バウム領の聖女(リンシード・アマ視点)
思い出したように、シトラールは口を開いた。
「当時、メリッサが七歳の時だったと思います。水源がある場所を言い当てたのは。それまで、ちょこちょこと領地改良をしていたから、領民たちが大規模工事に取り掛かったのです」
「水源?! バウム領には水源はなかったはずだ」
僕は驚いて声を上げた。
バウム領の土地は痩せている。
それは有名な話で、水源が乏しいことも大きく関係していた。
本来なら人が住みにくい土地。
なぜ、バウム領に住み続ける者が多いのか不思議なくらいだった。
バウム領民は、バウム領を離れたがらない。
そこに住み続けることを望んでいる。
生活するには困難な土地で、普通なら別の場所へ移住するものだ。
僕も一度、バウム領を馬車で通ったことがある。
不思議なことに、領民たちは皆、幸せそうに笑って暮らしていた。
そして、恐ろしく整備された道と、頑丈に建てられた民家。
僕の実家であるアマ公爵領より、よほどインフラが整っていた。
バウム子爵家が領内整備へ莫大な費用を注ぎ込んでいるとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
当時、感動した記憶がある。
ただ、子爵夫人はサフラン王国の元王女。
莫大な持参金があったのではないか、と考えたのも事実だった。
「ある果樹が群生している場所があって、メリッサはずっとそこを気にしていたんです。最初は、その果樹を食べたいのかと思っていたのですが、『この樹は大量の水がないと育たないはずだ』と言い出しまして」
「そんな樹があるのか」
「らしいですよ。ですが、メリッサ本人も確信は持てなかったようで、サフラン王国から専門書を取り寄せて確認していました」
「それで、裏付けを取った、と?」
僕の問いに、シトラールは頷いた。
「その果樹自体が領民の大事な食料の一つでしたからね。簡単に伐採はできませんでした。バウム子爵家は慎重でしたが、領民たちは『メリッサが言うのなら間違いない』と、確証もないうちから伐採しようとして、子爵家が止めに入ったほどです」
「メリッサちゃんの信用度、高すぎだね」
シトラールの説明に、マレインは呆れている。
新聞記事に書かれていたように、領民たちがメリッサ妃殿下を“聖女”のように思っていたことにも信憑性が出てきた。
ローレル殿下が仕込んだ記事ではあったが、嘘ではなかったらしい。
「ですが、今度はその件にメリッサが疑問を持ちました」
「水源の確保に?」
「違います。領民たちが、バウム子爵家の言葉を信じすぎることに対してです」
「え? それって良いことじゃないの?」
マレインが首を傾げながら言う。
領主家と領民の間に信頼関係があるのは良いことではないのか。
領地経営もしやすくなる。
僕にも、不審に思う理由が分からなかった。
「『自分の意見は、自分で持つべきだ』というのが、メリッサの考え方なんです。だから『失敗しても、自分で考えて行動したなら、次はきっとうまくいくから』と」
シトラールの説明に、僕は身体が冷たくなるのを感じた。
そこまで考えが至るのか。
今の話を聞く限り、メリッサ妃殿下は十歳前後だったはずだ。
大人顔負けの思考。
どうすれば、そんな考えに辿り着くのだろう。
やはり、才媛だからか。
「それで次の領地祭りで、領民の子供たちを巻き込んで、“文字の読み書きの大切さ”を劇にしたんです。文字が読めなかったせいで、不利な契約書にサインしてしまったらどうなるか……という内容でした。その台本を元にして、既に絵本にもなっています」
シトラールは、ローレル殿下の書棚の一角を指差した。
実は僕も読んだ。
メリッサ妃殿下が、どのような絵本を書いたのか気になったからだ。
真理を突いた物語だった。
あの絵本を読めば、読み書きの重要性が自然と理解できる。
バウム領民が、メリッサ妃殿下を聖女のように慕うのも無理はない。
それほどのことをしているのだから。
まるで聖女のように、バウム領民たちをより良い未来へ導いている。
バウム領の識字率が急激に向上したのも納得だった。
メリッサ妃殿下の考える物語は、“生きるため”、そして“幸せになるため”の話になっている。
魔法の恐ろしさに触れた作品もあった。
良い面があれば悪い面もある。
だからこそ、自分で考え、周囲と協力しながら暮らしを良くしていこう――そんな前向きな物語が多い印象だった。
僕には年の離れた妹がいる。
その絵本を贈ったところ、とても気に入ったらしく、毎日読んでいると聞いた。
大人にも響き、小さな子供にも共感される絵本など、そうあるものではない。
メリッサ妃殿下の才能は、素晴らしいと言わざるを得なかった。
そして、まさか小説まで書いていたとは。
それでいて、試験成績は常にトップクラス。
しかも、魔法実技では手を抜いていた。
魔力量が少ないにも関わらず、だ。
周囲は、メリッサ妃殿下の外見から「魔力量が少ないのによく頑張っている」と感心していた。
だが、本来の実力は遥か上だった。
あの少ない魔力量で、あそこまで高度な魔法を扱う。
魔法業界の常識を、簡単に覆してしまったのだ。
そして、数々の魔法改良。
素晴らしい、としか言えない。
本来なら、もっと凄まじい魔法改良を成し遂げていたのだろう。
だからこそ、バウム子爵家はシトラールをストッパー役にした。
目立ちすぎないために。
それだけでも十分すぎる功績なのに、それ以上は危険だ。
バウム子爵家の判断は正しい。
そして、大人向けの推理系恋愛小説まで書いている。
学生時代、授業も聞かずに何をしているのか不思議だったが。
絵本とは全く違う。
難解なストーリー。
そして、登場人物たちの心の機微を見事に描き切っている。
どんな思考回路をしていれば、あの物語が生まれるのか。
本当に不思議だった。
メリッサ妃殿下は、ベイリーフ王国にとって極めて貴重な存在だ。
手放せるわけがない。
ローレル殿下の妃になったのも、政治的には当然だった。
意外だったのは、ローレル殿下ご自身が、メリッサ妃殿下本人を心から好きになられたことだ。
凄まじい執着だった。
他の令嬢に脇目も振らず、一心にメリッサ妃殿下だけを想っていた。
その想いは、恐怖と言えるほどだった。
……メリッサ妃殿下は、ローレル殿下を異性として見ていなかったようだが。
ただ幸いだったのは、メリッサ妃殿下に好きな異性が現れなかったことだ。
『いつか、素敵な恋愛してみたいなー』
以前、メリッサ妃殿下がアンジェリカ・パトーキ侯爵令嬢にそう話していた時の、ローレル殿下の顔は凄かった。
夏だったのに、周囲の気温が氷点下まで下がったのだから。
メリッサ妃殿下は冗談のつもりだったのだろう。
だが、ローレル殿下には効果抜群だった。
その後、徹底的にメリッサ妃殿下の異性関係を洗い直していたし。
万が一、メリッサ妃殿下に想い人がいたら――。
今頃、その男はこの世にいなかったかもしれない。
それほどまでに、ローレル殿下はメリッサ妃殿下に惚れ込んでいた。
だから。
あのお二人が結婚したことは、自然の摂理だったのかもしれない。
そう思えてならない。
まぁ、ローレル殿下がメリッサ妃殿下の退路を徹底的に断ったことも大きいのだが。
当時は「そこまでしなくても」と思った。
だが今は、ローレル殿下の判断は正しかったと思える。
先ほどのお二人の様子を見ていると、思っていた以上に上手くいっているようだった。
メリッサ妃殿下も、ローレル殿下をちゃんと異性として見始めている。
愛情は、確実に育ってきている。
……まぁ、ローレル殿下の努力の賜物だろうけれど。
是非、これからも仲睦まじくいてほしい。
ベイリーフ王国の明るい未来のためにも。
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