表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霞の記憶  作者: 七瀬愁
PR
15/25

どんな小さなことでも

夏の盛りの夕方、日が落ちるにはまだ早い時間だった。


「理人、就活は?」

「一応やってるよ。内定だけはもらっておきたい」

「そのまま自分で会社やるかもしれないってこと?」

「うん、収益が安定するかどうかによるけど」

「へえ、社長じゃん」

「名前だけはね」

「おまえ、やっぱりすごいな」


聖司は屈託なく笑い、理人の背を叩いた。

隣を歩く友人は、自分よりずっと大人に見えた。

この綺麗な顔をした友人は、気温が高いのにも関わらず、汗一つかいてないかのように平然とした顔で歩いている。


「だいぶ生活は落ち着いた?」


理人が前を見ながら訊ねた。

二人は,大学内で会うのは久しぶりだった。

聖司が生活のためにバイトを詰め込んでいることも、勉強に身を入れてることも、慣れない家事に奮闘してることも、理人はわかっている。


それで時々、聖司が体調を崩すことも知っている。

聖司が結婚して半年が経った。その間、理人は聖司自身の体調を気遣うことはあっても、生活そのものを聞いたりすることはなかった。


「あーうん、だいぶ慣れた、かな?」

「楽しい?」


理人は聖司を見なかった。久しぶりに会うのに、目が合わないのは寂しいと聖司は思った。


「うん、楽しい。遥には迷惑かけちゃってるけど。おれ、ちゃんとしたとこ就職しなきゃだよ」

「聖司なら大丈夫だろ」

「ならいいけどな」と自嘲したように笑った。



夜のバイト帰りに、聖司は理人に電話した。

何回かコール音が鳴った後、留守番電話に切り替わった。

用事があったわけではなかった。

理由をつけるとしたら、毎日何かに追われているような焦燥感を、和らげてほしいと思った。そのための言葉は、理人が知っているはずだった。

静かになった携帯をしばらく眺めた後、聖司は家に帰った。

日が変わる頃になって、理人からメッセージが入った。

[来客があって電話に出られなかった。何か用事だった?]

とあって、聖司は[なんでもない、急にごめん]とだけ返した。

しばらくして、携帯が鳴った。理人だった。


「もしもし?」


遥を起こさないように、リビングに移動する。


『聖司、今いい?』


柔らかくて優しい、聖司の好きな声だった。


「うん、大丈夫。今日ごめんな、人来てたんだろ」

『ああ、知り合いが来てて』


理人はほとんど一人暮らしだ。誰が急に来ていてもおかしくはない。だが、聖司にはショックだった。

理人は、自分以外の人間を家に上げないと思っていたからだ。


別に、誰が来ていたのか、と聞いてもいいはずなのに、聖司はそれを口に出来なかった。自分勝手なエゴを知られたくなかった。


『なにかあった?』


理人の声を聞いていると、眠たくなる。あの部屋が、恋しかった。理人の部屋は、水の底のように青みがかっていて、水槽のようだったことを思い出す。


「いや、なにもないよ。どうしてるかなって、思っただけなんだ」

『おまえから連絡来るのは珍しいから、心配した』

「最近だけだろ。前は用事なくてもしょっちょう電話したじゃん」

『前と最近じゃあ、おまえの環境が違うだろ』


そう言われて聖司は口籠る。

エアコンの切れたリビングは蒸し暑かった。風にあたろうと、ベランダに出た。


『聖司、声が疲れてる』

「そう? 平気だよ」


自分でも口先だけの台詞だと聖司は思った。

風は生ぬるく髪を揺らす。

理人の前だとどうしてこんなに、甘えたことを言ってしまうのだろう。

通話の向こうで何か音がした。


「理人?」


呼びかけた声に、理人が息を吐く。そして、『聖司、』と言った。


『疲れた時は疲れたって言ったって、誰もおまえを責めないよ』


聖司は瞬きした。


「そうかな」


夜の空はまだ黒くなりきらず、薄い青を残していた。


『聖司。下、見て』


とだけ、理人が言った。「下?」と言って聖司はベランダから、下を覗き込んだ。

マンション前の道路の真ん中。

最初、暗がりの遠目で誰かわからなかった。

理人が、そこに立っていた。

聖司は、ひゅ、と息を吸い込んだ。


「おまえ、何やってんだよ」

『何って。おまえが元気ないからだよ』


理人が反論する。


それから堪え切れずお互いに笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ