ローレル様の思惑
「シトラール様が、ラズベリー・ハーブさんをお連れになられました」
扉の向こうから、アンジェリカの声が聞こえた。
ラズベリーさんと直接お話しするのは初めてだ。
正直、私は現在のラズベリーさんのことを全く知らない。
でも、シトラールお兄様がラズベリーさんのことを信用している。
その事実だけでも知ることができているのはありがたい。
ちゃんと話せるかは不安だった。
だけど、ラズベリーさんから話を聞けるのは私だけなのだからと、心の中で自分に喝を入れる。
「……っ!」
私は返事をしようと口を開こうとして、声が出なかった。
ローレル様の顔が真正面にあった。
焦点が合わせられないくらいの距離。
気がついた時には、口づけされていた。
それは一瞬の出来事だった。
「約束して、メリッサ。無理はしないで」
ローレル様が私を抱きしめたまま呟いた。
私は最初、何が起こったのか分からなくて、自分の口を押さえていた。
今、キス、された。
「は、はい」
私は答えた。
「失礼します」
ローレル様に答えたつもりの返事は、廊下にいたアンジェリカにも聞こえたようで、扉が開く。
アンジェリカは、私とローレル様が抱き合っているのを見て目を見開いたが、すぐにいつもの表情へ戻った。
よく出来た侍女である。
さすが、王太子妃専属侍女。
私は見られたことが恥ずかしくて、ローレル様から距離を取ろうとした。
でも、ローレル様は私の腰を引き寄せて、離れることを許してくれない。
ちょっと!
このままだと、シトラールお兄様にも見られてしまう。
焦っている私に対して、ローレル様は涼しい表情をしている。
私は顔が熱くてたまらない。
アンジェリカが開けた扉から、シトラールお兄様とラズベリーさんが部屋に入ってくる。
シトラールお兄様はローレル様と私を見て、若干呆れているようだった。
身内に見られるのは恥ずかしいんですけど!
それでも、私は現在王太子妃なのだからと、一応取り繕うように微笑みを浮かべる。
顔は真っ赤だけどね!
そして。
三年ぶりに見るラズベリーさんは、美少女から美女へと変わっていた。
可愛い、から、綺麗。
そう表現する方が似合う。
ピンクの髪に金色の瞳。
相変わらず端正な顔立ちで、凄く羨ましい。
こんなに綺麗な人なのに、どうしてローレル様が靡かなかったのか不思議でならない。
まぁ、ローズマリー様より私を選んだ時点で、ローレル様の美的感覚は独特なのだと思うようにしている。
ラズベリーさんやローズマリー様のように美人だったら、人生楽しかっただろうな。
そんなことを思う。
「……メリッサだ」
ラズベリーさんのぷるぷるの唇から、私の名前が零れた。
「?」
私の顔を真っ直ぐに見て、ラズベリーさんは私の名前を呼んだので、思わず首を傾げてしまった。
今のは、確認するような言い方だった。
私のことを知っていたっぽい。
魔法学園で、確かに同じクラスだった。
入学して二週間ほどだったけど。
その内の半分は国から謹慎を言い渡されていたから、ラズベリーさんは実質一週間しか魔法学園に来ていない。
もちろん、会話したことは一度もなかった。
挨拶もした記憶がないし、目が合ったことさえなかったと思う。
それなのに、ラズベリーさんは私のことを知っていたようだ。
凄く驚いてしまった。
「パトーキ侯爵令嬢!」
シトラールお兄様の声と共に、何かを弾く音が聞こえた。
ラズベリーさんの足元には、氷の矢が二本、床に突き刺さっている。
ラズベリーさんはシトラールお兄様にしがみついていた。
「メリッサ妃殿下に対して、不敬です」
アンジェリカがラズベリーさんに向かって言った。
「も、申し訳ありません!」
慌てて、ラズベリーさんはアンジェリカに謝っている。
半泣き状態である。
「今のはラズベリーが悪い。しかし、パトーキ侯爵令嬢、やり過ぎだ」
「なぜでしょうか」
シトラールお兄様の言葉に、アンジェリカは答えた。
疑問文ではない。
アンジェリカの表情は、怒りを必死に押さえつけている時の顔だ。
平民であるラズベリーさんが、王太子妃の私のことを呼び捨てにしたのだ。
彼女が怒るのも無理はない。
「メリッサに当たったら怪我をしてしまう。次からは気をつけてくれ」
ローレル様がアンジェリカに言った。
「承知いたしました」
アンジェリカはそう言ったけれど、納得していないのは態度からも分かる。
時々、凄く頑固になるよね、アンジェリカ。
いつもは落ち着いているのに。
それは、王太子妃である私がしっかりしていないからだ。
悪いのは私である。
私がしっかり対応していれば良かったのだ。
アンジェリカが行動を起こす前に。
本当に申し訳ない。
「……パトーキ侯爵令嬢、ラズベリーは俺の婚約者だ。後にメリッサの義理の姉になる」
シトラールお兄様がアンジェリカに言う。
ラズベリーさんはシトラールお兄様にしがみついたまま、何度も大きく頷いている。
え?
婚約?
そこまで話が進んでいるの?
いつの間に!
「お言葉ですが、シトラール様。何を以て婚約者だと仰っているのですか?」
アンジェリカは冷たい視線をラズベリーさんに向けていた。
確かに、ベイリーフ王国で婚約とは、婚約式を終えて正式なものとなる。
貴族ならば……。
でも、ラズベリーさんは現段階で貴族ではない。
普段から、迂闊なことは絶対に言わないシトラールお兄様が、断言した。
ラズベリーさんも同意しているようだし。
私は疑問には思わない。
今のシトラールお兄様とラズベリーさんを見たら、婚約者と言われても違和感はないし。
私は思わずラズベリーさんを見つめていた。
「あ!」
ある直感が降りてきた。
これは、婚約者で間違いない。
思わず声を上げてしまった私に、全員が振り返った。
慌てて口を押さえたが、もう遅い。
「メリッサ様?」
「アンジェリカ様、お二人は間違いなく婚約者です!」
「……メリッサ。何か、確証があるのか」
ローレル様が私へ尋ねる。
あ、これ、もう絶対に言わなくちゃ駄目かな?
この部屋は狭いし、他の人には聞こえないよね。
私は室内を見渡す。
「……お二人は既に、一線を越えていらっしゃいます」
凄く小声で私は言った。
シトラールお兄様は、凄く嫌そうな表情を向けてくる。
そんな顔をされても、婚約者だと証明できるものを持ってこなかった方が悪いでしょうが。
「え? そうなの?」
廊下からマレイン様が顔を覗かせてくる。
マレイン様、廊下にいたの?
そして、地獄耳!
ニヤニヤしながら、マレイン様はシトラールお兄様を見ている。
思っていたより、シトラールお兄様と仲が良いのかもしれない。
チャラ男と堅物。
両極端な二人なのに。
マレイン様は見た目より軽くない。
それどころか、とても真面目で仕事もできる人だと、今では分かっているけど。
「あ、廊下には俺しかいないから大丈夫です」
今更、きりっとした表情で言われても、あまり説得力はありませんよ、マレイン様。
私はため息を吐きたいのを、必死に堪えた。
シトラールお兄様とラズベリーさんには、悪いことをしてしまったと改めて思う。
こんなに急速に関係を進める気はなかったはずだから。
特に生真面目で堅物なシトラールお兄様の性格は、私がよく知っている。
ラズベリーさんを最大限守るために、シトラールお兄様が下した判断だろう。
私は憂鬱な気持ちで、ローレル様を見上げた。
ローレル様は嬉しそうに私へ微笑んでくる。
そう。
ローレル様からラズベリーさんを守るためには、婚約者という肩書きが必要だった。
この上なく満足そうな笑みを浮かべているローレル様を見て、私は理解する。
きっと、シトラールお兄様も気がついている。
どこまでがローレル様の謀略であったのか、怖くて聞けない。
でも間違いなく、こうなることをローレル様は予測していたのだ。
「メリッサには早く兄離れをしてほしかったから、シトラールが婚約してくれて良かったよ」
ローレル様の満足そうな声に、全員が眉を顰めて、なんとも言えない表情をしていた。
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