あなたが手放したから
聖司が目覚めた時、隣に理人はいなかった。
日曜日の朝、六時。起き上がり、寝室を出た。洗面に向かう前に、リビングを覗くときっちりと服を着た理人が冷蔵庫を閉めたところだった。
「おはよ、」
昨日の記憶は曖昧だったが、自分が女々しく泣いていたことは覚えていた。だから、少し気恥ずかしかった。
初めて女の子の家に泊まった時みたいだ、と思って聖司は苦笑いした。
「おはよう、聖司。早いね、朝ごはん食べれる?」
理人は何一つ変わらなかった。いつも通り、作り物のような綺麗で澄ました顔で、水を飲んでいた。
「……うん。お味噌汁の匂いがする」
そう言って、理人の側へと近づいた。
「ああ、聖司、寝癖ついてる」
理人の手がさらりと聖司の髪を撫でた。それから、手ぐしのようにして、軽く整える。
頻繁に泊まっていた頃から、理人とは距離が近かったと思う。しかし、聖司はどぎまぎとした。近くにいると見惚れるほど綺麗なのも、良い匂いがするのも、優しい顔をしてくれるのも、全て聖司のよく知る理人だ。
テーブルの上には焼き魚と海苔の佃煮、春雨のサラダが並び、そこへ出来たてのお味噌汁が置かれる。
「すっごい美味そう」
「白米は炊けてるから聖司がよそって」
聖司は頷いて棚から茶碗を出し、二人分よそう。理人は聖司を家の中で手伝わせることが巧かった。
「朝からこういう食事って贅沢だよな。理人ってほんとちゃんとした生活してるよな」
「おまえがいるから作り甲斐があるだけだ。ああ、それとこれ、この部屋の鍵。置き場所は知ってる?」
「あ、うん、たぶん分かる。鍵もらってていいの?」
「しばらく住むんだろ? 無いと不便だろうから1本おまえが持ってて」
綺麗なスペアキーは新品で、まだ誰も使ったことがないように見えた。鍵は軽いのに、妙に重く感じた。まじまじと見て、聖司は嬉しそうに「ありがと」と笑った。
先に出るという理人を見送って、聖司はリビングに戻った。理人が買ってくれていた林檎のジュースを手に、ソファに座ってパソコンを開いた。大学からのメールと、就活関連のメールを確認する。
返信を終えてソファに横になった。白を基調とした部屋の家具も殆どが白で、統一されている。
「白が好きなのかな」
清廉な白は理人に良く似合う。
ここにいると静かだ。
守られてるような気さえする。聖司の荷物といえば、衣服ぐらいだけだった。グラスに残っていたジュースを飲み干して聖司は外に出る用意をした。
講義室は、まだ人がまばらだった。
聖司はいつも真ん中くらいに、決まって座った。
携帯にメッセージが届く。遥だった。
[お昼一緒に食べれる?]
それだけ書いてあった。しばらく考えてから
[ごめん、今日は無理]
と送った。携帯画面が暗くなるまで見ていた。
その後、了解のメッセージが届いたが、返信はしなかった。そして携帯を伏せた。
講義が終わり、同じ学部の友人たちと少し話をした。聖司はどこでも人と仲良くなる。聖司がいると自然と話が盛り上がった。
別居のことを知らない友人たちは、遥のことを羨ましがる話題を持ち出したが、聖司は笑って受け流した。
昼に行こうとなり、大人数で食堂に向かう。
「聖司、」
声をかけられ振り返ると、理人が立っていた。昼の柔らかな日差しに照らされ、肌の白さが際立って見えた。
友人たちも理人のことは、目立つ外見からよく知っていた。同い年だというのに、何人かが頭を下げる。
「聖司、もらっていくね」
理人はそう言って、聖司の肩を抱いて、自分の方へ引き寄せた。
「あ、ああ、もちろん! どうぞごゆっくり」
友人の一人が真顔で答えた。
「どうぞってなんだよ」聖司は不服そうに友人たちを見たが、誰もが「早く行ってこい」と口々に言うだけだった。
聖司の手を引いて、早足で歩き出す。
「三号館のほうにあるカフェに行こう。今日のランチは聖司な好きな海老のトマトクリームパスタなんだ」
「えー、食べたい」
海老は聖司の好物だった。トマトクリームも好きだった。
理人は機嫌が良かった。笑顔が多くて、聖司もつられて嬉しくなった。
天気も良かったので、芝生を歩く。
理人が歩くと自然と人の目を惹いた。理人は構わず、手を握ったままだった。
「理人、みんなが見てるんだけど」
「いいんじゃないか、羨ましいんだろ」
「すっげぇ自信な」
実際そうだと聖司も思った。理人に触れられてる聖司のことは、同性だと抜きにしても羨ましがられていて不思議ではなかった。
それくらい、理人という人間の容姿は群を抜いていた。
「それにしてもランチメニューなんてよく知ってたな」
「…パスタの時は内容は教えてって店員の子に言ってあるんだ」
「それで本当に教えてくれてるってこと?」
「うん」
「意外に簡単に連絡先交換するんだな」
自然と憮然とした言い方になっていた。
理人は少しだけ笑い、「おまえの為だから仕方ない」と言った。
カフェは静かで、一人客がまばらにいる程度だった。
理人は窓際に空いていたソファ席に進み、聖司の手を離した。
「こっちのカフェは初めて来たかも」
「最近リニューアルしたんだ、前は古い喫茶店の佇まいだったよ。あれはあれで良かったと思うけど」
「で、どの子? 理人が携帯教えた子」
「え? ああ、あの向こうでお水入れてる子かな」
辺りを回して、理人が軽く指を指す。向こうも気付いていたらしく、嬉しそうに頭を下げた。
「可愛いじゃん」
「そう? 聖司ああいう感じの子好きだったっけ」
「違うよ、おまえの好みなのかなって」
「いや別に?」
理人は小さなメニューブックを開いて、近付いて来た店員に海老のトマトクリームパスタを2つ頼んだ。
それから、「教えてくれてありがとうね。この子がパスタ好きだからさ、連れて来たくて。また次も教えて?」
他所行きの顔で、理人が薄く笑う。店員は破顔したが、理人と聖司を交互に見て、少し戸惑ってもいるようだった。
「聖司、ドリンク何にする?」
メニューブックを聖司に押しやり、理人が聞いた。
そして、テーブルの上に置いていた聖司の手を握った。
「おい、」
「早く決めて」
理人は冗談めかして口角を上げる。それから、指を絡めた。




