結婚の意思(ラズベリー・ハーブ視点)
疲れた顔をしたシトラールは、私を見ると申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「……夜分にすまない」
シトラールは、言いにくそうに呟いた。
夜に女の子の部屋を訪れたことに対して、罪悪感があるのだろう。
真面目なシトラールらしい。
私はシトラールに会えるだけでも嬉しいのに。
「とにかく入って」
シトラールを部屋に招き入れながら、私は言った。
本来なら、はしたない行為なのかもしれない。
未婚女性が夜に異性を部屋へ招き入れるなんて。
でも、噂になっても構わない。
シトラールとなら、むしろ私は嬉しい。
けれど、彼は嫌なのかもしれない。
シトラールは貴族だ。
そういった面には、とても慎重だった。
だから今まで、シトラールとは日中にしか会ったことがない。
それどころか、私の部屋に近寄ったこともなかった。
王宮魔法師団の研究所か、研究員食堂。
会うのは、この二か所に限られていた。
それなのに、わざわざ私の部屋まで来るなんて。
何かあったのは明らかだった。
しかも夜に!
「安い茶葉しかないけど……」
とりあえず、室内に入ることを少し躊躇っていたシトラールを椅子に座らせてから、お茶の準備をする。
一応、自室でもお茶が飲めるように茶器は置いているけれど。
シトラールは貴族だ。
安い茶葉は口に合わないかもしれない、と気がつく。
私は気軽にシトラールと呼んでいるけれど、今まで咎められたことはない。
だから勝手に呼び捨てにしていたけれど、もしかしたら嫌だったのかも、なんて今更ながらに思ってしまう。
「研究所の茶葉もそうだろう?」
心配していた私を安心させるように、シトラールが言った。
確かに。
高位貴族の研究員たちは、茶葉を持ち込みにしている。
メイド込みで、である。
けれどシトラールは、研究所の紅茶を普通に飲んでいた。
それに対して、異を唱えたこともない。
平民の研究員とも、シトラールは普通に話しているし。
誰かを邪険に扱っているところを見たこともない。
貴族らしくなくて、つい忘れがちになってしまう。
でも所作や振る舞いは、普段から間違いなく貴族そのもの。
言葉遣いも、とても貴族らしい。
この国の王太子であるローレル殿下と親しいのだ。
マナーは完璧なはず。
私は魔法を使ってお湯を沸かし、紅茶を淹れる。
このくらいの魔法は使える。
制限されているのは、魅了魔法と大量の魔力量を使う魔法だけらしい。
何度か実験として試してみたけれど、相当な魔力量を使わない限り、魔法は使えた。
この処置、甘すぎるのではと私でさえ思ってしまった。
生活は楽になるので嬉しいけれど。
お茶を淹れている私を、シトラールがじっと見ていることに気がついた。
なんだか、やりにくい……。
「……何?」
耐えきれず、思わず聞いてしまう。
「ラズベリーもそうやって、お湯を沸かすんだな」
「……も、って?」
誰と比べているのだろう。
気になる。
他の女の子と比べられるのは嫌だ。
「妹」
「メリッサ?」
「そう」
私はポットを見つめた。
火傷をしないように、ポットと手の間に布巾を添えて、魔力を込めてお湯を沸かす。
メリッサもこうするんだ。
「……? メリッサって、今は王太子妃だよね? 他にも妹いる?」
思い出しながら、私は尋ねた。
「いない」
シトラールからは、簡素な返事が返ってくる。
これも忘れてしまっていた。
シトラールの妹は王太子妃。
そして、ローレル殿下とは義理の兄弟になるのだ。
一瞬、焦る。
まずい。
ますます私とシトラールの距離が開いてしまう。
それでなくても、シトラールは貴族で私は平民なのに。
私はシトラールのことをよく知らない。
無口で、あまり自分のことを語らない。
普段は、私が一方的に喋っている気がする。
シトラールのことを、私はもっと知りたい。
でも、聞いて良いのか分からない。
「今日、久しぶりにメリッサに会った」
「王太子妃だもんね。簡単には会えないのかな?」
シトラールが子爵令息であることは知っている。
貴族とはいえ下位貴族だし、王族になった妹とは中々会えないのだろうか。
そう言えば、メリッサは下位貴族なのに、よく王太子妃になれたよね。
しかも婚約をすっ飛ばして結婚だし。
「……ローレル殿下が基本的に、メリッサを王太子宮殿に閉じ込めてる」
「あー……」
シトラールの返答に、私は視線を逸らしながら曖昧な声を漏らした。
ローレル殿下のメリッサへの執着、凄かったからね。
三年前と変わらないのか。
あの頃は、メリッサへの気持ちをまだ伝えていなかったように思える。
婚姻もしたし、そうなるよね。
「はい、お待たせ」
「ありがとう。これ、苺タルト。王族専用のパティシエが作ったものらしい」
私がお茶を差し出すと、シトラールが袋から一切れの苺タルトを取り出した。
赤い薔薇が添えられていて、見た目も凄く豪華な苺タルト。
苺は粒も大きく、形も良い。
「え? いいの?」
「失敗作らしい。薔薇の花びらの置き方に納得がいかなかったらしい」
「そんなことで、失敗作になっちゃうの?」
シトラールの言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「だから、味は問題ない」
「へー」
私は苺タルトに添えるように置いてある薔薇の花びらを観察しながら答えた。
凄く良い位置に置いてあると思うけど。
これのどこが駄目なのか分からない。
「私って、芸術センスない」
素直な感想を口にすると、シトラールは笑った。
「俺も全く分からないよ」
「シトラールでも? 何でも出来るのかと思ってた」
驚いて声を上げると、シトラールは少し悲しそうに笑う。
「……俺はメリッサのような才能は全くない」
私が淹れた紅茶を一口飲んで、シトラールは言った。
え?
メリッサって、天才なの?
そうは見えなかったけど。
普通のモブ令嬢だと思っていた。
でも、王太子妃になったのだから、何かしら選ばれた理由はあるのだろうとは思っていた。
バウム子爵夫人がサフラン王国の王女なのが理由なのかと。
あとは、ローレル殿下の執着が決め手なのだと思い込んでいた。
それよりも。
私は初めて、シトラールの弱音を聞いた気がする。
少し呆然としてしまった私を見て、シトラールは苦笑してから、苺タルトに添えてある花びらを指差した。
「食べてみて」
「いただきます」
私は言われた通り、花びらを食べた。
少し勇気がいる。
薔薇なんて食べたことがない。
この世界では、これが常識なの?
両親と暮らしていた時は違ったはず……では、貴族の常識?
食べた瞬間、目を見開いた。
思わずシトラールを見つめる。
何これ!
薔薇の花びらなのに、苺味なんですけど。
「美味しい! え、普通の苺より美味しいんじゃない?」
シトラールと残りの薔薇の花びらを何度も見比べて、私は言った。
「これ、メリッサの功績なんだ」
「?」
私は改めてシトラールを見た。
これ、とは?
何がメリッサの功績なのか分からず、私は首を傾げる。
「この赤い薔薇の花びらを魔法改良したのが、メリッサなんだ」
「……凄いじゃん」
「そう、凄いんだよ」
シトラールは、なんとも言えない表情で答える。
そこには自慢の妹を誇る気持ちと、無力な自分を嘆く気持ちが混ざっているように見えた。
実際にシトラールがどんな気持ちを抱いているのかは分からない。
シトラールが普段どんな気持ちでメリッサと一緒にいたのか、私は知らない。
見たことさえない。
一週間ほど、魔法学園で同じクラスだった。
でも当時は、シトラールのこともメリッサのことも知らなかった。
だから、注意して観察することなんてなかったのだ。
今はそれが悔やまれる。
私は当時を思い出して、気持ちが沈む。
気を取り直すように、タルト本体を一口食べた。
さすが王宮のパティシエ、美味しい。
「ラズベリーは、俺と結婚する意思はある?」
唐突なシトラールの言葉に、私は驚くことしか出来なかった。
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