隠れ蓑(シトラール・バウム視点)
ローレル殿下は瞬間移動の魔法を使い、メリッサの安否を確認しに行った。
しかし、その原因がレーモン兄上だと分かったため、俺たちは書類仕事を続けていた。
レーモン兄上が俺たちに姿を見せていなければ、完全に非常事態が起こっていると思っていたに違いない。
レーモン兄上がいて、メリッサに何か起こっていたのなら、真っ先に兄上が事を収めているはずだからだ。
何だかんだ言って、レーモン兄上が一番メリッサのことを心配している。
その兄上が笑顔で俺たちに手を振った時点で、何も起きていないという合図だった。
だから、すぐに書類仕事へ戻ることが出来たのだ。
多分、ローレル殿下への意趣返しだとは思うが、人騒がせな人である。
それと同時に、ローレル殿下がメリッサをきちんと守れる方なのかを判断するために、今回のことを行った可能性も高い。
ローレル殿下が執務室へお戻りになったのは、昼頃だった。
書類仕事が終わらない俺たちは、サンドイッチを片手で食べながら仕事を続けていた。
「突然退室して、すまなかった」
ローレル殿下は、俺たちへ向かって言った。
突然、瞬間移動の魔法を使って姿を消した件についてだろう。
そして、俺へと視線を向けられる。
「思っていた以上に、レーモン卿は優秀なようだな」
少し感心したように、ローレル殿下が呟いた。
レーモン兄上がメリッサのために行動を起こしたことへの言及はなかった。
きっと、ローレル殿下もレーモン兄上の実力を認めてくださったのだろう。
現在、王宮で最も警備を強固にしている王太子宮殿に、単独で、しかも悠々と入り込んできたのだから。
「非常識な兄で、申し訳ございません」
俺はローレル殿下に謝罪した。
「優秀なレーモン卿がメリッサを守ってくれるのは、とても有り難い」
真剣な口調で、ローレル殿下が言った。
莫大な魔力量を誇る王族から見ても、兄上は優秀なのだ。
レーモン兄上が優秀なことは知っていたが、そこまでとは俺も思っていなかった。
俺は、レーモン兄上の使う魔法について、半分も知らない。
手札を明かすことを良しとしない人なのだ。
それは、家族に対しても同じだった。
だが、メリッサはレーモン兄上の何気ない行動を見て、『レーモンお兄様は、そういうことも出来るのね』と、感心したように呟くことが何度もあった。
きっと、俺が気づかなかっただけで、レーモン兄上は何か些細な魔法を使っていたのだろう。
最初は、メリッサが何を言っているのかも分からなかった。
そう呟くだけで、メリッサはそれ以上、レーモン兄上のことに言及しなかったからだ。
メリッサには、レーモン兄上が使っていた魔法が何なのか分かっていたのだろう。
時々、レーモン兄上を観察しながら、『なるほど。そういう使い方も出来るのね』などと、独り言を漏らしていたこともあった。
レーモン兄上が自分から言い出さない以上、メリッサも、兄上がどのような魔法を使ったのかを他人に話すことはなかった。
後になって、レーモン兄上が使った魔法をメリッサ自身が実践し、ようやく俺もそのことに気づいたほどだった。
レーモン兄上とメリッサは、頭の構造が似ているのだろう。
外見もよく似ているが。
その上、性格も似ている。
この件に関しては、メリッサは全く納得していないようだが。
俺とリモネン姉上から見れば、あの二人は本当にそっくりな性格をしている。
その認識は一致していた。
レーモン兄上もメリッサも、何を考えているのか分からない。
その上、大切なことほど誰にも相談しない。
危険な魔法実験は、必ず一人で行う。
次に何をしでかすのか、見当もつかない。
とても厄介な性格をしている。
これで似ていないと言い張るのは、完全に無理があると思うのだが、メリッサはそのことに関して一切認めようとしない。
レーモン兄上に似ていると言われることを、とても嫌がっているようだ。
メリッサは、レーモン兄上を変わり者だと思っている。
俺やリモネン姉上からしてみれば、メリッサも十分に変わっているのだが。
レーモン兄上とメリッサの違いは、存在希薄の魔法を普段から使っているか、いないか。
それくらいではないかと思っている。
ただ、メリッサがレーモン兄上をとても信頼しているのも事実だ。
メリッサは、自分が行った魔法改良を全てレーモン兄上へと丸投げしている。
レーモン兄上なら、メリッサの行った魔法改良を完璧に整えてくれると分かっているからだ。
実際に、青薔薇の魔法改良は、レーモン兄上のおかげでバウム領の治安維持にも繋がった。
メリッサが魔法改良したものに、レーモン兄上はさらに改良を重ねることが出来る。
凡人には出来ない所業だ。
そのことをレーモン兄上は明かさず、全てメリッサの功績としている。
しかし、メリッサはその件を嫌がっているので、そのうちレーモン兄上へ何かしらの仕返しをするだろうとは思っている。
俺とリモネン姉上は、巻き込まれないように気をつけている。
だが、当のレーモン兄上は、メリッサからの仕返しを少し楽しみにしている節がある。
レーモン兄上は、本当にメリッサを可愛がっている。
今回も、メリッサに仇を為そうとする者を徹底的に排除するだろう。
やり過ぎないか、多少心配ではある。
これは、リモネン姉上にも言えることだが。
レーモン兄上の影に隠れる形になっているが、リモネン姉上もとても優秀だ。
魔力量が兄弟の中で一番多い俺よりも、である。
俺は無意識に、ため息を吐いていた。
「シトラール、どうかしたのか?」
ハーツ様が、俺を気遣うように尋ねた。
その声音には、心配も込められている。
「……バウム子爵家の中で、俺が一番無能だと実感していました」
躊躇いながらも、俺は正直に答えた。
俺の言葉に、執務室にいた全員が動きを止めた。
書類仕事に戻り、作業を始めていたローレル殿下でさえ、一瞬身体を硬直させていた。
「僕からしてみれば、シトラールも十分に優秀だけどな」
ハーツ様が苦笑を浮かべて言った。
幼い頃から、ハーツ様のことを知っている。
親しい俺にお世辞を言う人ではないので、本心なのは伝わってきた。
「レーモン卿が優秀なのは先ほどの件で実感したが、リモネン嬢も優秀なのか?」
「優秀ですよ。レーモン兄上の影に隠れて、自分の功績を隠すのが上手いんですよね……」
マレイン様の問いに、俺は遠い目をしながら答えた。
リモネン姉上は、レーモン兄上を隠れ蓑にしている。
そしてレーモン兄上は、リモネン姉上の行動を揉み消し、何もなかったかのように誤魔化すのが上手かった。
二人は、とても上手く連携を取っていた。
俺は、さすが双子だと思いながら、あの二人を見ていた。
「リモネン姉上も、自分が目立ちたくないから、目立たないように色々とやっていたみたいですね。ちなみに、メリッサに全てを俺へ押しつけるよう教えたのは、リモネン姉上です。自分がレーモン兄上に押しつけて楽だったから、と……」
「……確かに、魔法学園時代、メリッサはいつもシトラールの影に隠れていたな」
思い出すように、ローレル殿下が呟く。
「俺も目立ちたくなかったので、リモネン姉上に、余計なことをメリッサへ教えないでほしいと苦言を呈しました。そうしたら、『じゃあ、シトラールはハーツ様に押しつければ?』と助言されましたよ」
「だから、シトラールはいつも俺に意見を振っていたのか!」
リモネン姉上に言われたことを思い出し、笑いながら説明すると、ハーツ様から抗議の声が上がる。
「道理で、シトラールから『ねえ、ハーツ様?』と振られることが多いと思っていたんだよ」
「ハーツ様が頼りになるからですよ」
「隠れ蓑としてな!」
ハーツ様も、このことには多少気づいていらっしゃったはずだ。
幼い頃からの付き合いである。
「それにしても、本当に凄いな。バウム子爵家の者たちは」
リンシード様がため息を吐きながら、呆然とした口調で言った。
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