シトラールお兄様の研究分野
混乱しまくっている私をよそに、シトラールお兄様は何事もなかったかのように書類仕事を再開していた。
もうこの話題には、まるで興味がないように。
確かにシトラールお兄様は、これが通常運転ではあるけれど。
でも、待って?
なんでラズベリーさん?
いつの間に、シトラールお兄様とラズベリーさんが親しくなったというの?
というか、ラズベリーさんが魔法学園を退学したあとの行方を私は知らないのだけど。
シトラールお兄様は知っていたってこと?
どうしてシトラールお兄様が、ラズベリーさんの行方を知っていたの?
どういった経緯で?
しかも魔法研究を手伝ってもらっている?
その上、食事にも行っている?
分からないことばかりだ。
魔法学園在学中に「彼女はないな」と言っていたのに。
あれはローレル様の妃には無理だと言う意味だと思っていた。
確かにその通りなのだろう。
でもシトラールお兄様は平民になる予定だし、自分ならラズベリーさんは大丈夫と言う意味だったの?
そもそもラズベリーさんは、魔法学園を二週間で退学している。
そのうち一週間は謹慎処分を受けていた。
だから、実質一週間ほどしか学園には通っていないはず。
一体どこで親しくなってしまったのか、本当に疑問だった。
あの時は、シトラールお兄様もラズベリーさんを警戒していた。
仲良くしようとは思っていなかったはずだ。
そこは間違いない。
何がどうなって、こんなことになってしまったのか。
頭の中を高速回転させ、疑問をひとつでも解こうとしても答えは一向に出てこない。
目の前でマイペースに仕事をしているシトラールお兄様に、だんだんと殺意が湧いてくるほど腹が立ってきた。
私は、どなたの椅子か分からないけれど、ローレル様の側近の一人のものと思われる椅子を持ち出してきて、シトラールお兄様の前に置き、どかりと座った。
とにかく、シトラールお兄様から話を聞かなくては。
「一体、どういうことですか!?」
私は語尾に力を込めて、シトラールお兄様に尋ねた。
だって、全く答えが見えてこない。
確かにラズベリーさんは超絶美少女ではあったけれど。
顔で女性を選ぶタイプではなかったはずだ、シトラールお兄様は。
なぜなら、シトラールお兄様自身が美形だし。
お母様とリモネンお姉様は超絶美人。
つまり、シトラールお兄様は綺麗な人を見て育ってきている。
今更、相手を顔で選ぶとは思えない。
まぁ、顔は悪いより良い方がいいのだろうけど。
それに、ラズベリーさんの性格。
シトラールお兄様が嫌悪していたのを、私も知っている。
私も「あれはないわー」と思っていたし。
それにシトラールお兄様も同意してたはずだ。
それにラズベリーさんは、完全にローレル様狙いだったはずだ。
シトラールお兄様のことなんて、気にも留めていなかった。
……それはシトラールお兄様が認識阻害の魔法を使っていたからだけど。
強い魔力量を持っていると、認識阻害の魔法は破られると聞いたことがある。
確かにラズベリーさんは魔力量も多く、魔法にも精通していたようだけど。
それでも、ラズベリーさんが魔法学園を退学するまでは、シトラールお兄様の認識阻害の魔法は有効だったはずだ。
そうでなければ、あのラズベリーさんのことだ。
シトラールお兄様の顔を見て、大騒ぎしていたに違いない。
でも、そんなことは当時、学園では起こらなかった。
「シトラールお兄様!」
一向に書類仕事から顔を上げず、私を見ようともしないシトラールお兄様に苛立ちを覚えながら、もう一度大きな声で名前を呼んだ。
うんざりした表情で、シトラールお兄様はやっと顔を上げる。
あ、これは聞かれたくない話題なんだな、と分かる。
伊達に十八年も兄妹をやっていない。
なんとなく察せられた。
でも、聞かないわけにはいかない。
だって、結婚話まで進んでいるようだし。
妹として聞かないわけにはいかない。
もしかして、ラズベリーさんの魅了魔法にかかってしまった?
その考えを、脳が即座に否定する。
バウム子爵家の一員が、魅了魔法なんかにかかるはずがない。
万が一のために、私は魅了魔法無効の魔石までシトラールお兄様に渡してきたのだ。
だから、それは絶対にない。
他の家族は知っているのだろうか?
いや、知らないだろう。
シトラールお兄様は、この手の話を自分から言う人ではない。
もし話していたら、家族から何かしら連絡が来ていたはずだ。
ラズベリーさんの詳細を聞くために。
あの時、王都にいたのはシトラールお兄様と私だけだった。
バウム子爵家にラズベリーさんの奇行の情報は入っていたかもしれないけど。
人となりまでは把握できていないはず。
「なんだ、その目は?」
私が不可解なものを見るような目をしていたのが伝わったらしい。
「ですから、ラズベリーさんとシトラールお兄様の馴れ初めです!」
「な、馴れ初め?」
私の言葉に、シトラールお兄様は珍しく動揺していた。
そりゃ、恋人との馴れ初めを妹に話すのは恥ずかしいものがあるだろう。
あれ?
まだ付き合っているわけではないんだっけ?
でも、早くも結婚話は出ているんだよね。
もしかしてシトラールお兄様、ラズベリーさんに手を出した、ということではない。
これは、もしかして?
「……シトラールお兄様が無理やり、既成事実を作ってしまった、とか?」
なるべく言葉を選びながら聞いた。
気を遣ったつもりだったけど、結構直接的な言葉になってしまった。
オブラートに上手く包めない。
それほどまでに、私も動揺しているようだ。
「そんな訳あるはずないだろうが!」
勢いよく反論されてしまった。
良かった。
そうではないようだ。
「だから……魔法の研究を手伝ってもらっているんだ」
力なく、シトラールお兄様は続けた。
「それは先ほども聞きました」
シトラールお兄様は一度俯き、それから顔を上げて私を見た。
これは何かある。
間違いない
「……俺は、魅了魔法について研究しているんだ」
シトラールお兄様が、声を絞り出すように呟いた。
今まで魔法研究をしているとは聞いていたけど、魅了魔法について研究しているらしい。
漠然と魔法全般を研究しているのかと思っていた。専攻分野があったのか、と納得する。
シトラールお兄様が魅了魔法の研究をしているのなら、ラズベリーさんは必要だろう。
現在、彼女以上の魅了魔法の使い手はいないはずだから。
そして、今後ラズベリーさんのような人が現れないとは言い切れない。
魅了魔法の研究は、とても重要なものだと私は思う。
国家レベルの研究チームが作られているのかもしれない。
だけど、一つ引っかかるものがあった。
怖い理由が頭に浮かんでしまった。
「……もしかして、ラズベリーさんに人体実験をしているのでは……?」
恐る恐る、私はシトラールお兄様に尋ねた。
お願い。
違うと言って。
「……たまには」
シトラールお兄様から、嫌な返答が返ってきた。
思わず、私は頭を抱えた。
当たってほしくない考えが、当たってしまった。
「ちゃんと本人に合意を取ってるし、無茶なことはやってない!」
勢いよく立ち上がって、シトラールお兄様はまくし立てる。
それはお兄様の見解であって、ラズベリーさんの気持ちは完全に別物だ。
女の子を弄ぶより最低なのでは?
自分の兄がクズだったなんて信じたくない。
「大丈夫だよ。ラズベリーちゃんは、シトラールと一緒にいたくて、自分から進んで協力しているから」
マレイン様が補足するように言う。
それって、同僚(仮)のシトラールお兄様を庇っているだけなのでは?
怪しい表情で私はマレイン様を見つめながら思う。
「本当に! あと、また自分みたいな魅了魔法の使い手が現れたら、絶対に対策は必要だって本人が言ってたよ。多分、贖罪の気持ちもあるんだと思う」
マレイン様が詳しく説明してくれた。
贖罪。
ラズベリーさんが、そんなことを考えていたとは思っていなかった。
もしかして、他の人に迷惑をかけてしまった自責の念があるのかもしれない。
……でも、私の知っているラズベリーさんのイメージと一致しない。
そんな殊勝な人だっただろうか?
まぁ、人の考えは変わるものだし、決めつけるのは良くない。
その時、廊下から複数の足音が聞こえてきた。
しかも、全力で走っている足音だった。
ここはローレル様の執務室。
扉の前には複数の近衛兵がいる。
だから、危険はないはず。
でも、一体何事かと、私は執務室の扉へと視線を向けた。
読んでいただきありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




