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第9話 落ち方

「三つ目が、登っています」


 墓場へ降りる階段の途中で、セキは昨日と同じように前を向いたまま、昨日より一段早く足を止めた。


 その肩越しに見下ろした墓場は、昨日の午後に三人で背を向けたときの形をほとんど崩していない。裂けた装甲板と折れた脚と砲身の山が谷の道を作り、倒れた大きいやつが奥を塞いでいる。違うのは、谷のいちばん奥で瞬いていたはずの青が、そこから消えていることだけだった。


 目で探すより先に、胸が上を向いた。


 青は、山の頂にいた。谷の奥の斜面から破片の尾根を伝って、一晩のうちに天井の近くまで登ったのだろう。尾根の先の天井には丸い穴が口を開けていて、その口を塞ぐ鉄の蓋の裏に、三つ目は張りついたまま、瞬きもせずに灯っている。昨日、上の声が私の名前を運んできたあいだの、あの止まった灯り方と同じだった。


「昔の換気穴だ。上は塞いである」


 後ろから降りてきたスミスが、私の頭越しに同じものを見上げて言った。金属の指が蓋を指し、その指がやはり長く止まる。


 セキの首が小さく傾き、短銃の上の指が一つ曲がった。この傾き方が奥の部屋と繋がるときのものだということは、もう私にも見分けがつく。


「アーカイブ様から。名を呼ばれた以上、穴を塞いでも塞いだうちに入らない、と」


 平らな声のどこにも、私の名前は置かれていない。言い終えたセキの手が短銃の握りを一度だけ確かめ、それから階段の上、子どもたちが眠っている奥のほうへ、目が一瞬だけ流れる。あの穴は、子どもたちの寝床と同じ天井の下に開いている。


 スミスは返事をせず、作業場の壁際から細長い包みを抱えてきた。布を解くと、黒い筒に短い銃床のついたものが出てくる。セキの短銃よりは長く、スミスの棒よりずっと細い。


「刃は終いだ。……探しておいた。その腕で振れる軽さのやつだ」


 一昨日、この墓場で、スミスは距離が要ると言った。空でやる気なら刃だけでは届かない、と。その約束を、刃が灰色になった翌朝に果たしてくれている。受け取った銃は本当に軽く、灰色の刃より少し重いくらいで、冷たさだけが掌の中に長く残った。


 両手で構え、蓋の裏の青へ銃口を上げる。教わった握りはない。見よう見まねで銃床を肩に当て、引き金に指をかけると、金属は指の腹の熱をすぐに吸い取った。


 引いた。


 肩が跳ね、銃口が天井を舐めるように上へ逃げて、弾は蓋から腕一本ぶん離れた配線の束を散らした。千切れた線が火花を落とし、破片の山の上で小さく燃えて消える。肩の奥で骨が鳴っていた。この腕は、上から真下へ振り下ろす形しか覚えていない。下から上へ撃ち上げる重さを、身体のどこも受けたことがないのだ。


「肩で受けろ。腕で受けるな」


 スミスの声に重なって、私の横で乾いた音が二つ鳴った。


 セキの弾は蓋の縁に当たり、青のすぐ脇で鉄が白く光った。青は瞬かないまま蓋の裏を這い、穴の奥へ半分だけ身を引き込んで、縁から覗くようにして灯りを残す。二発目は縁に弾かれ、当たる面はもう残っていない。


「届きません」


 セキは短銃を下ろさずに言った。棒を伸ばしても天井には遠く、銃はたったいま私の手で外れたばかりだ。


 残っているのは、脚だった。


「登ります」


「脚は地面のもんだって、言ったろ」


 スミスは止める手を出さなかった。一昨日、跳んでみろと言ったときと同じ目で、今度は私の足首を見ている。私は銃床から垂れた紐を肩に掛けて銃を背中へ回し、灰色の刃を腰の布に差して、破片の尾根に足をかけた。


 登り始めてすぐ、足の下で破片が滑った。昨日なら角を掴んで止まった足の裏が、今朝は掴んだ角ごと山を崩していく。一昨日に一つ、昨日に二つ、胸へ入れたぶんだけ重くなった身体を、積まれただけの装甲板は支えきれない。


 一度目は膝をつき、擦り剥いたほうの膝がまた破片の角に当たった。二度目は両手までついて、背中の銃が肩甲骨を叩いた。


 重くなることを、輪郭が濃くなることだと思っていた。濃くなったぶんだけ、この山は私を下へ返そうとする。


 頂まであと数歩のところで見上げると、穴の口はまだ、私の背丈を三つ重ねたほど上にあった。


 そのとき、天井のほうから音がした。


 蓋の向こう側で、鉄が鉄を擦っている。擦れる響きはすぐに留め具を外す音へ変わり、抜けた留め具が一つずつ落ちて、穴の中で遠く反響した。蓋が、上から横へずらされる。


 白い光が、穴から垂れてきた。


 電灯の硬い色ではなく、雨の日の雲の底のような、薄くて広い白だ。その中でだけ墓場の埃が見えるようになり、光の筋が破片の山を斜めに撫でて、私の手の甲まで届く。一昨日、私が雨の中で目を開けた場所と、同じ色をしていた。


「……輪が、ほどけました」


 下からセキの声が上がってくる。報告の形のまま、いつもより少しだけ速い。


「一機だけ、降りてきます」


 光の中を、白っぽい腹が降りてきた。


 翅だった。穴の幅に合わせて翼を畳みかけ、縁だけを壁に擦らせながら、関節の青を一定の拍子で漏らしている。頭部の縦長のレンズが一本まっすぐ下を向き、その先に私がいる。空の上で輪を描いていたものが、輪をほどいて、真上から降りてくる。


 胸が引かれた。


 糸が張った先、翅の白い腹の奥の、人なら胸にあたる場所で、もう一つの青が脈を打っていた。関節から漏れる青とは違う。私の胸と同じ間隔で、一つ、二つ、と打っている。欠けたところに嵌まる形の脈を、あの機械が抱えて降りてくる。


「向こうにしてみりゃ、失くしもんを取りに来ただけだ」


 スミスの声は低く、棒の伸びる音がそれに続いた。


 蓋の裏にいた三つ目が、そのとき動いた。穴の縁を伝い、降りてくる翅の脚へ移る。移ったあとで初めて瞬いた。合っていない間隔の、あの瞬きで。


 一晩かけて山を登り、蓋の裏で灯ったまま待っていたのは、ここにいる、と上へ教えるためだったのだ。そう思うしかない落ち着き方で、三つ目は翅の脚の付け根に収まっていた。


 翅の脚が、私の胴を掴んだ。


 一昨日、大きいやつの腕に掴まれたときと同じ力だった。潰さず、落とさず、割れ物を運ぶための力で、足が山から離れる。下でセキの短銃が上がり、撃たずに、私の胴の陰にある脚の関節を追い続けているのが視界の端に見えた。


「脚の関節、狙えます」


「撃つな。その高さで放させたら、あいつが山に叩きつけられる」


 下の声が遠ざかっていくあいだに、身体が落ち着いていた。


 地面の上ではずっと、どこに体重を置けばいいのか分からずにいたのに、宙に吊られたとたん、重さの在りかがはっきりする。胸の少し下、腰の少し上。そこを軸にすれば、この身体はどちらへでも向きを変えられると、腕より先に胴が知っていた。


 翅は私を抱えたまま穴の口をくぐった。墓場の天井が足の下へ回り、丸い壁が四方から迫って、白い光が顔に当たる。


 脚を振った。


 両脚を揃えて片側へ投げ、重さを翅の左へ預けると、翅がそちらへ傾く。傾いた翼が穴の壁を擦り、火花が私の頬の横を降っていく。もう一度振ると、翅は傾きを戻そうとして翼を広げかけ、狭い穴の中でそれができずに、脚の力を一瞬だけ緩めた。


 その一瞬で、私は翅の脚を掴んで身体を引き上げた。関節は冷たく、青の拍子が掌の中で打っている。関節から腹へ、腹の縁から背へと這い上がり、背に膝をついたとき、腕が勝手に頭の上へ上がった。


 上から、真下へ。


 この腕が覚えていた構えは、地面の上では一度も高さが足りなかった。翅の背の上で、初めて足りている。


 足の下に、何もない。怖くないどころか、この高さを、身体はずっと待っていた。


 頭の上で、出口の白が広がっていく。あれを抜ければ、もう墓場へは戻れない。


 腰から灰色の刃を抜いた。赤の抜けた刃で止まる機械はないと、もう分かっている。それでも刃はある。翼の付け根の継ぎ目へ刃先を差し込み、柄に両手を重ねて、体重を全部かけた。


 継ぎ目が裂け、翼が止まる。止まったのは翼だけで、翅そのものは止まらない。けれど片側の翼を失った機体は穴の中で浮いていられず、傾いたまま、私ごと落ち始めた。


 落ちる。


 白い光が遠ざかり、機体ごと穴の口を抜けて、墓場の暗さが下から迫ってくる。落ちながら、身体が向きを選んでいた。頭も背も、下にはしない。胴の軸を翅の胸のほうへ回すと、落ちる勢いがそのまま腕に乗ってくる。


 跳ぶことは、この身体にはまだできない。それでも、落ち方を知っている。


 刃を翼の付け根から抜き、翅の胸の青へ突いた。落ちる勢いで刃先が奥へ滑り込み、抜かずに捻る。それでも翅は止まらない。残った脚が背の上の私の足首を探り当てて絡みつき、胸の青は刃の先で打ち続けていて、破片の山が足の下で見る見る大きくなる。


 乾いた音が二つ、下から上がってきた。


 セキの弾が、足首に絡んでいた脚の関節を撃ち抜いていた。脚が開き、柄を握ったまま、私は翅から離れる。離れた身体が、落ちながら足の裏を下へ向けた。


 翅が、山に砕けた。


 装甲板が跳ね、白い腹が裂けて、関節の青が一斉に消える。私はそのすぐ横の斜面に、足の裏から降りた。膝は折れず、破片が足の下で低く鳴って、崩れかけた山の上で私は立っている。


「……地面のもんだと思ってたがな、その脚」


 山の下で、スミスの棒の先が一度、床を打った。


 砕けた翅の胸で、青がほどけた。


 結び目を解かれた糸のように幾筋にも分かれ、刃の先からではなく宙を渡って、私の胸へ入ってくる。熱くも冷たくもない。ただ肩が、昨日沈んだ位置から、もう一段だけ下がった。


 見上げた穴の中に、三つ目の姿はない。


 翅の脚にいたはずの青は、翅と一緒に落ちてこなかった。白い光の奥で、合っていない間隔の瞬きが一度だけ見え、それから上へ、地上のほうへ抜けていく。穴の口には光だけが残り、その光が私の足元の埃を照らしていた。


 セキの首が傾いた。


「輪が、戻りました」


 傾いた首はそのままで、次の報告までには、昨日のどの報告より長い間があった。


「……径は、元より広いです」


 スミスは棒を縮めずに、谷の端から端までを見回した。大きいやつの腕の下、斜面の翅の上、谷のいちばん奥。昨日三つの青が瞬いていた場所を金属の指で一つずつ指していき、最後に天井の穴を指した指が、長く止まる。


「……墓場に、青はもう無えな」


 全部消すまでは置く。それが済んだら外。


 消したのは昨日の二つと、いま胸に入った一つで、三つ目は消したのではなく、上へ持っていかれた。それでも、この墓場に青はもう一つも残っていない。条件は満ちた。私が望んだのとは違う形で、満ちてしまった。


 足の裏に体重を載せ直す。破片は低く鳴り、崩れずに私を支えている。一昨日ここで膝から落ちた脚が、今日は落ちた先で立っていた。


「その銃は持ってけ。外じゃ、向こうから降りてきてくれるやつばかりじゃねえ」


 背中の銃は、一発撃ったきり肩甲骨の上で冷えていた。落ちることしか知らない身体で上へ届くものは、まだこれしかない。


 この足で、ここを出る。


 斜面の下から、セキが私を見上げていた。唇が何かの形を作りかけ、何も乗せずに閉じる。まだ、名は呼ばれない。


 胸の糸は、塔でも天井の穴でもなく、線路の先の暗がりを、変わらず横へ指していた。

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