リモネンお姉様の婚約破棄
「メリッサ、体調は大丈夫?」
魔力切れを起こした翌々日。
リモネンお姉様がお見舞いに来てくれた。
そして私は、今日も寝室で謹慎中である。
身体は動くし、熱も完全に下がった。
もう大丈夫だと思うのだけど。
ローレル様のお許しが出ないのである。
本当に、なんで?
一応、昨日の夜からは自分の寝室に戻っている。
もう普通の生活を送れると思うのだけどなぁ。
ローレル様は、かなりの心配性である。
そういえば、入籍してすぐにローレル様ご本人からそんなことを言われた覚えがある。
けれど、ここまでとは思っていなかった。
結婚式まで一か月を切っている。
それもあるのかもしれない。
結婚式に関しては、ドレス以外のすべてをローレル様が取り仕切ってくださっている。
ここまで意欲的な花婿も珍しいのではないだろうか。
けれど、彼はベイリーフ王国の王太子だ。
警備面などは慎重になりすぎるくらいで良いのだろう。
その方面に関して、私は完全に戦力外なのである。
仕方がない。
昨日は執筆に集中しすぎてしまった。
あのペースで書き続ければ、確実に睡眠時間を削ってしまう。
結婚式には万全の体調で臨まなくてはいけない。
ウエディングドレスも日々修正されているし、迷惑はかけられない。
これは言われなくても分かっている。
なので、本日は執筆禁止である。
でも、私が退屈しないようにと、ローレル様がリモネンお姉様を呼んでくださったらしい。
お姉様に会えるのは嬉しい。
「あ、あのね、メリッサ」
「? お姉様?」
なんだか、お姉様に元気がない。
表情が少し曇っていた。
とても言いにくいことなのか、口を開いては何も言わずに閉じる。
それを何度か繰り返していた。
「お姉様の方こそ、大丈夫ですか?」
もしかして、王宮で嫌な場面に出くわしてしまったのだろうか。
私のせいで何か言われたとか?
不安が広がる。
「あ、あの……あのね、メリッサ」
お姉様は一度俯いていた顔を上げて、意を決したように言った。
「私、婚約破棄をしたの!」
思ってもいなかった話に、私は一瞬呆然としてしまった。
お姉様は四年ほど前から、アストリッド・ジギタリス伯爵令息と婚約していた。
ちなみに、私はアストリッド卿と直接会ったことはない。
確か、お姉様より二つ年上だと聞いていた。
私がアストリッド・ジギタリス伯爵令息について知っているのは、名前と年齢くらいだ。
どのような経緯で婚約に至ったのかも知らされていない。
お姉様や他の家族からも、アストリッド卿の話題が出ることはなかった。
だから、どんな人物なのかは全く分からない。
ただ、ジギタリス伯爵家の評判があまり良くないことは、王太子妃になってから耳にしていた。
「もしかして……私のせいですか?」
私がローレル様と結婚してしまったから、お姉様の婚約に何か影響を与えてしまったのではないか。
それが真っ先に頭に浮かんだ。
「そうじゃないのよ」
お姉様は私を安心させるように微笑む。
超絶美人なので、その笑顔の破壊力は妹の私であっても大きい。
「どうやらね、ジギタリス伯爵家は、メリッサが王太子妃に選ばれるという情報を掴んでいたみたいなの。それで嫡男と私を婚約させたみたい」
「……は?」
確か、お姉様の婚約が決まったのは四年前ですよね?
そんな昔から、私が王太子妃になることが決まっていたの?
あり得なくない?
疑問が脳内に一気に氾濫する。
でも今は、それよりお姉様の方が心配だった。
「アストリッド様には三人も囲っている恋人がいて、そのうちお二人にはお子さんもいらっしゃるそうなの」
お姉様ののんびりした、いつもの口調の流されそうになる。
「囲っている恋人が三人に、子どもが二人?」
「凄いわよね」
聞き返す私に、お姉様はどこか他人事のように同意した。
あれ、そういえば。
お姉様は婚約者と一年以上会っていないと言っていた。
囲っている恋人が三人もいれば、確かに忙しいだろう。
「こんなにお綺麗なお姉様がいるのに……」
なんて馬鹿な人なのだろう、という言葉はなんとか飲み込んだ。
しかもリモネンお姉様は、貴族令嬢としても完璧なのである。
「アストリッド様は、私の顔を見たことがないと思うわ。そういえば」
お姉様は何でもないことのように言った。
まるで天気の話をしているみたいだった。
「え? どうして?」
「私、顔に認識阻害の魔法をかけているし。アストリッド様の前で魔法を解いたことはないもの。魔法を使っていることさえ、ご存じないんじゃないかしら?」
少し首を傾げながら、お姉様は続けた。
アストリッド卿は、よほどリモネンお姉様に興味がなかったのだろう。
この顔を知っていれば、話は違っていたのかもしれない。
それに、お姉様はアストリッド卿を信用していなかった。
だから素顔を見せることがなかったのだ。
お姉様の判断は正しい。
「もともと嫌悪感しかない人だったから、この婚約破棄はとても助かったわ」
お姉様は嬉しそうに微笑み、はっきりと言い切った。
なるほど。
バウム家でアストリッド・ジギタリス伯爵令息の名前が出なかったのは、そういう理由だったのか。
私もお姉様からアストリッド卿のことを聞こうと思わなかった。
興味も湧かなかった。
きっと他の家族も同じなのだろう。
最初からこの婚約は上手くいかないと、バウム家全員が思っていたのかもしれない。
リモネンお姉様も清々しい表情をなさっているし、これで良かったのだと思える。
「それでね、結構な慰謝料をいただいてしまったの」
どうしましょう、という雰囲気でリモネンお姉様は言った。
嫌悪感を覚えていた人からいただいたお金である。
使い道に困るのは理解できる。
「お金はないより、ある方が良いのでは?」
私は、つい現実的な返答をしてしまう。
お姉様が傷ついていないのなら、それで良い。
リモネンお姉様は肩を落とし、申し訳なさそうに私を見た。
何か懸念事項でもあるのだろうか。
大好きなお姉様には絶対に幸せになってほしい。
それを邪魔するような輩がいるのなら、容赦するつもりはない。
「ごめんね、メリッサの晴れ舞台の前なのに……」
お姉様の瞳に涙が浮かんでいる。
私のことを思ってくださっているのが伝わってきた。
「リモネンお姉様。悪縁は一刻でも早く断ち切る方が良いと思います。お姉様の判断は間違っていません」
私ははっきりと答えた。
だって、お姉様に落ち度は何もない。
悪縁だと分かっているものを、そのままにしておく方が良くないに決まっている。
お姉様が不幸になるのは絶対に嫌だ。
そんなことはさせない。
それに私の入籍は、すでに終わっている。
結婚式はローレル様が主役と言ってもいい。
この程度のことで、ローレル様の民衆支持が下がるとは思えない。
「お姉様のことを大切に愛してくださる方が絶対にいます」
私はお姉様の目を見て、真剣に伝えた。
こんなに素敵な人を放っておく人など、まずいない。
お姉様の良さを最大限分かってくださる方が、必ずいる。
それは確信だった。
その時、ふとアレックス・トスカナ様の顔が頭に浮かんで、すぐに消えた。
なぜだか、自分でも理由は分からなかった。
読んでいただきありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




