ここが居場所だと言って
聖司が目覚めた時、隣に理人はいなかった。
日曜日の朝、六時。起き上がり、寝室を出た。洗面に向かう前に、リビングを覗くときっちりと服を着た理人が冷蔵庫を閉めたところだった。
「おはよ、」
昨日の記憶は曖昧だったが、自分が女々しく泣いていたことは覚えていた。だから、少し気恥ずかしかった。
初めて女の子の家に泊まった時みたいだ、と思って聖司は苦笑いした。
「おはよう、聖司。早いね、朝ごはん食べれる?」
理人は何一つ変わらなかった。いつも通り、作り物のような綺麗で澄ました顔で、水を飲んでいた。
「うん、食べる。あ、珈琲はおれが淹れる。それはおれの方が上手いから」
そう言って、理人の側へと近づいた。
「じゃあそれはお願いしようかな。ああ、聖司、寝癖ついてる」
理人の手がさらりと聖司の髪を撫でた。それから、手ぐしのようにして、軽く整える。
頻繁に泊まっていた頃から、理人とは距離が近かったと思う。しかし、聖司はどぎまぎとした。近くにいると見惚れるほど綺麗なのも、良い匂いがするのも、優しい顔をしてくれるのも、全て聖司のよく知る理人だ。
何も変わりがないはずなのに、しかし決定的な何かが違って見えた。
東條理人は、自分にも他人にも厳しい人間だった。
それは両親の影響によるところが、多分に大きい。
元々の希望校より若干ランクを落とした高校に行ったのは、気まぐれで遊びに行った先の街が気に入ったからだった。
両親とは離れて暮らす前提だった理人は、ある程度の選択権は両親から与えられていた。
それを与えられるまでの努力は、思い出したくないほどだった。
理人の容姿は母親譲りだった。中学生くらいまでは、女の子とよく誤解された。どこへ行ってもほめそやされ、可愛がられ、時には不愉快なこともあったが、大概うまく利用した。
「どこでもやっていけるし、大丈夫だよ」
そう言って彼は風通しの良い快適なマンションを借りてもらい、この高校に首席で合格し入学した。
誰ひとり知り合いはいなかったが、元々何でも器用にこなし、見目も良い理人が困ることは何も無かった。
二年に進級したクラスで、芳賀聖司に会った。
幼く見える可愛らしい顔をした少年だった。年上に可愛がられるだろうな、というのが第一印象だった。
その印象は次に、よく気がつくに変わる。聖司は困っている人間に、最初に手を差し伸べる人だった。見捨てない、知らないふりをしない。正直な人間だった。
「理人って呼んでもいい?」
「…いいよ」
嫌だというのが気が引けるくらいの笑顔で話しかけてくるのは、聖司だけだった。
「おまえ、ほんと綺麗な顔してるよな。見飽きない」
「おまえだけだよ、そんなこと面と向かって言うのは」
「そう? じゃあずっと見てていい?」
「嫌だ」
「なんでー…」
理人が笑った。こうやって屈託なく笑える相手は、聖司だけだった。
実際のところ、理人は聖司と話すのは嫌じゃなかった。聖司の周りは、空気が澄んでいるような気がした。
春が終わる頃には聖司の姿を自然と探すようになって、夏が始まる時にはいつも一緒にいるようになった。
理人は聖司が純粋に人間として好きだった。
だから聖司を利用する人間や傷つける人間は、容赦なく嫌いだった。
聖司が泣くと、理人の気持ちも落ち込んだ。
聖司が笑うと、心が晴れた気になった。
聖司が結婚して、自分の手から離れてしまった気がした。
それは仕方のないことだと思えた。
聖司の選択の中で、結婚が今なのなら、 時期を待つしかないと思った。
それが今は、ここにある。
遥が手を離したからだ。
別居することになったから置いてくれと理人のマンションに来たときは、性急なことだったから驚いた。
しかし別居自体は、遅かれ早かれ時間の問題だとは思っていた。聖司が夫として要求されるうちは上手くいくだろうが、父親として求められた時、聖司自身が耐えきれないことはわかっていたからだ。
遥は聖司の未熟さを、十分には理解していなかった。
理人の部屋を訪ねて来た聖司に、ここにいて良いと言った時、明らかに安堵していた。不安そうな顔はしばらく話しているうちに、少しずつ取れていった。落ち着いた頃、どちらからともなく寝室へ行った。
寝れないのか、聖司は何度も寝返りを打った。撫でた頬は濡れていた。泣いていることを聖司は、自分でも分かっていなかった。引き寄せて抱き締めた時の充足感に高揚した。
聖司は離れなかった。手を握っても離されなかった。
一晩中、理人は眠れなかった。
眠くなかったわけではなかったが、目を閉じることができなかった。




