深夜の密会(レーモン・バウム視点)
もうすぐ日付が変わる時間。
私は王太子宮殿の空中庭園にいた。
少し風が冷たい。
六月に入り、日中の気温は日に日に上がっている。
だけど、この時間になると、まだ肌寒い。
暑がりの私には、とても心地よい気温である。
それにしても、この空中庭園は見事だと思った。
さまざまな種類の薔薇が咲き誇っている。
普通の女性なら、間違いなく気に入るであろう設計だ。
ここは、ローレル殿下がメリッサのために造られた空中庭園だと耳にした。
それをメリッサが知ったところで、『こんな場所に庭園だなんて凄い』と思うだけだろう。
普通の令嬢のように、そこまで感激はしないだろうな。
メリッサは、本来薔薇の花に興味などないのだから。
バウム領でしか育たないはずの青薔薇と緑の薔薇、それに赤い薔薇も植えられている。
土から、バウム領特有の魔力を感じた。
バウム領民に見つからず、バウム領から土を運んでくるなど、大変だったことは間違いない。
しかし、そこまでしてでも、ローレル殿下はメリッサの喜ぶ姿を見たかったのだろう。
メリッサから少しでも好かれるために。
それほどまでに、ローレル殿下はメリッサを喜ばせたかったのだと伝わってくる。
ローレル殿下がメリッサを大切にしてくださっていることは、一目瞭然だった。
婚約もせず、権力を使ってメリッサとの婚姻を強行した。
政略的な理由はない。
ただ、ローレル殿下がメリッサに懸想しているのだ。
最初は、何かの冗談だと思った。
王太子妃にメリッサを選ぶ理由がない。
それでも、ローレル殿下はメリッサを強引に王太子妃にした。
ベイリーフ王家、それにベイリーフ王国の重鎮たちも異を唱えていない。
しかも、宰相閣下に至っては、熱烈に後押しした形跡さえある。
驚くことばかりだ。
今回、王宮に何者かが入り込み、メリッサに危害を加えようとしていると聞き、私も王宮内へ潜入した。
メリッサの命が狙われているかもしれないと言われて、バウム領に留まっているわけにはいかなかった。
リモネンが、バウム領内でも手練れだと推してきた数人も王宮へ入り込ませた。
もちろん、彼らもメリッサのためならと協力してくれた。
以前、何度か王宮内へ忍び込んでいたことが、こんなところで役立つとは。
あの時は、こんなことが起こるなど思ってもいなかった。
ただ単に、バウム子爵家の直系として、隠密系の血統魔法がどれほど有効に機能するのかを確かめるためだけだった。
まさか、役に立つ日が来るとは思わなかった。
そして今回は、ローレル殿下とメリッサが婚姻した理由も、同時に調べることにした。
不可解なことが多すぎると思ったからだ。
メリッサが王太子妃になることに、ベイリーフ王国側のメリットはない。
しがない子爵家の末娘にすぎない。
しかし、群を抜いて優秀なのも事実である。
バウム子爵家としては、必死にメリッサの有能さを隠してきたというのに。
まさか、メリッサと最も長い時間を共に過ごしたシトラールが、ローレル殿下に協力していたとは。
思ってもみない事態だった。
シトラールも、メリッサが有能すぎることを一番間近で見て知っている。
だからこそ、シトラールがローレル殿下側に付くとは思わなかったのだ。
メリッサの有能さが、時には本人を危険に晒すことになると、容易に推測できるほどだった。
シトラールも、そのことはよく分かっているはずだ。
メリッサは間違いなく、ベイリーフ王国建国以来、最高峰の天才である。
……本人には、その自覚が全くないが。
自分が興味を持ったことを、やりたいからやっている。
メリッサにしてみれば、それ以上でもそれ以下でもない。
だからこそ、危うい。
危険度が増すのだ。
ローレル殿下は、間違いなくメリッサに恋慕の情を抱いている。
そのことに驚いた。
王宮で少し情報を集めると、すぐに判明した。
メリッサにかなり執着していることも窺えた。
そして、六年も前から、メリッサはローレル殿下の妃として内々に決定していたようだ。
ローレル殿下自身が、その頃からメリッサを妃にするため、内密に動いていた形跡も見つかった。
当時、十二歳だったローレル殿下が、である。
不可解なことが多すぎる。
その時、夜風とは別に、一瞬だけ異なる風が私の周囲を吹き抜けた。
風には薔薇の香りが乗っている。
それと同時に、人の気配が現れた。
私は気配のした方向へ振り返る。
そこには、ローレル殿下が立っていた。
「初めてお目にかかります。バウム子爵家嫡男のレーモン・バウムと申します」
私はローレル殿下に最大級の礼を執りながら言った。
「ローレル・ベイリーフだ」
ローレル殿下は簡潔に名乗った。
直接お会いするのは、これが初めてだった。
以前、何度か遠目にローレル殿下を見たことがある程度だ。
そして、私はローレル殿下が聡明な人物であることを知っている。
特に今回、改めて調べたことで、ローレル殿下の優秀さには目を見張った。
「私が眠りに就いた瞬間に気配を現すとは、良い性格をしているな」
呆れたようなローレル殿下の言葉に、私は笑い出しそうになるのを堪えた。
そこまで気付くとは、本当に優秀な方だと再認識する。
「義兄上とお呼びした方が?」
ローレル殿下の言葉に、メリッサが婚姻したという事実への複雑な思いに心を支配される。
メリッサが王太子妃となった事実は、どうやっても覆らない。
そして現在、メリッサはローレル殿下のことを完全に身内だと思っている。
この事実も、覆ることはない。
バウム子爵家の人間は、一度相手を身内と認めると、その気持ちを変えることはない。
「……シトラールのことも、そうお呼びになっているのでしたら」
私はローレル殿下に返答した。
「では、公式の場以外では、これまで通りレーモン卿と呼ばせてもらおう」
「御随意に」
公式の場では、私のことを義兄上と呼ぶつもりなのかと驚きながらも、私は答えた。
改めてローレル殿下を見ると、彼がそこまで不機嫌ではないことに気付く。
意趣返しのつもりで、ローレル殿下が寝入った瞬間に、自分の気配を現したというのに。
「レーモン卿が私のことを快く思っていないことも理解している。理由も含め、当然だと思っている」
ローレル殿下は淡々と私に言った。
まるで、私の考えていることなどお見通しだと言わんばかりの口調だった。
私は笑みを返す。
言葉で返事をすることはしない。
「それで、レーモン卿。私を呼び出した理由は?」
「ご報告をと思いまして。フローラ・フラワー嬢の居場所が、全く掴めません」
「レーモン卿が王宮に入り込んで、まだ一日だろう?」
「それでも、です。もっと容易に居場所を見つけられると思っておりました。お恥ずかしいことに、自分の能力を過信しておりました」
私の説明に、ローレル殿下は何も言わない。
期待も落胆もしていない。
これは、ローレル殿下にとっても想定内のことなのだと確信する。
今回の件は、ローレル殿下からベイリーフ王国を通しての直接の依頼だった。
メリッサが関わっている事件である。
バウム子爵家は、まず間違いなく許諾すると予想していたのだろう。
このような不祥事を、ベイリーフ王国はバウム子爵家に隠しておきたかったはずだ。
本来なら、ベイリーフ王家の嫡子であり王太子であるローレル殿下が、容易に処理できる案件である。
ベイリーフ王家の莫大な魔力量と知識があれば、解決できたはずだ。
しかし、白魔法という不確定な要素が加わっていることで、バウム子爵家へ協力を依頼してきた。
最悪の事態を想定しての判断。
私は、適切な判断だったと感心していた。
メリッサを彼になら任せられると、確信してしまうほどに。
「一つ、ご提案がございます」
私は、メリッサのために立てた計画をローレル殿下へ説明した。
大切な妹を守るためなら、私は兄として何でもする。
メリッサが選んだ相手であるローレル殿下を信頼し、計画を立てたのだから。
読んでいただきありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




