這い上がって、セナの足元まで来た。

 来て、甲羅の裏を地面に付けた。

 振動を聞く姿勢だった。セナが教えた姿勢。

 セナが、甲羅に手を置いた。

 濡れた苔の上に。

 ゴウは動かなかった。地面に甲羅を付けたまま、頭だけをセナの膝に寄せた。

 何かを伝えていた。

 水の中で聞いてきた何かを、地面を通して。それがどんなものかはリオには分からなかったし、糸を伸ばせば分かるとしても、伸ばす気はなかった。

 セナは長いこと、手を置いていた。

 それから、小さく言った。


「……分かったわ」


 何が分かったのかは、言わなかった。

 言わなくてよかった。

 ゴウが頭を上げた。

 上げて、岸の濡れた石を見た。次の瞬間、甲羅の苔から水が滲んだ。滲んで、甲羅の周りの石の上に薄く広がった。手のひらほどの、水の膜だった。

 ゴウはその膜の上で、もう一度甲羅の裏を地面に付けた。


「……え」


 セナが目を見開いた。


「今の、水……。ゴウ、あなた、今、自分で」


 膜の向こうで、荷獣が一頭、足を踏み替えた。

 ゴウの頭が、その方を向いた。

 乾いた石の上ではなく、自分で張った水の膜の上で、荷獣の足音を拾っていた。


「水を、張った……。苔から」


 セナの声が震えていた。さっきとは違う震え方だった。


「野生の苔背亀は、水辺でしか振動を拾わないの。水が地面の震えを運ぶから。……だから私は、水なしで拾える子に育てたのに。この子、水の方を、自分で持ってきた」


 半日、淵の底で何を聞いてきたのかは分からない。

 分からないが、上がってきた時にこの子は、水を連れてきていた。


     ◇


 帰りの荷車は、行きより遅かった。

 荷獣が満腹で、御者が急がなかった。


「亀一匹に半日か」


 御者台からロディスが言った。


「運送屋の理屈じゃ赤字だ」

「兄さんが連れてきたのよ」

「……ああ」


 煙草の煙が後ろへ流れた。


「十日に一度だ。うちの荷獣と同じ」

「……分かってる」

「分かってるなら、いい」


 荷台の隅で、リオは籠に背中を預けて寝ていた。

 行きは眠れなかった分を、帰りに取り戻している。セナは起こさなかった。

 籠の中のゴウは、甲羅の裏を荷台の板に付けていた。

 車輪の音を聞いていた。

 聞きながら時々、首を伸ばして川の方を見た。


     ◇


 翌週の演習で、ゴウは足音を全部拾った。

 それだけなら元に戻っただけだが、拾った場所が違った。演習場の隅の水桶に頭を突っ込んで、桶の水を通して、裏門の外を歩く教官の足音まで拾った。裏門は、演習場から柵二つ向こうにある。


「……亀、治ったのか」


 柵の外から見ていたカイルが言った。


「治ったんじゃないわ。覚えてきたのよ」

「何を」

「水の音の、使い方」


 セナは帳面を開いて、ゴウの頁に新しい欄を一つ足した。

 欄の名前は、まだ書いていなかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


【登場人物メモ】

 ロディス・ラティス……セナの兄。獣付き運送屋の跡取り。相棒は鎧殻熊のゼグ(第5〜6話)。

 ミラ・フォルカ……第十三厩舎の主。王都獣医師会の獣医師。

 ゴウ……セナの苔背亀。振動探知と留守番の担当(第6話・第9話)。


面白い、続きが気になると思っていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。