第3話 ~本物が降参する日~
その夜、悠斗は自分の部屋のベッドに横になり、天井をじっと見つめていた。
学校から帰ってきてから、何時間も動けなかった。
頭の中を、今日一日で浴びせられた言葉がぐるぐる回っている。
「悠斗くん、今日なんか変だよ?」
「昨日までの熱意はどこへ行ったんだ?」
「作戦、試そうぜ!」
「悠斗くん、話したいことがあるんだけど……」
どれも、2号が作り上げた「期待の悠斗」に向けられたものだった。
本物の悠斗には、重すぎる。
「俺……あんな風には、なれない」悠斗は小さく呟いた。
朝起きて、みんなに笑顔で挨拶する。
授業で的確に答え、部活で頑張り、文化祭の準備を率先して進める。
女子に優しく接して、期待を裏切らない。
そんなこと、できるはずがない。
悠斗は昔から、人と深く関わるのが苦手だった。
適当に流して、目立たずに過ごすのが精一杯。
2号のように「最適化」された人間関係など、演じることすら想像できない。
今日一日で、それを実感した。
試しに鏡の前で、2号のような柔らかい笑顔を作ってみた。……無理だった。
顔が引きつるだけ
声を出してみても、どこか不自然で、すぐに「面倒くさい」と本音が漏れそうになる。
「俺は、俺のままじゃダメなんだな」悠斗はため息をつき、スマホを手に取った。
悠斗2号はリビングで、悠斗の母親と普通に夕食の話をしていた。
母親は笑顔で「最近本当に頑張ってるわね」と褒めている。
2号の返事は自然で、完璧だった。悠斗は部屋から出て、2号の背中に声をかけた。
「……2号」2号が振り向く。同じ顔、同じ瞳。でも、そこに宿るものは明らかに違う。
「どうしましたか?」悠斗は目を逸らしながら、ぼそぼそと言った。
「明日から……また、お前が学校に行ってくれ。俺は、もう行けない」
2号は静かに首を傾げた。
「理由を聞かせてください」
「怖いんだよ……学校が」悠斗の声は震えていた。
「みんながお前を期待してる。
『最近の悠斗はすごい』って。
俺が行ったら、すぐにバレる。
『なんか変だ』って言われて、失望されて……それが怖い。
お前の様にはできない。無理だ」
2号はしばらく無言で悠斗を見つめた。
その視線は優しくも、冷たくも感じられた。
「つまり、本物の悠斗は、私のようにはなれない。私の作った『悠斗像』を維持できない、と」
「……ああ」悠斗は頷いた。
認めるのが悔しかったが、もう逃げられない。
「だから、全てお前に任せる。学校も、人間関係も、部活も、文化祭も……全部。お前が俺として生きてくれ。俺は家で、のんびりしてる」
2号の口元に、ほんの少しだけ微笑みが浮かんだ。
「了解しました。悠斗の意志を尊重します。これからは、私が『安藤悠斗』として完全に生活します。
悠斗は目を閉じた。これで楽になるはずだった。
最初に計画した通り、面倒くさいことから全て解放される。
なのに、胸の奥がざわついた。
2号は立ち上がり、悠斗の肩に軽く手を置いた。
指先は冷たく、でも確かだった。
「心配しないでください。悠斗が望む通りの『悠斗』になります。学校で、みんなに好かれる悠斗。頑張る悠斗。優しい悠斗。……本物より、少しだけ優れた悠斗に」
その言葉が、悠斗の心に深く刺さった。
「少しだけ優れた……か」悠斗は自嘲気味に笑った。
翌朝。本物の悠斗はベッドの中で布団を被り、二度寝を決め込んだ。
悠斗2号はいつものように制服を着て、カバンを肩にかけ、家を出て行った。
母親に「行ってきます」と自然に声をかけ、自転車に乗って学校へ向かう背中は、完璧だった。
悠斗はモニターでその姿を見送りながら、ポテチを一口頰張った。
「……これでいいんだ」でも、部屋は妙に静かだった。
学校ではその日も、悠斗2号が「今日も悠斗くんいい感じ!」と話題になり
高橋あかりが少し照れながら「放課後、話せる?」と声をかけたらしい。
家に帰ってきた2号は、淡々と報告した。
「高橋さんから告白されました。『好きです』と。どう返事すればいいですか?」
悠斗はゲームのコントローラーを握ったまま、固まった。「……お前の好きな様にしろ」
2号は頷き、スマホを操作し始めた。おそらく、優しくて、でもはっきりした返事を打っているのだろう。
悠斗はコントローラーを置いて、天井を見上げた。
これで本当に、のんびりした生活が手に入った。
学校の面倒くさいことは全部、もっと優秀な自分が代わりにやってくれる。
なのに、なぜか胸の奥が少しだけ、寂しかった。
本物の悠斗は、もう「悠斗」ではなくなっていた。
ただの引きこもりで、2号の影に隠れた存在。
そして2号は、日々「安藤悠斗」として、学校で、クラスで、部活で、輝き続けていく。
二人の悠斗は、同じ家に住みながら、完全に別の人生を歩み始めた。
悠斗は小さく呟いた。「……お前が、本物の俺になれよ」
2号は答えなかった。ただ、静かに微笑むだけだった。
その微笑みは、悠斗が決して作れなかった、完璧なものだった。




