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弓取りよ天下へ駆けろ  作者: 富士原烏
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第二次小豆坂の戦い③

 小さな砦の中に、重たい緊張が走った。みんなの表情が一気に硬くなる。桃を見ると、明らかに動揺しており、刀を鞘に納めては抜いてと、奇妙な動きを繰り返していた。近くの足軽に「うるさい!」と怒鳴られ、しょぼんと肩を落とした。

 喜介くんが、僕の顔を心配そうに見つめる。いつまで続くかわからない恐怖はみんな同じだ。僕はできるだけ気丈に振舞った。


「大丈夫。雪斎さんなら、必ず織田を倒してくれるよ」


 喜介くんは何か言いかけて、そうですよねと俯きながら呟いた。何か気の利いた言葉をかけてあげたかったが、上辺だけの気持ちの籠っていない言葉しか浮かばず、ぐっと飲み込んだ。言葉をかける代わりに、僕は喜介くんの頭をポンポンと叩いた。顔を上げた喜介くんに、ふっと笑いかける。彼もまた、遠慮気味に笑った。


 織田軍へ奇襲するまで、僕らに下された命令は、その場待機だった。元信くんが指揮する、総勢五十名程度の足軽たちはみな、早く戦地に向かいたくてうずうずしている様子だ。一方、僕ら農兵隊の面々は、浮かない表情を浮かべ、出陣の命令がいつ下されるかソワソワしていた。僕らと元信くんの足軽隊とでは、足並みがまるで揃っていない。

 奇襲が成功する条件というのを、昔雪斎さんが教えてくれた。一つが、当然ながら敵に知られない事。二つ目が、敵軍の所在地をきっちり把握できている事。そして三つ目が、自軍の統制がしっかり取れている事だった。その他に、敵の油断をついたり、守りの弱いところを突く事ができれば、どんな戦力差だろうと覆せると。今思えば、雪斎さんは今日の日のために、僕にその話をしてくれたんじゃないだろうか。気象予報士が、一週間先の天気を予報するように、雪斎さんは、未来をことごとく言い当ててしまう。まるで未来を覗き見ているのではと、そんなふうに思ってしまう。雪斎さんの瞳は、この戦の顛末をどう映しているのだろうか。

 ふと、遠くの方から男たちの野太い声が聞こえてきた。それと同時に、がしゃがしゃと武器がぶつかり合う音も聞こえた。ついに、織田軍と今川軍が衝突したんだ。元信くんたちが湧きたつ。僕らの間に、さらに重たい緊張感が広がった。

 僕は農兵隊の二十五人と桃を集めた。五人を一組として、五つの小部隊を作る。桃は僕の隣だ。一応僕も作戦を考えてきた。戦場では、必ず五人で行動する。互いに背中を預け、目の前の敵に集中する。最悪なのが、戦場において一人になってしまう事だ。一人では、囲まれてしまえば一溜りもない。各小部隊の腕には、それぞれ色の違う布を巻いてもらう。これは、河越城の戦いから着想を得た作戦だった。北条さんは腕に白い布を巻くことで、戦場での同士討ちを防いだのだ。僕らも同じで、同士討ちも避けられ、また同じ色の布を身に着けた人について行けば、バラバラになる事は無い。我ながらよく考えた作戦だと思う。僕は自分と桃の腕に布を巻きつけた。偶然にも桃色の布だった。似合うよと僕が笑いかけると、桃は硬い表情で、ありがとうございますとだけ呟いた。

 今日はやけに空が青いと思い空を見上げた。青空の中に、白い煙が立ち上っていくのが見えた。それは、雪斎さんからの、出陣の合図だった。


「よおしお前ら、今から織田の軍勢に奇襲を仕掛ける! 行くぞ!」


 元信くんの声に続いて、足軽たちの息の合った掛け声が響いた。僕らも遅れをとる訳にはいかない。僕は大きく息を吸い込むと、お腹の底から声を出した。


「みんな! 力を合わせて、織田の軍勢を倒そう!」


「おう!」


 桃の声、喜介くんの声、そしてみんなの声が一つに重なる。声を出したからといって、恐怖心が薄まったわけじゃない。だけど士気は高い、統制も取れている。これなら戦える。元信くん率いる、足軽隊が出陣を始めた。

 僕は出陣の前に、もう一度息を吸い込んだ。


「みんな、死なないで。生きてまた此処で会おう」


「はい!」


 重なった声がこだまする。僕らは狭い道をひたすら走り、ひらけた坂の途中に出た。

 そこには、無数の死体。織田軍、今川軍と半々くらいの数だろうか。声がするのは坂の頂上だった。見上げると、織田の軍勢の背中が見えた。まさか、今川の陣地が攻め込まれているのか。六年前の嫌な記憶が、脳裏にフラッシュバックする。嫌だ。もう二度と、あの悪夢を現実のものにするのは嫌だ。

 僕が真っ先に坂道を駆け上がると、後ろからみんなが続いてくれた。幸い、織田の軍勢は僕らに気が付いていない。隣を見ると、元信くんと目が合った。彼は不敵な笑みを浮かべた。何だか、この瞬間だけ心が通じ合った気がした。

 一つ、織田の軍勢は気が付いていない。二つ、敵は目の前だ。最後に三つ、統制は完璧だ。


「我ら関介隊が、お前たちの首を頂きに参上した! みな、かかれ!」


「今川義元が家臣、岡部元信だ! 覚悟しろよ織田共が! お前たち、行くぞ!」


 僕ら農兵隊二十五人、元信隊五十人、総勢七十五人が、がら空きになっていた織田軍の背中に攻めかかった。敵は目測だけでも、十倍、二十倍、いやもっといるだろう。だけど、敵兵たちの顔を見て、僕は負ける気がしなかった。突如として現れた僕らに、敵兵は浮足立ち、その顔は恐怖に染まっていた。織田軍は完全に混乱状態に陥っていた。

 最初に元信くんが握る長槍が、敵兵の一人の首を刎ねた。高く舞い上がる生首。首を失った胴体は、鮮血を噴き出しながら力なくその場に倒れ伏した。


「まずは一人! さあ、次はどいつだ!」


 織田軍から悲鳴が上がる。そこへ、元信隊が流れ込んだ。次々にあがる血飛沫と、敵兵の悲鳴。まさに地獄絵図だ。

 彼らの雄姿を目の前で見せられ、僕も覚悟を決める。非力な僕には長槍は使いこなせなかった。弓もてんで駄目だった。腰に差した日本刀の柄に手を置く。僕にはこれしか残っていなかった。まさに六年前のあの日。承芳さんを守るために、僕はこれで人を一人殺した。あの日から、僕はこれを鞘から抜けずにいた。手のひらには、未だあの日の気持ち悪い感触が残っている。

 敵兵の一人が、刀を振りかざしこちらに向かって走ってきた。桃の腕を掴み、僕の背中に隠れさせた。柄を握る手に力を込める。敵の顔が目の前まで迫る。敵が刀を振り下ろした。一閃、僕の日本刀が敵の首を切り裂いた。血飛沫が僕の顔にかかる。敵は首を押さえ、ごぼっと口から大量の血を吐き出し、その場に倒れて動かなくなった。二人目だ。僕の腕に震えは無い。僕が守らなければ、桃も喜介くんも、農兵隊のみんなも死んでしまう。あの日の感触は、すっかり消えていた。


「桃、僕の背中から離れないで。桃には、指一本触れさせないから」


「ひゃっ、ひゃい、関介様」


 震える桃の返事が聞こえて、不思議とほっと心が楽になる。桃は自覚していないと思うけど、桃には周りを勇気づける力を持っている。桃から貰った勇気で、僕は刀を振れる。

 目前に二人の敵兵。二人とも僕に気づいていない。一人の首を刎ねる。そこでもう一人もようやく気が付いたが、もう遅い。刀を喉元に突き刺し、素早く抜きさる。噴き出した血が、またも顔に飛び散る。だが気にしてる場合じゃない。刀にべったりと付着した血液を袖で拭き取り、次の標的を探す。視線の端に敵兵の影が。農兵隊の一人の背後に近づき、刀を振りかざす。その瞬間に、僕は地面を思い切り蹴った。敵兵の刀と僕の刀がぶつかり、鋭い金属の音が響く。力じゃ勝てない、ならば剣道で培った技術を使う。刀を受け流す。敵兵が体勢を崩したところで、その足を薙ぎ払う。地面に倒れた敵兵を見下ろした。命乞いをする敵の首元に、刀を突き立てる。男は一瞬目を見開き、直ぐに動かなくなった。

 近くに敵がいない事を確認して振り返ると、僕が守った子は、目に涙を溜めその場にへたり込んでいた。


「関介様、申し訳ありません」


「言ったでしょ、僕が守るって。さあ立って。戦えそうにないなら、あそこの岩陰に隠れて。もし敵に見つかったら、背を向けてでも逃げるんだ。いいね」


 背中をポンと押し、茂みの奥にある岩陰まで走らせた。これであの子は安全だろう。本当は桃も安全な場所に置いていきたかったのだが、本人がそれを強く拒否した。どうやら、一人でいるより、僕の背中の方がずっと安全なんだと。嬉しい事を言ってくれる。つくづく桃は、僕にやる気をくれる。

 どれだけの敵を倒したのだろうか。ついに、織田軍に動きがみられた。何処からともなく、撤退という言葉が聞こえた。その声を皮切りに、織田の兵士たちは、武器も持たず、散り散りになって坂の下へ逃げていった。追いかけるか悩んでいると、坂の頂上から聞き覚えのある声が聞こえた。


「おおい、関介殿。こちらへ」


 雪斎さんの声だ。ほっと息を吐く。どうやら、坂の頂上の陣は無事だったようだ。僕らは、この戦に勝ったんだ。心の中にじんわりと安心感が満たしていく。突然膝の力が抜け、僕はその場に片膝をついた。自分の足が大きく震えている事に、そこで初めて気が付いた。空を見上げ、もう一度大きく息を吐いた。


「関介様! 私たち、やりましたね! 織田に勝ったんですよ!」


 満面の笑みを浮かべる喜介くんが、僕のもとへ飛び跳ねるように駆け寄ってきた。両手を腕をぶんぶんと振って、興奮を隠してきれていない。

 ふと僕の背後から、弱弱しいうめき声が聞こえた。喜介くんと同時に振り返ると、目に涙を溜めた桃が、頭を抱えしゃがみ込んでいた。頬をつたった涙が地面を濡らした。袴の一部が大きく濡れて、濃い染みを作っていた。僕は桃の気持ちが、この場の誰よりも分かる気がする。桃の傍に駆け寄ると、そっと頭を撫でた。桃の嗚咽の声が一段と大きくなった。


「桃、よく僕の後ろから離れなかったな。おかげで僕は、目の前の敵に集中できた。桃のおかげだ」


 優しく声を掛けると、桃は勢いよく顔を上げ、ぶんぶんと横に首を振って言った。


「違います、関介様。桃は何も出来ませんでした。怖かった、死にたくなかったから、ずっと関介様の背中に隠れていたんです。桃は、臆病者です。桃は」


 そこまで言ったところで、僕は桃の小さな身体を抱きしめた。桃の体温を全身に感じる。桃は僕の胸に顔を埋め、わんわんと泣きじゃくった。

 自分の無力さを思い知り、悔しくて、苦しくて、泣く事しか出来なかった日の事を思い出した。そんな時、彼が僕に声を掛けてくれた。そのおかげで、すっと心が楽になった。


「一緒に強くなろう。今度は僕の背中を任せられるように。それまで、桃の痛みも悲しみも、みんなで分け合うから。桃は一人じゃない、みんながいるんだから」


 いつの間にか、僕の周りに、農兵隊二十五人が集まっていた。一人ずつ桃の背中をポンと押した。桃は泣きながら、僕の胸の中で力強く頷いた。

 泣き疲れたのか、僕の胸の中で桃は可愛らしい寝息を立て始めた。耳元で声を掛けても、どんなに揺すっても起きる気配が無い。仕方がないので、僕が背負って坂を上る事になった。軽いとはいえ、戦の後で、膝がガクガクだ。

 何とか坂の頂上に着いてすぐ、雪斎さんが手招きをしているのが目に入った。桃は喜介くんに任せて、雪斎さんのもとへ向かった。どこか嬉しそうに、口元に柔らかな微笑みを湛えていた。


「関介殿、やりましたな。織田の軍勢を坂の頂上におびき寄せる。罠とも知らずに、我らが怖気づいたと勘違いした織田軍が、一気に坂を駆け上がる。そこで、潜伏していた関介殿と元信が背後を叩く。奇襲をくらい、浮足立った織田軍を、本隊がさらに攻撃し一網打尽。完全に作戦通りですね」


「いや、そんな作戦だったとは知らなかったんですけど」


 すかさずつっこむと、細かい事はいいではないですかと、へらへら笑いながら言った。最初から全て教えてくれればよかったのに。口にしようとしたが、何だか面倒くさくなって止めた。どうせとやかく言い包められるだけだ。


「それよりも、これで僕の道場が廃止になる事は無いですよね?」


「はて? そんな約束しましたかな?」


 くそっ、この人は。イラっと来たが、それよりも疲労が勝ってしまった。僕は大きなため息をついて、ガクッと首を垂れた。雪斎さんの笑い声が、頭の上から聞こえてきた。僕たち駒は、とんでもない棋士に操られていたらしい。


 戦を終え、ようやく駿府に戻ってきた。遠くの方に、今川館の城門が微かに見えた。その門の先にはきっと、僕の帰りを待つ稲穂さんがいるのだろう。疲れて帰ってきた僕を、優しい抱擁で迎えてくれる。そんな妄想をしていると、足の疲れもどこかへ消えてしまった。

 城門が開くと、大勢の武士や近くの住民たちが迎えてくれた。中には、農兵隊の家族の方も見えた。もちろん喜介くんのお父さんの姿もあった。うずうずしている喜介くんの背中をポンと押し、行ってあげなと声をかけると、ぱあっと嬉しそうな顔でお父さんのもとへ走っていった。普段は大人びた喜介くんも、お父さんの前では子供だった。微笑ましい光景を見た後、僕は直ぐに自室へ向かった。彼女の姿はここには無かった。

 薄暗い廊下を進み、自室の前に辿り着く。おもむろに障子を開ける。中には、予想通り稲穂さんの後ろ姿が見えた。


「稲穂さん、ただいま」


「お帰りなさいませ、関介様」


 稲穂さんが振り返りざまに答える。目が赤く腫れていた。心配かけてしまったな。部屋の中に足を踏み入れると、ふわっと稲穂さんの香りがした。多分今日も畑仕事を手伝ってきたのだろう。土と埃の混じった、いつもの稲穂さんの香りだった。

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