(回想)踏み込まれた一線(シトラール・バウム視点)
馬車の中は、重苦しい空気に包まれていた。
原因は明白だ。
ローレル殿下の機嫌が、明らかに悪い。
「申し訳ございません」
俺は、とりあえず謝罪した。
理由は分からない。
だが、この空気を放置するのは得策ではない。
波風を立てない。
それがバウム家の在り方だ。
「シトラールは何も悪くない。謝る必要はない」
淡々とした声。
その一言で、少なくとも原因が自分ではないことに安堵する。
同時に名前を呼ばれたことにも驚いた。
魔法学園に入学して気がついたことがあった。
ローレル殿下は親しい人間以外は家名で呼ぶ。
さらに令嬢には徹底している。
感心するくらいに。
トラブルは避けたいのだろう。
だからこそ、俺のことを名前で呼ばれるとは思ってもいなかった。
魔法学園に入学してから、ローレル殿下とまともに言葉を交わしたことはない。
挨拶程度だ。
まともに対面したのは――一度だけ。
魔法学園に入学する前。
もう三年前も前のことだ。
イーズ侯爵家で。
あの時は、最悪だった。
メリッサとベッドの上で揉めていた場面を見られている。
良い印象を持たれているとは思えない。
……それでも。
王族と適度な距離を保てている現状は、悪くない。
嫌われるのは問題だが、近づきすぎる方が危険だ。
我がバウム子爵家の家系魔法に関係する。
バウム家は隠密系の魔法を得意とするからだ。
気配を断つ魔法、そして体術にも精通している者が多い。
俺もその中の一人である。
権力者に目をつけられてはたまらない。
暗殺業務なんて絶対にごめんである。
そして毒耐性も強い。
これはバウム家に後天的に取り入れられた魔法能力てはないかと、俺は考えている。
暗殺者の末路なんて知れている。
最後はトカゲの尻尾切りのように始末されるのが普通だろう。
暗殺者を始末するには毒殺が一番手っ取り早い。
そのためにバウム家は毒耐性に強くなったのではないかと思っている。
俺は次男で、バウム子爵家を継ぐことはない。
だから跡継ぎであるレーモン兄上以外の子供には詳しいことを聞かされることないだろう。
それでも推察することは出来る。
簡単なことだ。
王族と親しくなることを、バウム家は両手を上げて歓迎はしない。
だからといって嫌われるわけにも行かない。
適度に距離を保つ。
それが最善策。
これまでのバウム家当主が対応していた通りにするのが無難である。
王族、しかも王太子殿下に深入りするつもりはない。
「ひとつ、聞いてもいいだろうか」
重たい空気を破るように、ローレル殿下が口を開いた。
視線は窓の外に向けられたままだ。
「俺で答えられることであれば」
そう返しながら、内心で息を詰める。
(……やはり、俺を見たくないのか)
そんな考えが、頭をよぎる。
「メリッサ嬢は……ハーツに恋心を抱いているのか?」
「……は?」
思わず、間抜けな声が出た。
予想外すぎる質問だった。
どうして、そんな話題が上がるのか理解に苦しむ。
「それはないと思います」
即答する。
迷う必要もない。
この件に関しては嘘をつく必要性を感じない。
メリッサがハーツ様に好意を抱くことは、まずありえない。
むしろ逆だ。
そして、ローレル殿下はメリッサのことも名前で呼んだことに違和感を覚えた。
俺の妹の話題だから、メリッサのことを名前を呼んだのか?
ハーツ様はローレル殿下の最側近。
俺とメリッサはそのハーツ様の遠縁だからか。
ハーツ様にとって俺たち仲の良いは友人でもあるからか。
答えは出ない。
情報が少なすぎる。
「先ほど、正門近くで……ハーツとメリッサ嬢が手を取り合っていたと報告があった」
ローレル殿下は、視線を外したまま続ける。
声に抑揚はない。
だが――。
わずかに、ローレル殿下は言葉が詰まった気がした。
俺はすぐに返答できなかった。
理解が追いつかない。
そんな俺に構わず、ローレル殿下は静かに口を開く。
「愛を語り合っていた、という話もあるが……そこまでは分からない」
ローレル殿下の言葉に一瞬思考が止まった。
「……は?」
もう一度、同じ反応が出た。
愛を語り合う?
全く想像がつかない。
「ハーツ様とメリッサが、ですか?」
思わず確認する。
そんな状況、ありえない。
想像さえ出来ない。
「手を取り合っていたのは事実らしい。そう報告を受けた」
淡々とした口調。
ローレル殿下は嘘をついているようには見えない。
だが、その奥にあるものは――。
(……何だ、この違和感は)
なぜ、そんなことを気にするのか分からない。
ハーツ様はローレル殿下の側近だ。
メリッサはただの子爵令嬢。
本来、交わる必要のない関係。
ただイーズ侯爵家とバウム子爵家は遠縁である。
それをローレル殿下はご存知のはず。
俺とメリッサがローレル殿下と初めて会ったのは、イーズ侯爵家だったのだから。
ハーツ様にどういった意図があって引き合わせられたかまでは考えていなかった。
そのことを、今になって後悔する。
きっと意味があったのだ。
自分に苛立つ。
あの時、ハーツ様は何も説明しなかった。
ただ俺が関与してはいけない都合があるのかもしれない。
気を取り直して俺は口を開く。
「我がバウム家は、メリッサがハーツ様の婚約者候補である可能性は考えております」
そう答えながら、内心で付け加える。
(……本人以外は、だが)
家格は釣り合わない。
だが、遠縁であること。
そしてイーズ侯爵家との関係を考えれば、不自然ではない。
実際、俺たちは何度もイーズ侯爵家に招かれている。
それしか理由はないと思っていた。
「バウム子爵家は、メリッサ嬢をハーツに嫁がせるつもりなのか?」
「いいえ」
即答する。
そこに迷いはない。
「我がバウム子爵家は、本人の意思を最優先とします。メリッサが望まぬ婚約を強いることはありません……本人の意思を尊重します。たとえメリッサの添い遂げたいと思う相手が平民であっても、バウム子爵家としては構いません」
貴族としては異例だ。
だが、それがバウム家の在り方である。
例外はない。
「平民……か」
ローレル殿下は、低く呟いた。
(……やはり、異質だと思われるか)
だが、それでいい。
バウム家は、元からそういう家だ。
そして――メリッサは、その中でも異質だ。
枠に収まる存在ではない。
「では」
ローレル殿下が、顔を上げる。
真っ直ぐに、こちらを見た。
緊張が走る。
「メリッサ嬢が了承すれば――王族に嫁ぐことも問題ないのだな?」
「っ!」
息が詰まる。
王族。
未婚の男性。
そして――目の前にいる人物。
(……まさか)
理解が追いつかない。
メリッサは確かに優秀だ。
だが魔力量は圧倒的に少ない。
外見も、王家に並ぶほどではない。
王家に選ばれる理由など――。
「どうなんだ?」
追い打ちのように問われる。
逃げ場はない。
「メリッサが、望むのであれば……バウム家は、反対しません」
それが答えだ。
ローレル殿下は、しばらく何も言わなかった。
ただ――。
わずかに、安堵したように見えた。
馬車に乗った時の重苦しい空気は、すでに消えていた。
気づけば、イーズ侯爵家に到着していた。
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