王妃様とのお茶会
私は姿見の前で、くるりと一回転した。
空色のドレスがふわりと揺れる。
「ネリーさん、このドレスで大丈夫だと思いますか?」
私はアンジェリカではなく、年配の侍女――ネリー・フェーンに尋ねた。
彼女は私の侍女の中で最も王宮勤めが長く、以前は王妃様付きの侍女もしていたらしい。
今日は、王妃様のお茶会に招かれているのだ。
「気楽に来てほしい」と言われてはいるけど、失礼なことは出来ない。
「はい。とてもお似合いですよ、妃殿下。あと、“さん”付けは不要です。ネリーとお呼びくださいませ。それと敬語も不要ですよ」
「……善処します」
ドレスの合格はもらえたけど、また言われてしまった。
今まで何度も注意されている。
ネリーさんは名門フェーン伯爵家現当主の妹君だ。
本来なら、彼女の方が立場は上である。
それに、前世の記憶があるせいか、自分より十歳年上の方を呼び捨てにするのは凄く抵抗がある。
今の私は王太子妃。
それは理解している。
でも、中々前世の価値観が抜けない。
やはりネリーさんを呼び捨てにするのは、私の中ではハードルが高かった。
バウム領にいた時も、同世代くらいしか呼び捨てには出来なかったし。
年上には、どうしても“さん”付けになってしまう。
そのせいで、バウム領では“ちょっと変わった領主の娘”として通っていた。
でも、領民たちはあまり気にしていなかった気がする。
少し、バウム領って変わっているのかもしれない。
両親や祖父母、兄姉たちにも、呼び方について特に注意されたことはなかった。
むしろ兄姉たちまで、私の影響で年上の領民を“さん”付けで呼ぶようになっていたくらいだ。
そんな私を見て、アンジェリカは苦笑している。
アンジェリカはネリーさんの同僚だから、“さん”付けでも問題ないらしい。
「さあ、王妃様のところへ参りましょう。遅れてしまいますよ」
考え込んでいた私に、ネリーさんが優しく言った。
そうだ。
王妃様のお茶会に遅れるわけにはいかない。
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私は王妃様がいらっしゃる後宮へ向かった。
今回はアンジェリカではなく、ネリーさんに付き添ってもらっている。
アンジェリカは、あまり王妃様にお会いしたくないようだった。
無理強いはしたくない。
別にアンジェリカが王妃様に嫌われているわけではない。
どちらかと言えば、かなり気に入られていると思う。
ただ――。
アンジェリカの継母であるパトーキ侯爵夫人ラウラ様は、王妃様の末妹なのである。
つまり、アンジェリカは王妃様にとって義理の姪。
ローレル様とも血の繋がりはないけど、親戚関係になる。
少し複雑なのだ。
アンジェリカは、パトーキ侯爵がまだ侯爵令息だった頃に生まれている。
当時、侯爵はすでにラウラ様と婚約中だった。
しかも、ラウラ様はまだ十四歳だったらしい。
そんな繊細な時期に、婚約者が婚外子をもうけるなんて。
アンジェリカは、そのことを思うたびに胸が痛むと言っていた。
でも、母親を亡くしてパトーキ侯爵家に引き取られてから、ラウラ様はアンジェリカを本当に大切に育ててくれたらしい。
礼儀作法も、すべてラウラ様から教わったそうだ。
そして現在、パトーキ侯爵夫妻の間には子供がいない。
アンジェリカだけなのだ。
だからアンジェリカは、ラウラ様のことを「継母というより、お姉様みたいな存在だった」と話していた。
その言葉だけで、アンジェリカがラウラ様をどれほど慕っているのかが分かる。
今でもアンジェリカは、頻繁に近況報告の手紙を書いているらしい。
ラウラ様からも、よく返事が来るそうだ。
ただ、アンジェリカの口からパトーキ侯爵の話はほとんど出ない。
私は、その理由を聞いたことはない。
聞くべきではない気がしていたから。
つまり、アンジェリカは王妃様とも近い立場にいる。
そう考えると、王宮で自然に振る舞えるのも納得だった。
……まだ実感はないけど。
王妃様って、私のお姑様なんだよね。
来月の結婚式準備――特にウェディングドレスの件では、本当にお世話になった。
王妃様はゴージャスな見た目なのに、意外とさっぱりした性格をしていて、とても気さくな方だ。
マイペースなお母様とも仲が良いくらいだし。
私にも、とても良くしてくださっている。
今のところ、嫁姑問題は大丈夫そう。
そのことには安堵している。
これからも嫌われないように気をつけなければ。
相手は王妃様なのだから。
言動や所作には、細心の注意を払わないと。
……でも、私。
妃教育、受けてないんだよね。
時々、本当に不安になる。
そんなことを考えているうちに、王妃様指定のサロン前へ到着していた。
緊張で身体が固まる。
そう言えば。
王妃様と二人きりでお会いするのって、初めてじゃない?
一気に緊張のハードルが上がった気がした。
「そこまで緊張しなくても大丈夫ですよ」
ネリーさんが優しく言う。
「ケイジュ様は、とても気さくなお方ですから」
私は思わず目を瞬いた。
今、ネリーさん、王妃様のことを名前で呼んだ。
そこまで親しい間柄だとは思っていなかったので驚く。
そう言えば。
ネリーさんは、私が王太子妃になってから、ずっと見守ってくれていた。
慣れない王宮生活で、何度もさりげなく助けてくれた。
……もしかして。
ネリーさんが私付きになったのって、王妃様の采配だったのかもしれない。
王妃様は、最初から私を支えてくれていたんだ。
やっと、そのことに気がついた。
そんな優しさに今まで気づけなかったなんて。
私は周囲に助けられてばかりだ。
自分のことで精一杯で、情けない。
感動と情けなさが一気に押し寄せてきて、視界がぼやける。
涙が滲みそうになる。
「まあまあ、ここで泣いてはいけませんよ。まるで私が泣かせたみたいではありませんか」
冗談めかしてネリーさんは微笑んだ。
私も思わず笑ってしまう。
なんとか涙を堪えた。
「メリッサ妃殿下には、笑顔が一番お似合いです」
「……ありがとうございます」
「さあ、王妃様がお待ちですよ」
そう言って、ネリーさんはサロンの扉を開けた。
そこには、とても麗しい王妃様が笑顔で立っていた。
「メリッサちゃん! よく来てくれたわね」
王妃様は私に駆け寄り、両手を取って歓迎してくださる。
本当に喜んでくださっているのが伝わってきた。
その瞬間、緊張が少し和らぐ。
「この度は、お茶会にお招きいただき、誠にありがとうございます」
自然とお礼の言葉が出た。
本当は、それだけじゃ足りない。
伝えたい感謝は、もっとたくさんある。
「こちらこそ、忙しい時期なのに来てくれてありがとう」
王妃様は、ティーセットが用意されたテーブルへ私を案内する。
その笑顔は本当に嬉しそうで、見ているこちらまで嬉しくなってしまう。
「メリッサちゃん、イチゴとカスタードの組み合わせ好きでしょう? 今日はイチゴタルトを作ってもらったのよ」
私を椅子へ座らせてから、王妃様も向かいへ腰掛けた。
順番が逆である。
「堅苦しいことは考えないで。今日は私と娘との初めてのお茶会なんだから」
にこにこと笑いながら王妃様は言った。
私の考えていることなんて、お見通しらしい。
さすが、ローレル様のお母様だ。
そして、王妃様は私のことを「娘」と仰った。
「義娘」ではなく。
そのことが嬉しい。
「娘とお茶会するのが夢だったの。実現出来て、本当に嬉しいわ」
王妃様は、泣きそうな笑顔で呟いた。
国王陛下ご夫妻には、お子様がローレル様お一人しかいない。
でも、本当はもう一人いらっしゃるはずだった。
ローレル様が生まれる前。
王妃様は、生後二か月の王女様を亡くされている。
私は、そのことを知っていた。
「結婚式の準備も手伝わせてくれて、本当にありがとう」
王妃様の表情を見て、私は理解する。
きっと、亡き王女様を重ねていらっしゃるのだ。
私を通して、叶わなかった未来を見ている。
その想いが、痛いほど伝わってきた。
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