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シトラールお兄様に女の影



私は一度、王太子宮殿にある自分の執務室で休憩してから、ローレル様に会いに行こうと思った。


「先触れもなく、今からですか?」


ネリーさんが驚いた声を上げる。


もっともである。

普段は先触れを出してから訪問するのが一般的だ。


でも、結婚式を挙げる前に、一度ローレル様が仕事をしているところを見ておきたい。

私が今後公務をするにあたり、どのような雰囲気で仕事をしているのか確認しておきたいのだ。


もちろん、ローレル様のように私は仕事が出来るわけではないけれど。

仕事場の空気感くらいは把握しておきたい。


それに、素のローレル様の仕事風景も気になる。

夜遅くまで仕事をしなければならないなんて、大変すぎるし。


そのことをネリーさんとアンジェリカに伝えると、二人とも賛同してくれた。


ネリーさんなど、そこまで考えていらっしゃるとは、と感動していた。


……本当は、ただローレル様の姿を見てみたいと思ったのも事実である。

言えないけど。



   ■□■□■□■□■□



先触れを出していないのだから、門前払いされるかもしれないと思っていた。


けれど拍子抜けするくらい簡単に、ローレル様の執務室へ通された。


……が。

当のローレル様の姿がなかった。


想定外である。


執務室にいたのは、マレイン様とシトラールお兄様の二人だけだった。


「シトラールお兄様、まだローレル様のお手伝いをしているの?」


私は疑問を口にする。


まさか、お披露目夜会から二か月近く経っているのに、シトラールお兄様がローレル様の執務室にいるとは思っていなかった。

王宮魔法師団の研究所に配属されたのではなかったのだろうか。


これでは、ほとんどローレル様の側近である。

もしかして、私の兄だから王太子の側近になったのかもしれない。


「……今、ここは人手が足りないんだよ」


少しうんざりしたような表情で、シトラールお兄様は答えた。


もしかして私の顔を見て、うんざりしているの?

それは酷くない?


久しぶりに可愛い妹と会えたのだから、喜ぶところでしょう。普通。


そう言えば、以前は四六時中一緒にいたのに、二か月近く会えなかったのは初めてかもしれない。

そんなことを思った。


王太子妃になってしまったから、これからもあまり会えないのだろうか。

それは寂しい。


でも、そう思っているのは私だけかもしれない。


というか、ここまでずっと一緒にいた兄妹も、今思えばかなり変だったのだ。

明らかに、おかしいほど一緒にいた。


どうして今まで疑問に思わなかったのか不思議なくらい。

レーモンお兄様とリモネンお姉様がいつも一緒だったのを見て育ったからかもしれない。


まぁ、あの二人は双子だから、そこまでおかしい話ではないけれど。


「あ、シトラールお兄様!」


「……何だ?」


シトラールお兄様は、私の顔を見ることもなく書類仕事をしながら返事をする。


本当に忙しいのかもしれないけれど、相手の顔を見て会話するのが礼儀でしょう?


親の顔が見てみたい。

私は自分の両親の顔を思い浮かべる。


……シトラールお兄様も私も、同じように育てられたな。


「魔法学園時代にローレル様と交流があったことを、なぜ教えてくださらなかったのですか?」


以前、ローレル様に言われたことを思い出しながら尋ねる。


シトラールお兄様との会話で、ローレル様の話題が出たことはなかったはずだ。

まぁ、知っていたとしても、今のこの状況は変わらなかったと思うけれど。


「俺、ローレル殿下と親しいんだぜ。凄いだろ? ……くらい自慢しても良かったのではないですか?」


私はシトラールお兄様の声真似をしながら言った。


自分でも似ていないとは思ったけど。

口調は完璧にシトラールお兄様に似ていたはずだ。


「っ!」


私がシトラールお兄様の真似をした瞬間、マレイン様とアンジェリカが口元を押さえた。

二人は笑うのを必死で堪えているようだった。


意外にも、マレイン様とアンジェリカは笑いのツボが同じらしい。

肩を震わせている。


「……なんで、俺がそんなことを言うと思ったのか、逆に聞きたい」


シトラールお兄様は、ようやく顔を上げて言った。


その表情は怪訝に満ちている。

シトラールお兄様が絶対にそんなことを言わないと分かっていて、私はあえて言ったのだ。


「シトラールお兄様は昔から真面目すぎてつまらないから、たまにはユーモアを交えた方が良いかと思って」


私は真顔で答えた。


マレイン様とアンジェリカは堪えきれずに笑い出している。

だって、本当のことだから。


ネリーさんは私たちの会話を聞いて、若干呆れ気味である。


「……つまらなくて悪かったな」


憮然としながら、お兄様は呟く。


あ、自覚はあるようだ。

しかも、その件に関して少し気にしているようにも見える。


無自覚なのかと思っていた。


「このままでは、女の子にモテませんよ」


私は厳しめに注意した。


自覚があるなら、直した方が良いのは間違いないのだから。


魔法研究をしたいとシトラールお兄様が言い出した時から、私は思っていたのだ。

せっかく顔は良いのに。


でも、自身に認識阻害の魔法をかけているから、誰もお兄様の素顔を知らない。


勿体ない。

素顔を晒せば、女の子なんて選び放題なのに。


……気の利いたことが言えないのが玉に瑕ではあるけど。


「大丈夫だよ。シトラールは特定の女の子と仲良くしているからね」


ようやく笑いが収まったらしいマレイン様が、驚きの発言をした。


「……え?」


シトラールお兄様にそんな相手がいたなんて初耳だった。


私には、いまいちピンと来ない。


シトラールお兄様とずっと一緒にいたのに、知らなかった。


相手は誰?

シトラールお兄様は、誰彼構わず人付き合いをする方ではない。


とても慎重派なのだ。


ずっと一緒にいた私が、シトラールお兄様のお相手を知らないはずがない。

私が王太子妃になってから、その相手と出会った可能性がないわけではないけれど。


マレイン様がご存じなくらい親しくなるには、期間が短すぎる。

性格的にも、シトラールお兄様には絶対に無理。


その時、私の頭に一人の女性の顔が浮かんだ。


「……もしかして、クラリス?」


気づけば、声に出していた。


バウム子爵家の家令の娘で、現在は王都で女優業をしている。

シトラールお兄様とクラリスは同い年だ。


それなりに仲は良かったはずである。

二人だけで話しているところを、何度か目撃したこともあった。


お互いに王都にいるなら、会っていてもおかしくはない。


ただの幼馴染だと思っていたけど……。


「うわー、違う女性の名前が出てきた。これ、彼女に言ったら揉めるの確定だね」


何も答えてくれないシトラールお兄様の代わりに、マレイン様が笑って言った。


やはり、シトラールお兄様とクラリスはただの幼馴染だったらしい。


でも、クラリスは駆け出しの女優だ。

スキャンダルを避けるために、お兄様と会う時は変装している可能性もある。


それよりも。


「え? シトラールお兄様は、もうその方とお付き合いなさっているのですか?」


思わず大きな声を出してしまった。


意外な事実に驚愕する。

まさか、もうお付き合いしているなんて!


どうして可愛い妹である私に教えてくれなかったの?

知っていたら、これでもかというほどからかい倒していたのに!


……それが分かっていたから、私に教えなかった可能性が出てきた。


シトラールお兄様は口を開かない。

直接聞いても答えてくれないと判断する。


「シトラールお兄様は、いつからその女性とお付き合いなさっているのですか?」


それでも私はシトラールお兄様に、どうしても聞かずにはいられなかった。

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