欲しかった言葉(ラズベリー・ハーブ視点)
しばらく呼吸を忘れていた。
「……ラズベリー?」
シトラールが私の名前を呼ぶ。
そこで私は、呼吸どころか思考まで止まっていたことに気がついて、慌てて口を開いた。
「する、する! 絶対にシトラールと結婚するっ!」
考えるより先に声が出ていた。
答えなんて決まっているのに、何度も連呼してしまう。
シトラールだって、私の気持ちは知っていたはずなのに、結婚の意思の確認をしてくるなんて。
生真面目なシトラールらしいのかもしれない。
でも、急だったので驚いてしまった。
いつかは……とは思っていたけれど。
私の返答を聞いて、シトラールは安堵したように息を吐いた。
「……何かあった?」
私は躊躇いながらも尋ねた。
こんな性急なプロポーズは、シトラールらしくないと思ってしまったから。
まだ魔法学園を卒業して二か月。
シトラールの生活の基盤は整っていないはずだ。
そう言えば、爵位を新たにもらうって言ってた。
それもまだ本決まりではない。
第一、結婚を急ぐ年齢でもないはずだ。
二か月前まで王太子であるローレル殿下が婚約もせずにいたせいで、現在ベイリーフ王国の貴族は婚約待ちの渋滞を起こしていて、二十代半ばでも結婚していない人が多いと聞いている。
特に男性は、そこまで結婚に焦っていない。
「……妹が、近々ラズベリーに会いたいそうだ」
「メリッサが? 彼女、王太子妃でしょ? 平民の私と簡単には会えないんじゃない?」
疑問が次から次に出てくる。
まず、メリッサが私に会いたい理由も分からない。
会う理由がない。
私とシトラールの関係を知って?
でも、まだ何も決まっていなかった。
……さっきまでは。
今は、婚約者って言って良いのかな?
その辺りが、この世界の感覚にまだ馴染めていないので分からない。
「シトラール、そう言えばご家族は私で良いって言ってるの?」
今まで、シトラールの家族には会ったことがない。
平民で、しかも問題を起こしたことのある私が相手なんて、嫌がられないかな。
「家族は何も言わない」
「……なんで、そう言い切れるの?」
「俺は次男だし。それにバウム子爵家は代々恋愛結婚なんだよ。両親も祖父母も。結婚したくなければしなくて良いし。本人の意思を尊重するんだ」
若干肩を竦めながら、シトラールは答えた。
貴族にしては珍しくない?
普通、貴族は政略結婚なのかと思っていた。
「メリッサも?」
私は疑問に思って聞いてしまった。
王太子であるローレル殿下と魔法学園で恋愛していたなんて、大変そう。
しかもメリッサは子爵令嬢だったわけだし。
「メリッサは違う。完全にローレル殿下の意思だね。婚約ではなく結婚になったのは、権力で圧力をかけて婚姻証明書にサインさせたらしい」
「……メリッサは大丈夫なの?」
「規格外なんだよ、メリッサが。守ってくれる権力は必要だと思っていた。それに、あのローレル殿下の気持ちを知ったから、任せられるなって思った。だから俺はローレル殿下に協力した」
家族には何も言わずにね、とシトラールは続けた。
「家族と軋轢が……」
「責められるのは覚悟の上だったけど、反対に俺の判断は正しかったと言われたよ。ちなみにメリッサは、俺がローレル殿下に協力したことを知らない」
シトラールは笑って言った。
無理をした笑みではなく、心からの笑みだった。
本当のようで安心する。
「メリッサを出し抜いたのは、初めてだったかもしれないな」
いたずらが成功した子供のように笑った。
一瞬だけ。
「……俺なりに、メリッサが一番幸せになれる道に辿り着けたはずだ。後悔はない」
「あれだけ愛されていれば、不幸にはならないよね」
ローレル殿下を思い出しながら、私は答えた。
「だけど、爵位は本当に予想外で……そこは無理をさせてしまうかもしれない。ごめん」
シトラールの謝罪に、私は首を左右に大きく振った。
「大丈夫! 頑張る!」
私なりの決意表明をしておく。
シトラールと結婚できるなら、そのくらい頑張る。
当たり前だ。
「……爵位が、思っていたより大きい、かもしれない」
「え?」
「今朝、ローレル殿下が伯爵位が一つ空きそうなんだって言ってきて……」
「え? シトラールの実家って子爵家でしょ?」
「そうなんだ。本当に予想外で、俺も参っている。ただ、これは決定ではないから、まだ口外しないでほしい」
「わ、分かった」
私は頷く。
え?
私も予想外なんだけど。
伯爵夫人になるの、私が?
なれるのかな……。
私が伯爵夫人に……。
不安になっていく。
それでも、私を選んでくれようとするシトラールに感動もしていた。
本来なら、貴族令嬢を結婚相手にした方が良いはずなのに。
思わず顔がにやけそうになってしまう。
ちゃんとシトラールも、私のことを好きでいてくれているんだ。
そんなことを思っていると、シトラールの表情が真剣なものに変わる。
「ラズベリーは、フローラ・フラワーを知ってる?」
まさかシトラールからその名前が出てくるなんて思ってもいなかったから、驚いた。
とりあえず、私は頷く。
今、王宮で凄く話題になっている。
でも、それだけじゃない。
私は前世でフローラ・フラワーのことを知っていた。
「……貴族牢から逃げ出したって」
今日、同僚から聞いた話の方を口にする。
嘘は言っていない。
だけど、本当のことは言えない。
言ったら嫌われるかもしれない。
シトラールは完璧な現実主義者だから、嫌われるのが怖い。
「分かった。無理しなくて良いよ」
「え?」
「ラズベリーの顔を見たら分かるよ。俺に言えないことがあるんだって」
肩を落としながら、シトラールは呟いた。
「っ!」
私は思わず息を呑む。
「会ったことはないね?」
確認するようなシトラールの口調に、私は何度も大きく頷いた。
会ったことはない。
これは本当。
どうしよう。
言わない方が嫌われる?
考えがぐるぐると頭の中で回る。
「俺には無理に話さなくて良いよ。ただ、メリッサがこの件でラズベリーと話したいと言っているんだ。誰にも聞かれない話をしたいんだと思う。自分になら、ラズベリーは話してくれるって」
「え?」
「メリッサは、ラズベリーが危害を加えることはないから安心してほしいって言ったけど、ローレル殿下がね……」
「あー……なるほど」
歯切れの悪いシトラールの言いたいことを理解して、言葉を紡ぐ。
メリッサに万が一のことがあったら、ローレル殿下が黙っているはずもない。
ローレル殿下は王太子で、私は平民。
私なんて、簡単に排除されてしまうのは目に見えている。
「……もしかして、同情でプロポーズしてくれた?」
そんな嫌な考えが脳裏をよぎった。
シトラールはゆっくりと首を横に振る。
本当かな?
「少し時期が早まっただけだ。バウム子爵家は線引きをはっきりする。身内は守るけど、他者には関心さえない。それどころか、非情にもなれるんだ」
シトラールが説明してくれた。
確かに、初めて会った時、シトラールは私を警戒していた。
声には嫌悪感も混じっていた気がする。
でも、ずっと親身になってくれた。
シトラールがいてくれなかったら、私は今ここにはいない。
それどころか、生きてさえいなかったかもしれない。
「……いつから、私のことを身内だと思ってくれてた?」
「初めて会話した日、かな? 好きだよ、ラズベリー」
少しだけ照れながらも、シトラールは即答してくれた。
迷いもなく、しっかりと。
「私、シトラールのためだったら、何でも頑張れる気がする」
涙で滲む視界の中で、私はそう答えていた。
ちゃんと好きでいてくれている。
疑うことさえ出来ないくらいに。
多分、私は今夜のことを忘れない。
一生忘れない。
好きな人に、好きだと言ってもらえた日なのだから。
読んでいただきありがとうございます! 面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。
今回で第三章が終わりです。次回からは第四章に入ります




