想いの深さ(ローズマリー・トスカナ視点)
お兄様が私の顔を覗き込む。
「いつも通り可愛いよ、ローズマリー」
そう言ってから、お兄様は扉へと向かった。
先ほどまで泣いていたのだ。
可愛いはずがない。
けれど、お兄様の優しさが身に染みる。
お兄様の妹で本当に良かったと思った。
だけど、私はこれ以上トスカナ公爵家の利になるようなことはできないのではないか。
そう思うと、身体が重くなるようだった。
公爵家の娘として、トスカナ公爵家の利益になる家へ嫁ぐことも難しくなるかもしれない。
私がローレル殿下をお慕いしていたことは、貴族の間では知れ渡っている。
そんな私に、まともな縁談が来るとは思えなかった。
「トスカナ公爵令嬢、大丈夫かい?」
ローレル殿下の声に、私は驚いて顔を上げた。
そこには、少し申し訳なさそうな表情をしたローレル殿下がいらっしゃった。
お茶会の時のような冷たい視線ではない。
ただ、「トスカナ公爵令嬢」呼びは変わらなかった。
「……ローレル殿下」
思わず声が漏れる。
ローレル殿下が来てくださるとは思っていなかった。
私は呆然としてしまう。
「今日はメリッサのお茶会に来てくれて、ありがとう」
穏やかな声音だった。
さらに驚いた。
お礼を言われるとは思ってもいなかった。
「アレックスも、忙しい中すまない。君の職場には連絡を入れてある。妹君が落ち着くまで、側にいた方が良いだろう?」
「お気遣い、感謝いたします」
お兄様はローレル殿下に頭を下げた。
そうだ。
お兄様は勤務中だった。
私のために来てくれたのだ。
嬉しいけれど、申し訳なさも大きくなる。
「本日は大変申し訳ありませんでした」
私は改めて謝罪した。
フローラ様の件は、決して許されることではない。
「私も先ほどは頭に血が上っていて、きつい物言いになってしまった」
「……いえ」
私はゆっくりと首を横に振る。
悪いのは私だ。
もう少し早くフローラ様の暴走を止めていれば、こんなことにはならなかった。
後悔しかない。
「メリッサのことになると、本当に余裕がなくなるんだよ。恥ずかしい限りだ」
ローレル殿下は自嘲気味に笑いながら言った。
その言葉だけで、ローレル殿下が本当にメリッサ妃を想っているのが伝わってくる。
そして、その時になってやっと気がついた。
魔法学園在学中、ローレル殿下はメリッサ妃のことだけを、名前で呼んでいらした。
ハーツ様やシトラール様とご一緒の時、ローレル殿下はよくメリッサ妃の話をしていたことを思い出す。
あの時は、シトラール様の妹君だから話題にしているのだと思っていた。
でも、ローレル殿下は間違いなく「メリッサ嬢」と呼んでいた。
どうして気づかなかったのだろう。
お兄様が一緒にいる時でさえ、ローレル殿下は私のことを「トスカナ公爵令嬢」と呼んでいたのに。
本当に周りが見えていなかった。
ローレル殿下のことばかり見ていたから。
羞恥心が込み上げる。
私は、自分で思っていた以上に視野が狭くなっていたのだ。
「……メリッサ妃は大丈夫ですか?」
私は意識を失う前に、メリッサ妃が倒れたと聞いていた。
「先ほど目を覚ましたよ。後遺症もないとのことだ」
メリッサ妃を思い浮かべているのだろう。
ローレル殿下は安堵した表情を浮かべていた。
良かった。
メリッサ妃は無事なのだ。
そういえば、こんな幸せそうなローレル殿下を見るのは初めてかもしれない。
本当に、メリッサ妃がお好きなのだ。
まだ胸は痛む。
失恋の傷は癒えていない。
でも、忘れなくては。
前に進まなくてはいけない。
ローレル殿下が私を見てくださることはないのだから。
しっかりと現実に向き合わなくてはならないのだ。
「トスカナ公爵令嬢も倒れたと聞いて、メリッサはここに来ようとしていたよ。魔力切れで身体もあまり動かないのに。君を心配していた」
その話を聞いて、納得した。
メリッサ妃の代わりに、ローレル殿下は私に会いに来てくださったのだ。
きっとローレル殿下ご自身は、私に会うつもりはなかったのだろう。
「……お優しいですね、メリッサ妃は」
言葉が自然とこぼれた。
魔法学園在学中のメリッサ妃が脳裏によぎる。
そういう方だった。
「そうなんだよ。メリッサは凄く優しくて、いつも無理をする。心配なんだ」
ローレル殿下の表情が、嬉しそうに蕩ける。
こんなローレル殿下を見る日が来るなんて、思ってもいなかった。
「ローレル殿下」
蕩けているローレル殿下を、お兄様がやや強めの口調で遮った。
きっと私のために気を遣って言ってくれたのだろう。
けれど、不敬だ。
お兄様がこんなことで罰せられてほしくはない。
「メリッサから言われたんだよ。トスカナ公爵令嬢に言わなくてはいけないことがあるのではないか、と」
ローレル殿下は肩を竦めるように言った。
「?」
私は首を傾げた。
メリッサ妃からすれば、私とローレル殿下を会わせたくはないはずだ。
それなのに、メリッサ妃はローレル殿下に、私と会うように言ったの?
何のために?
理由がまったく分からない。
想像すらできなかった。
「申し訳なかった。私はずっと、トスカナ公爵令嬢を利用していた」
ローレル殿下が頭を下げながら言った。
頭を下げられたことに、私は困惑する。
私を利用?
ローレル殿下が?
「……ローズマリーをローレル殿下の婚約者筆頭候補だと、周囲に思わせていたことだろう」
お兄様が説明してくれた。
それよりも、ローレル殿下は私に頭を下げたままだ。
王族に頭を下げさせるわけにはいかない。
「ローレル殿下、どうか頭をお上げください。ご理由があったのでしょう?」
私はローレル殿下に言った。
これまで、ずっとローレル殿下を見てきたのだ。
理由もなくそのようなことをなさる方ではないと、私は知っている。
「私の気持ちを知られるわけにはいかなかった。メリッサと、バウム子爵家に」
「え?」
ローレル殿下の言葉に、私は驚きの声が漏れる。
言われた意味が分からなかったから。
それから、ゆっくりと脳に浸透していくように理解する。
メリッサ妃に気持ちを知られるわけにはいかなかった?
どうして?
お二人は、魔法学園在学中から親しかったのではないの?
確かにお二人が一緒にいるところを見たことはなかったけど。
「メリッサに私の気持ちを知られたら、逃げられるのが分かっていたんだ。王太子妃なんて興味もなかっただろうし。もちろん、私にもね」
「……ローレル殿下に興味がなかったのですか? メリッサ妃が?」
「言っていて悲しくなるけど、メリッサは私に興味を持ち合わせていなかった。だから退路を塞いで結婚したんだ」
「退路を塞ぐ?」
「そう、メリッサに逃げ場がないように。私の父と母、そしてこの国の重鎮たちの前で婚姻証明書にサインさせた。あの時、メリッサには“サインしない”という選択肢はなかった」
「そこまで徹底していたんですか? メリッサ妃が気の毒になってきました……」
お兄様が呆れたように呟いた。
そこまでして、ローレル殿下はメリッサ妃と結婚したかったのだ。
それほどまでに想っていたことに驚く。
空気を読み、常識を持っているメリッサ妃には、その場で婚姻証明書にサインしないという選択肢はなかっただろう。
簡単に想像できてしまう。
「急いだ理由は何だったんですか?」
「メリッサは魔法学園を卒業して、すぐにバウム領へ帰る予定だった。バウム領に逃げ込まれたら、ベイリーフ王家でも迂闊に手出しはできない。その上、いずれ彼女は貴族籍を捨てて平民になる予定だったんだ。急いだ理由は、この二つが大きい」
お兄様の問いに、ローレル殿下は答えた。
「バウム子爵家に打診すれば良かったのではないですか?」
気づいた時には、私が問いかけていた。
不敬かもしれないと思いながらも。
でも、これが定石。
「バウム子爵家は、メリッサを王太子妃にするつもりはなかった。あそこは本人の意思を最大限優先する。権力に屈するなんて、ありえない」
トスカナ公爵家とは、まるで真逆の考え方をする家門のようだ。
「シトラールを味方につけられたのも大きかったよ。でも、いきなり結婚した件については苦言を呈された」
ため息混じりに、ローレル殿下は続けた。
それでも表情は、どこか苦笑している。
「……私がお役に立てたのなら、幸いです」
自然と声が出ていた。
ここまで必死に、ローレル殿下はメリッサ妃を想っていた。
私がローレル殿下に抱いていた想いよりも、ずっと大きく、とても深い。
そう実感したから。
「アレックスも、バウム領特産の薔薇を使ったお茶と菓子を食べていってほしい。メリッサが頑張って用意したんだ。ここへ運ばせるよ」
「……ありがとうございます」
お兄様はローレル殿下に礼を言った。
けれど、内心は複雑そうな表情を浮かべている。
まだ、思うところがあるのだろう。
「トスカナ公爵令嬢。青薔薇のブーケを持って帰ってほしい。これもメリッサが土産として用意したものなんだ」
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
ここまで聞いて、ようやく諦めの気持ちが大きくなっていく。
やっと前に進めそうな気がする。
そう思えた。
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