才媛(ローズマリー・トスカナ視点)
私は目を開いた。
――いつの間に、眠ってしまったのだろう。
ぼんやりとした頭のまま視線を彷徨わせると、見慣れない部屋のベッドに横たわっていることに気がつく。
シンプルだが、隅々まで手入れが行き届いている。
調度品も上質なものばかりだ。
――トスカナ公爵家ではない。
我が家は母――公爵夫人の好みで統一されている。
この部屋とは雰囲気がまるで違う。
「え……ここは……?」
思わず声が漏れた。
「ローズマリー、気がついたか」
すぐに、お兄様――アレックスの声が返ってくる。
安堵したようにため息をつくその姿に、私は戸惑った。
この時間帯にお兄様と顔を合わせることは、ほとんどない。
最近は王城での仕事が忙しく、帰宅も遅いと聞いていたからだ。
窓の外を見る。
太陽はまだ高い位置にあった。
――状況が、分からない。
頭がぼんやりとして、うまく思考がまとまらない。
そして――。
ふと、本日の出来事が脳裏によみがえった。
メリッサ妃のお茶会。
フローラ嬢。
そして――あの暴言。
「ここは王太子宮殿の一室だ。……途中でお前は気を失った。覚えているか?」
お兄様が顔を覗き込みながら尋ねてくる。
――気を、失った?
その言葉で、記憶が一気に繋がった。
「……申し訳、ありません」
私は慌てて上体を起こし、頭を下げる。
なんてことをしてしまったのだろう。
フローラ嬢の件だけでなく、私まで迷惑をかけてしまった。
涙が込み上げる。
――泣くわけにはいかない。
必死に涙をこらえる。
メリッサ妃が、心を尽くして開いた初めてのお茶会だったのに。
脳裏に浮かぶのは、ローレル様のあの冷たい視線。
初めて見た。
――私が、疑われたのかもしれない。
王太子妃の座を逃した私が、嫌がらせをしたのではないかと。
そう思われても仕方がない立場であることは、自分でも分かっている。
私はずっと、ローレル様をお慕いしてきた。
王太子妃になるために、努力を怠ったことはない。
隣に立ちたかった。
そして、必ずローレル殿下の隣に立てると信じていた。
だから――。
選ばれなかったと知った時、私は絶望した。
卒業式の翌日に結婚の報を聞いた時には、取り乱してしまうほどに。
想いを隠すこともしなかった。
周囲も知っていたはずだ。
魔法学園では、私は常にローレル様の近くにいた。
だからこそ、魔法学園を卒業したら婚約へ進むのが当然だと思っていた。
――疑いもしなかった。
自分が王太子妃に選ばれると。
メリッサ妃を、全く恨んでいないとは言えない。
彼女がいなければ、私が王太子妃になっていたはずだと――。
そう思ってしまったこともある。
けれど。
迷惑をかけるつもりなど、本当に一切なかった。
それでも、あの視線を思い出すと――。
信じてもらえないかもしれないという不安が消えない。
あれほど怒りを露わにしたローレル様を、私は初めて見た。
幼い頃からの付き合いだ。
だからこそ、分かってしまう。
――本気で、怒っていた。
フローラ嬢に対して、不安がなかったわけではない。
行儀見習いは、まったく進んでいなかったから。
母も侍女たちも手を焼き、私も頭を悩まていた。
年齢が近い私が相手役となり、会話から始めたが――。
本人に覚える気がない以上、私に出来ることには限界があった。
それでも、引き受けた以上は投げ出せなかった。
そして何より――。
私は失恋から立ち直れていなかった。
少しでも私の気を紛らわせるために、トスカナ公爵家は彼女を受け入れたのだ。
その判断に、私自身の責任もある。
そんな時に届いたのが、メリッサ妃からの招待状だった。
――仲の良い友人もご一緒に。
それがフローラ嬢を指していることは、すぐに分かった。
王家が我が家を注視していることなど、当然だ。
トスカナ公爵家は筆頭公爵家。
私とメリッサ妃の関係を良好に見せたい意図もあったのだろう。
だから私は、一度は断ろうとした。
メリッサ妃に迷惑をかけるわけにはいかない。
けれど――。
返ってきたのは、予想外の言葉だった。
気楽に来てほしい。
マナーは気にしなくていい。
メリッサ妃は王妃教育を受けていないから、むしろ、私を手本にしたい、と。
その言葉に、私は驚いた。
王妃教育を受けていないという事実にも。
けれど。
メリッサ妃の所作が完璧であることを、私は知っている。
魔法学園入学当初から、彼女の振る舞いは完成されていた。
美しく、自然で、隙がない。
――下位貴族とは思えないほどに。
メリッサ妃の母君がサフラン王国の元王女であることを考えれば、納得もできる。
母君から直接、マナーを習ったのだろうと容易に想像出来た。
魔法学園在学中、彼女は常に空気を読み、決して目立たなかった。
だけど、それは――。
「目立たない」のではなく、「目立たないようにしていた」のだと、私は思っている。
メリッサ妃の兄君であるシトラール卿も同じだったから。
メリッサ妃のその立ち回りは、優秀な高位貴族の嫡男に匹敵するほどだった。
それほどまでに完璧だったのだ。
魔力量は少ない。
メリッサ妃の外見を見れば、明らかだった。
黒に近い茶髪に、漆黒の瞳。
魔法学園の最上位クラスに、いるはずのない濃い髪と瞳の色をしていた。
メリッサ妃はクラスでは、とても目立っていた。
なぜ、彼女の魔力量で魔法学園の最上位クラスにいるのかと最初は不思議だった。
授業が始まってから、すぐにメリッサ妃の才能を見せつけられた。
分かる人には分かったはずだ。
メリッサ妃が魔法実技の授業で手を抜いていることを。
魔力量が少ないはずなのに。
それでも、魔法の扱いは一流。
座学も実技も優秀。
最上位クラスにいることが、何よりの証明だった。
――才媛。
その言葉は、彼女のためにあるのだと思った。
私も才媛だと言われてきた。
努力もしているので、当然だとも思った。
でも、現実は残酷だった。
私は才媛なんかじゃない。
私はメリッサ妃の足元にも及ばなかった。
自分を過信してしまっていたのだ。
恥ずかしいと思った。
メリッサ妃に及ばなくても努力は惜しまなかった。
彼女を追い越したかったから。
だからこそ。
彼女が王太子妃に選ばれても、不思議ではなかった。
そして――。
ローレル様が、ずっと彼女を見ていたことも。
私は、知っていたのだ。
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