第46話 留学の話(前編)
お読みいただきありがとうございます。
ついに100話目です!
前・中・後編の三回でお届けします。
ルヴィナの本店の、白い花の飾られた部屋で報告が続いていた。
「――覆面のテイマーについて、分かったことを」
「声は、若い。変声の布を使っていますが、布の下の息の長さが若い。手も若い。湿地の人足が、水際で杭を押さえた覆面の手を見ています。傷のない、まだ仕事に荒れていない手だったと」
「若い、とは」
「学生くらいかと。……レニオの王都で若いテイマーを探すなら、行き着く先は一つです。あの学園のテイマー科」
上座の声がしばらく黙った。
「学園には、手を出しにくい。財団が後ろにいる」
「出す必要はありません。招けばいい」
名代が一枚の紙を卓に置いた。
「ルヴィナ交換留学。魔物を狩る国が、共存を学ぶために、レニオの若いテイマーを教える側として招く。……もっともらしい話です。しかも、こちらが困っているのは本当だ」
「本当だからこそ、通る。……エルムに、やらせろ」
白い花が一輪揺れた。
◇
教室の掲示板の前に、人だかりができていた。
「ルヴィナ交換留学……?」
「シラード商会の寄付だって。学年を問わず、テイマー科から三人、一年間」
「向こうにはテイマーがいないから、教えに行く側なんだと」
「教える側! 学生が!?」
夏の終わりの朝だった。掲示の紙は真新しく、印刷の匂いがまだ残っていた。
「行けよ、リオ!」
カイルが後ろから肩を叩いた。
「ルヴィナだぞ。国外だぞ。箔がつくぞ」
「行かない」
「なんでだよ」
「あそこの文化と、合わない」
リオは掲示を見ずに言った。
ルヴィナは、魔物を狩る国だ。人を襲う魔物も襲わない魔物も、区別せずに狩る。だから人間は安全に暮らせる。その代わり、魔物は国境の外へ追い出される。国境の村で、追い出された魔物を一頭北の領域へ帰したことがある。あの獣の記憶にあった、槍と杖の人間たち。あれがルヴィナの普通だ。
「私も、合わないわ」
隣で、セナが言った。
「魔物を狩る国で、魔物との共存を教える? 教えた翌日に、狩られるのよ。相棒は連れて行く決まりでしょう。うちの子たちを、そんな国に連れて行けるわけがない。……推薦生だから、面談は受けるけど。受けて、断るわ」
「だよなあ」
カイルはあっさり引き下がった。
「俺は行ってみたいけどな。剣術科は関係ねえし」
教室は二つに割れていた。
行きたい側は、目を輝かせている。国外の経験、商会の支度金、一年間の箔。テイマー科の中でも、上を目指す生徒ほど掲示の前から動かない。
行きたくない側は、掲示を一目見て自分の席に戻った。魔物を狩る国に、自分の相棒を連れて行く気はない。それだけの理由で、十分だった。
「――出るぞ、俺は」
掲示の前で、ダリオが真っ先に名を書いた。去年の公開査定の時と同じ手つきで。
「ガルフも一緒だ。あっちの連中に、獣ってのが何かを見せてくる。……それが教える側ってもんだろ」
叩き上げの男の、正攻法だった。
その隣で、もう一人、静かに名を書いた者がいた。
ヴァンス。推薦生の一人で、嵐鷲を一体だけ連れている男である。一体を、深く。それがこの男の信条で、入学から一年半、嵐鷲以外の獣に糸を伸ばしたところを誰も見たことがない。
「……行くのか、ヴァンス」
「行く。……嵐鷲と二人で、一年。あいつ一体で、どこまで通じるか確かめたい」
ヴァンスは、それだけ言って席に戻った。
昼休みには、戸口に一年のノアが顔を出した。
「先輩。うちのクラスにも掲示が出ました。学年は問わないって。……先輩は、行きます?」
「行かない」
「じゃあ、俺、行こうかな。ゼルと一緒に」
「やめとけ」
即答だった。ノアが、目を丸くした。
「ゼルを、魔物を狩る国に連れて行くな。……群れの見張り役が、群れの外だらけの国で、一年もつと思うか」
ノアはしばらく考えて、それから、黙って戸口から引っ込んだ。
考えて引っ込める後輩になった。それだけで、去年よりましだった。
リオは席に戻って机に伏せた。
伏せてから、気づいた。掲示の一番下に、小さな字で一行。
――推薦生は、面談必須。
逃げられない、らしかった。
◇
その夜、帳場でグラントは掲示の写しを一目見て言った。
「白庭の枠だ」
「……やっぱり」
「共存を学びたい、はたぶん本当だ。あいつらは、生き物を道具にする技術が欲しい。テイマーを一年借りれば、糸の技術が丸ごと手に入る。……そして、もう一つ」
グラントは湯呑みを置いた。
「覆面を、探してる。湿地の後から、あいつらは覆面を全力で調べてる。声が若い、手が若い。そこまでは掴んだと思っていい。若いテイマーを一人ずつ面談すれば、そのうち当たる。……面談ってのは、そういう網だ」
「じゃあ、俺は」
「面談は、受けろ。推薦生が受けなきゃ、それが一番目立つ。受けて、落ちてこい」
「落ちる」
「いつも通りにしてりゃ、落ちる。……お前の一番の武器は、居眠りだ」
それはそうだった。
だが、リオにはもう一つ気になることがあった。
「面談官は、誰が」
「シラードの若当主だ。本人が来る」
エルム・シラード。
帳場の客用の椅子に座って依頼書を置いていった人。工人展で、素顔のリオを「ロックウェルさんのご友人」として見た人。
あの人は素顔の自分を覚えている。
「……覆面と素顔は、繋がってない。あの人の中では」
「繋がってねえ。繋げるのが、面談だ。……居眠りで、繋げさせるな」
グラントはそれ以上言わなかった。
言わない代わりに、帳面の隅に何かを書き付けた。品目の欄ではなく、備考の欄だった。
◇
昼、隣のクラスからテッサが滑り込んできた。
「覆面……じゃなくて、リオくん! 留学の掲示、見た?」
「見た」
「あの人でしょ。面談官。……支度金、本物だったんだよ。前に私に持ってきたやつ。全部本物だった。だから、怖いのよ」
テッサは、それだけ言って、また自分の教室に戻っていった。
本物だから怖い。工人展の後で、この人はそれを身をもって知っている。
翌日、委員長のクラリスが教壇で名簿を読み上げた。
「留学の面談は、来週の火曜日。希望者と推薦生は、この順番で。……段取りは、私が任されました」
クラリスは、几帳面に順番を書いた紙を黒板に貼った。
一番上にダリオ。その下に希望者が五人。そして一番下に推薦生が三人。セナ、ヴァンス、リオ。
リオの名を書く時、クラリスの手が一瞬だけ止まった。
止まって、それからいつも通りの字で書いた。
放課後、リオが帰り支度をしているとクラリスが机の前に立った。
「アルクスさん」
「はい」
「……面談、お受けになるのですね」
「推薦生なので」
クラリスはしばらく黙っていた。
この人は、リオの秘密を王都で一番堅く抱えている人だ。夜の仕事も、覆面も、窓口も、全部知っていて一度も口にしたことがない。
「一つだけ、伺います」
声を、教室の誰にも聞こえない大きさまで落として。
「……何か、危ないのですか」
リオは答えた。
「はい」
「理由は」
「言えません」
「……分かりました」
クラリスは頷いた。
頷いて、名簿の紙を胸に抱え直した。
「では、私は、委員長として、正しく段取りをします。それだけです」
それだけ言って、教壇へ戻っていった。
何をどう正しくするのか。リオには分からなかった。
だが、この人が「正しく」と言う時の顔をリオは知っていた。ラーゴの池のほとりで、「誓います」と言った時の顔と同じだった。
◇
面談の前日、学園の正門に上等な馬車が停まった。
降りてきたのは、仕立ての良い、しかし華美ではない上着の若い男だった。門番に丁寧に会釈をし、案内の教師に丁寧に礼を言い、途中で転んだ一年生を助け起こして笑わせた。
遠目に見ていた生徒たちの間に、ほっとした空気が広がった。
感じのいい人だ、と誰もが思った。
リオも窓から見ていた。
見ながら、隣の席のセナが小さく言ったのを聞いた。
「……あの人、工人展で見たわ。テッサに、支度金の話をしてた人」
「ああ」
「テッサ、断ったのよね」
「断った」
セナはそれ以上聞かなかった。
聞かない代わりに、正門の馬車とリオの横顔を交互に見た。
面談は、明日だった。
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次回、中編です。




