第46話 留学の話(中編)
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第46話の中編です。
面談室は講堂の脇の小部屋だった。
廊下には順番を待つ生徒が並んでいた。ダリオは壁に背を付けて、ガルフの首筋を撫でている。撫でているのは、ガルフより自分を落ち着かせるためらしかった。ヴァンスは窓際に立って外を見ている。窓の外の木の枝に、嵐鷲がとまっていた。
セナは名簿の順番を確かめて、それからリオを見た。
「……あなた、もう寝てるの」
「まだ」
「目が半分閉じてるわ」
「いつもこうだ」
リオは廊下の長椅子に座っていた。
落ちるために来た。いつも通りにしていれば落ちる、とグラントは言った。
「リオ! 頑張れよ!」
廊下の角から、カイルが顔を出した。
「面談官に、お前のすごいとこ見せてやれ!」
「見せない」
「なんでだよ!」
「帰れ」
「ひでえ!」
カイルは笑いながら引っ込んで、代わりにノアが顔を出した。
「先輩、俺も面談、受けることにしました。ゼルは連れて行きません。行くかどうかは、面談してから決めます」
「……そうか」
考えて決める後輩になった。それだけで、よかった。
◇
面談室の中は、簡素だった。
長机が一つ。その向こうに、エルム・シラード。机の端に、学園側の立会いとしてマリウス教官。そして窓際の一段高い席に、理事会側の同席者として白いドレスの令嬢が扇子を膝に置いて座っていた。
エリアナ・ローウェンだった。
侯爵家は学園の理事会に席を持ち、財団の推薦制度の保証人でもある。今日は父の名代で来た、ということになっていた。
長机の上に籠が一つ置かれていた。
籠の中に小さな灰色の獣がいた。鼬に似た体で、耳が長い。ルヴィナの国境で保護された魔物だと、エルムは説明した。国境の外へ追い出される途中で猟師の網に掛かったのを、商会が引き取った。
「……この子は、人を怖がります。当然ですね。ルヴィナで人に会って、良いことは一つもなかった」
エルムは籠の中の獣を見て、本当に気の毒そうに言った。
「面談の課題は一つです。この子を、落ち着かせてみてください。契約を結んでくれとは言いません。契約は一年かけて結ぶものだと伺っています。面談室で結べるものではない。……手と、道具と、経験で。皆さんのやり方を、見せていただきたいのです」
籠の中で、灰色の獣は隅で震えていた。
◇
ダリオは正攻法だった。
籠の前に座り、鞄から刷毛を出して、籠の格子越しに獣の見える位置に置いた。まず見せる。自分が何をする人間かを。
それから、格子の隙間から指を一本だけ入れて、動かさずに待った。
八年、毎晩ガルフを撫でてきた手つきだった。灰色の獣の震えが少しずつ収まり、隅から格子の方へ這ってきた。刷毛の匂いを嗅いで、それからダリオの指を嗅いだ。
「……素晴らしい」
エルムが本当に感心した声で言った。
「毎日の手つきが、そのまま糸になっている。あなたは、獣に何をする人間かを、先に見せた。……ルヴィナには、その順番を知る人間が一人もいない」
ダリオは、褒められ慣れていない顔で頭を下げた。
◇
セナは理屈だった。
「この子は、耳が長いので、音に敏感です。この部屋は、廊下の足音が響きすぎます」
そう言って、籠を机の端から窓際へ移した。それから自分の上着を脱いで、籠の半分に掛けた。暗い側と明るい側を作る。獣は暗い側に入って、そこで震えが止まった。
「……十二匹、いるんです。うちに。怖がりの子が三匹いて、全員、暗い側から慣らしました」
手は、最後まで出さなかった。獣が自分で明るい側へ出てきた時、初めて指先を格子に添えた。
「見事ですね」
「ありがとうございます。……それで、面談官」
セナは背筋を伸ばした。
「私は、行きません。相棒を連れて行く決まりだと聞きました。魔物を狩る国に、うちの子たちを連れて行けません。推薦生なので面談は受けますが、留学は辞退します。理由は、それだけです」
エルムは微笑んだ。
「正直ですね。……候補には、入れておきます」
「入れなくて結構です」
「あなたの目で見た理由が、正直だったからです。理由の正直な人ほど、こちらは知りたい」
セナは眉を寄せた。
断った者を候補に入れる面談官。この人は、留学に行く人間を探しているというより、何かを測っている。
その何かはセナには分からなかった。
◇
リオの番が来た時、リオは半分寝ていた。
名前を呼ばれて面談室に入り、椅子を引いて座った。
椅子を引く時、音がしなかった。
窓際の席で、白い扇子が一度だけ動いた。
エリアナはリオの手元を見ていた。椅子の引き方を。給仕が客の背後で椅子を引く時の、あの引き方を。見て、扇子を膝に戻して何も言わなかった。
「――アルクスさん」
エルムが顔を上げた。
上げて少し目を細めた。
「工人展で、お会いしましたね。ロックウェルさんの、ご友人の」
「……はい。搬入のバイトで」
「あの時、あなたは荷を運んでいた。……テイマー科の推薦生だとは、知りませんでした」
リオは答えなかった。
答えない代わりに籠を見た。
灰色の獣はまだ暗い側にいた。セナの上着は、もう外されている。籠の隅で、また震え始めていた。
「課題は、お聞きになりましたね。……どうぞ」
リオは何もしなかった。
糸は、伸ばさない。触れるだけの糸も、だ。手も出さない。刷毛もない。上着も掛けない。ただ、椅子に座って籠を見ている。眠そうな目で。
落ちるためだ。
何もしなければ、落ちる。それが今日の仕事だった。
一呼吸。
二呼吸。
マリウス教官が、咳払いをした。
「アルクス。課題だ」
「……はい」
三呼吸。
籠の中で、灰色の獣が動いた。
隅から、這い出してきた。格子の方へ。リオが座っている側へ。格子に鼻先を寄せて、リオの匂いを嗅いで、それから格子のすぐ内側で丸くなった。
震えが止まっていた。
糸は伸ばしていない。契約の糸も、触れるだけの糸も。
何も、していない。
それなのに、籠の中の獣はリオの側で丸くなって目を閉じた。この部屋に入ってから、初めて目を閉じた。
面談室が静かになった。
「……」
エルムはしばらく籠を見ていた。
見て、それからリオを見た。
「……面白い」
声が低くなった。帳場で依頼書を置いた時の、あの声に近かった。
「何もしていないように、見えて」
リオは、覆面をしていない自分の顔をこの人が見ていることに、初めて気づいた。
素顔で、獣に好かれている。
それが今日だけは一番の弱点だった。
「マリウス教官。この生徒は、いつもこうなのですか」
「……いつもこうです」
教官は渋い顔で答えた。
「授業でも、演習でも。何もしていないのに、獣の方から寄る。本人は寝ている。……評価に困る生徒です」
「困る、でしょうね」
エルムは笑った。
笑って、手元の名簿に何かを書いた。
◇
廊下に出ると、カイルとセナが待っていた。
「なあ、なんで落ち着いたんだ? あの子」
カイルが面談室の扉を指した。
「聞き耳立ててたけど、お前、何もしてなかったろ。教官に『課題だ』って言われてたぞ」
「何もしてない」
「じゃあ、なんで」
「……知らない」
答えたのはセナだった。
リオを見ずに廊下の向こうを見て言った。
「知らないわ。……あの子が、勝手に落ち着いただけよ」
知っている顔だった。
セナはそれ以上言わなかった。
面談室の扉が開いて、白いドレスの令嬢が出てきた。エリアナは廊下の三人を見て、リオの前で足を止めもせず、すれ違いざまに扇子を一度だけ、小さく閉じた。
リオが、頷いた。
それだけだった。言葉はなかった。だが、二人の間だけで通じている何かが、確かにあった。
セナは、その扇子と、リオの頷きを、順に見た。
見て、面白くない顔をした。
◇
夕方、面談が終わった。
エルムは理事会への報告として、候補の名簿を一枚、学園に残した。清書は、委員長の仕事だ。クラリスは職員室でその名簿を受け取った。
受け取って目を通した。
一番上にヴァンス。
二番目にダリオ。
三番目に――アルクス。
クラリスのペンが、止まった。
止まって、それからいつも通りの字で清書を始めた。
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次回、後編です。




