後戻りできない想い
魔力切れで意識を失ったのは、三年ぶりだった。
本当に魔法は万能ではないのだと、改めて実感する。
ただ、今回の魔力切れは三年前と違い、かなり軽度だったのが幸いだった。
「メリッサ様、お水はいかがなさいますか?」
アンジェリカが気遣うように声を掛けてくれる。
いつもの侍女服ではなく、先程まで着ていたお茶会用のドレス姿だった。
「ありがとう。喉が渇いていたの」
私はベッドから身体を起こした。
身体が重い。
思うように力が入らない。
それでもソファーへ移動しようと立ち上がった瞬間、アンジェリカに笑顔でベッドへ戻されてしまった。
ここ、王太子夫婦の寝室なんだよね。
万が一、水でもこぼしたら大惨事になりそうで怖い。
ベッドに腰掛けた私へ、アンジェリカは水差しからコップへ水を注いでくれた。
受け取って、一口飲む。
身体に水分が染み込んでいく感覚がした。
しかも少しレモン果汁が入っているようで、さっぱりしていて飲みやすい。
「おいしい……」
生き返るとは、このことだ。
魔力欠乏による怠さも、少し楽になった気がする。
「魔力回復用のポーションも少量入れてあります」
コップを見つめていた私に、アンジェリカが説明してくれる。
本当によく気が付く侍女だ。
「今日はごめんね」
私はアンジェリカへ顔を向けた。
「何がでしょう?」
意味が分からないと言いたげに、アンジェリカは首を傾げる。
「お茶会でアンジェリカ様たちと、もっと楽しくお話ししたかったのに」
思わず愚痴が漏れてしまった。
やっぱり、今回はフローラ嬢を呼ぶべきではなかったのかもしれない。
後悔が押し寄せる。
初めてのお茶会。
私なりに頑張って準備した。
アンジェリカにも、たくさん手伝ってもらったし、ヴィオレ様にも随分助けていただいた。
改めて、お礼の品を贈らなくてはいけない。
それでも――今日のお茶会にフローラ嬢を招待したこと自体は間違いではなかったと思う。
私の中で、彼女への警戒心がさらに強くなったのも事実だった。
まだ目的は分からないけれど。
「今度、改めてお茶会を開かれたらよろしいと思いますよ」
アンジェリカは穏やかに微笑んだ。
まぁ、それが一番だよね。
次は結婚式のあと、初夏頃か……あるいは魔法学園の夏季休暇あたりだろうか。
ヴィオレ様とブランシュ様は、まだ学生だし。
「それにしても、先程のご判断はよろしかったのですか?」
「?」
アンジェリカの言う“先程”が分からず、私は首を傾げた。
「ローレル殿下を、トスカナ公爵令嬢のところへ向かわせたことです」
ああ、そのことか。
なんとなくだけど、ローズマリー様には、ローレル様が直接お話しするべきだと思ったから。
「もし、あのお二人に何かあったら……。ローズマリー様は、まだローレル殿下へのお気持ちが残っていらっしゃいますし」
アンジェリカは、眉を顰めて、言った。
確かに、ローズマリー様の恋は、まだ終わっていないようだった。
あれほどローレル様をお慕いしていたのだから、当然なのかもしれない。
ローレル様は情に流される方ではない。
ベイリーフ王国という大国の王太子であり、自らの立場と責務を、誰よりも理解している。
だからこそ、多くの人がローレル様を認めているのだ。
……でも。
ローズマリー様が絶世の美女で、その上とても優秀な方であることも事実だった。
もしかしたら、私よりローズマリー様の方が王太子妃に相応しいと、ローレル様が思い直す可能性だってあるのかもしれない。
そもそも、未だに私は、自分が王太子妃に選ばれた理由を理解しきれていないのだから。
「その時は、その時だよ」
気付けば、まるで自分に言い聞かせるように呟いていた。
なるようにしにか、ならない。
これが自然の摂理。
でも、そうなったらと考えると……。
胸が痛む。
傷付いているのが、自分でも分かった。
いつの間にか、ローレル様は私にとって“隣にいて当たり前”の存在になっていた。
家族とも友人とも違う。
もっと大きく、もっと深い感情。
私はもう、それを認めざるを得なかった。
こんな気持ち、今まで誰に対しても抱いたことなんてなかったのに。
「……メリッサ様」
少し躊躇うように、アンジェリカが私の名前を呼ぶ。
私ははっとして顔を上げ、笑顔を作った。
仲の良いアンジェリカに、取り繕った笑顔なんて通用しないと分かっているのに。
「あ、今のローレル様には言わないでね」
「……手遅れだと思います」
アンジェリカは俯き加減で答えた。
「え?」
私が聞き返した瞬間、寝室の扉が勢いよく開いた。
ローレル様である。
……ああ、聞かれていた。
ローレル様は普通、夫婦の寝室であっても、必ずノックをしてから入ってくる。
とても礼儀正しいのだ。
ローレル様は少し怒っているようだった。
顔には、いつもの穏やかな笑みを浮かべているのだけれど。
それが逆に怖い。
完璧に地雷を踏んだ気がする。
しかも今日は、お茶会の件でローレル様にも迷惑を掛けている。
本来なら、今も執務室で仕事をなさっていたはずなのに。
「パトーキ侯爵令嬢。イーズ侯爵令嬢に、トスカナ公爵令嬢、ウズイカ公爵令嬢を送ってくれるよう伝えてきてくれないか?」
「……他の者に頼んで参りま――」
「パトーキ侯爵令嬢が直接伝えてきてくれ」
アンジェリカの言葉を遮り、ローレル様は静かに言った。
ローレル様は私と二人きりで話したいらしい。
私はアンジェリカへ小さく頷く。
「承知いたしました」
アンジェリカは一礼し、寝室を退室した。
扉が閉まる。
その瞬間、ローレル様は私へ近付き、抱き締めてきた。
心臓が大きく跳ねる。
やっぱり、ローレル様とのスキンシップには慣れない。
「ちゃんとトスカナ公爵令嬢に謝罪してきたよ」
「……謝罪?」
ローレル様の言葉の意味が分からず、私は聞き返した。
「そう。私はずっと、彼女を利用していたからね。メリッサを妃に迎えるために」
「?」
ますます意味が分からない。
私を妃に迎えるために、ローズマリー様を利用する?
ローレル様の腕に、少し力がこもる。
確かに私は、「ローズマリー様に何か言うべきことがあるのでは」とローレル様へ伝えた。
でも、それが謝罪だったとは思わなかった。
「ローズマリー様は?」
「……役に立てたのなら良かった、と」
その返答に、私は目を見張る。
やはりローズマリー様は、本当に素晴らしい方だ。
だからこそ、不思議だった。
どうしてローレル様は、ローズマリー様ではなく私を選んだのだろう。
そう思いながらも、私は自然とローレル様の肩へ顔を埋めていた。
……選んでいただけたことが、嬉しい。
いつの間にか、そう思うようになっていた。
「メリッサ」
「はい」
耳元で名前を囁かれ、心臓がさらに速くなる。
次の瞬間。
ローレル様の唇が、私の唇へ触れていた。
「……え?」
声が漏れたのは、唇が離れてから十秒ほど経ったあとだった。
思わず両手で自分の唇を押さえる。
今、何が起きた?
ローレル様は少し頬を染めていた。
少しずつ理解が追いつく。
今、ローレル様とキスをしたのだ。
初めてのキス。
入籍してから、もう二ヶ月も経っている。
夫婦なのだから、何もおかしくないはずなのに。
顔が熱い。
絶対に、私は茹で蛸のように真っ赤になっているに違いない。
「……嫌、だった?」
少し照れながら、それでも不安そうにローレル様が私を覗き込む。
美しい顔が近い。
私はすぐに答えを見つけた。
嫌ではない。
むしろ――。
「……嫌では、ないです」
何とかそれだけ答える。
事実を口にするだけで、こんなにも恥ずかしいなんて。
初めて知った。
「よかった」
本当に安堵したように、ローレル様は微笑んだ。
「メリッサ」
優しく名前を呼ばれ、身体が強張る。
「もう一度してもいい?」
切なそうな表情で問われる。
その顔は、卑怯だと思った。
でも、嫌じゃない。
それもまた、本当だった。
私は躊躇いながら頷く。
声は出ない。
恥ずかしすぎて。
いちいち確認しないでほしいのが本音だけれど、恥ずかしくて口には出せない。
返事を確認したローレル様が、ゆっくり顔を近付けてくる。
心臓の音がうるさい。
絶対にローレル様にも聞こえてしまっている。
唇が重なる。
何度もついばむように優しく唇が重なり、それは徐々に深くなっていく。
私はどうすれば良いのか分からなくなった。
息継ぎすら上手く出来ず苦しくて、思わずローレル様の服を掴んでしまった。
ローレル様が満足するまで、それは続いた。
永遠のような時間だった。
最後にローレル様が、私の唇に残った唾液を優しく拭う。
状況に頭が追いつかない。
「愛しているよ、メリッサ」
嬉しそうにローレル様は囁いた。
私は息が上がっていて、何も考えられなくなっていた。
ローレル様は再び、しっかりと私を抱き締める。
まるで、私の存在を確かめるように。
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今回で第二章が終わり、次回から第三章に入ります。
これからもよろしくお願い致しますm(_ _)m




