片一方の約束
理人は長い足を組んで、ゆったりと座わった。黒のスーツは、白のソファの上でくっきりと浮かぶ。どこまでも絵になる人間だ、と聖司は感心して珈琲豆の入った瓶を手にした。
しばらくして、珈琲の良い香りが部屋に流れた。
肘をついて携帯を確認していた理人が顔を上げた。
「熱いけど、どうぞ」
「ありがとう」
微笑んで、受け取る。いつもより大人びた見た目なのに、嬉しそうに珈琲を飲む顔は、どこか幼い。
「今日どこ行ってたんだっけ」
「ああ、新しい事業の取引先と打ち合わせに行ってた。って言っても大学生相手だから、雑談がほとんどだったけど」
ネクタイを緩め、目を閉じて息を吐いた。
「こんなに遅くまで?」
「目下相手だし好き勝手言えて楽しいんじゃない? まあでもそのうち、俺の方が上に行くよ」
「ふうん。でも、あんま変なやつ相手するなよな。おまえ、すごい美人なんだから危ないかもしんないじゃん」
隣に座った聖司は、怒ったような声で言った。
「はは。聖司、心配してくれてんだ」
「するだろ、気になるよ一緒に住んでるんだし。理人はそういうとこ無頓着すぎるだろ。それに遅いのも嫌だ」
聖司が隣を向くと思ったよりも近くに、理人の顔があった。わざとすぐそばに座ったわけではなかったが、友人としては不自然なくらい距離が近い。その距離で見た理人は、声を出すことを忘れるくらい綺麗だった。
「ーーわかった、時間は気をつける」
そう言って、理人は頭を聖司の肩に預けた。ヘアオイルと香水の混じった香りがした。
聖司は気恥ずかしいような、嬉しいような感情がないまぜになったまま肩を貸している。
「聖司」
「ん?」
「おまえ、遥さんと連絡は?」
急な問いに聖司はなんと言っていいかわからなくて、黙り込んだ。
遥からは定期的に体調を気遣うメッセージは来ていた。遥には理人の家に居候していることも、伝えていた。あとはこれといって問題もないこと、当たり障りない内容を送っているぐらいだ。上滑りの会話が文字だけで続く、そんな感覚だった。
昼の誘いを断ってから、遥から会おうとは言われはしなかったし、聖司も言わなかった。
「話し合いとかしてないの?」
「……してない」
一度誘いを断っていることは、理人には言わなかった。
「どれくらい経つ?」
「一ヶ月くらい…」
「早いな、もう冬になるよ」
聖司にもたれかかったまま、少しだけ理人が身じろぎした。
時間の経過は聖司にもあっという間だった。理人の側は心地良かった。高校生の時から何も変わらない。甘やかされている自覚はあった。収入の差が違うの一点張りで、聖司が渡そうとする生活費も受け取らなかった。
その分も含めて収入のほとんどは、遥に振り込んだ。
「なあ、理人。もしかして、おれここにいるの邪魔?」
「邪魔じゃないよ。なんでそう思うの」
頭が擦り付けられる。香りも体温も近かった。疲れてるのだろう、理人は眠そうだった。
早くシャワーに立たせないと、と聖司は思ったが、開いた口は別のことを言った。
「そんな話するから、出て行って欲しいのかなって思って」
「そりゃあ、おまえは別居中なわけだから、気にはなるよ」
「邪魔?」
「だから邪魔じゃないって。聖司がいてくれると嬉しいよ、いつまでもいていい」
ふわりと聖司を見上げて笑った。その顔を聖司は惚けたように見つめる。
「一生いたりしてな」
それから急に気恥ずかしくなって、理人の頭を肩に乗せたまま、誤魔化すように聖司が言った。
「なら、一生いてよ」
理人が目を閉じて言った。
聖司がふと目を開けると、部屋の中は昨夜のままだった。
「…え?」
電灯の灯りではなく、自然光で部屋の中は光で満ちている。テーブルには二つのマグカップがそのまま置かれている。
そしてソファには聖司に寄りかかるようにして、理人がスーツ姿のまま寝ていた。
「え、まじか」
若干肩のあたりが痺れてるのは、一晩中この体勢だったからだろう。それでもすぐに起こさなかった。眠る理人の白い顔が、あまりにも美しかったからだ。
しばらく見惚れてから、聖司は慌てて時計を見た。
「理人、起きて。もう朝だ、八時だぞ。今日おまえの予定大丈夫か?」
「…朝…?」
珍しく理人はぼんやりとして、気怠げだった。
薄く開いた眼差しはどこを見ているのかわからなかった。黒く長い睫毛に縁取られた目が、何度か瞬いて聖司を捉えた。
「あーあ。おまえ、そのまま寝ちゃったからスーツ皺になってんじゃん」
「…クリーニングに出すからいい」
「講義とかは? 大丈夫?」
「うん、ないよ。聖司も同じだよね」
「何で知ってんだよ」
「聖司のことはだいたい知ってる」
当たり前のようにそう言って理人は少し笑った。寝起き特有の掠れた声が、魅惑的だった。長年の親友相手にこんなにも艶を感じるなんて、自分はおかしいのではないかと聖司は考え込む。
「シャワー浴びてくる。それから朝ごはんでも大丈夫?」
立ち上がり、理人がジャケットを脱いだ。
「あ、うん。おれは大丈夫…」
「よかった。ちょっと待っててね」
そのままシャワールームへと向かう理人の背を見送って、聖司は「なんか…緊張した…」と脱力した。




