忙しい理由
先ほど伝えたばかりなのに、もうランチの支度が整ったそうで、私はローレル様とともに食堂へ向かった。
どうやら、ローレル様もご一緒にランチを食べるらしい。
私は嬉しいのだけど、お仕事の方は本当に大丈夫なのだろうか。
疑念に満ちた視線を送っていると、ローレル様は苦笑いを浮かべていた。
どうやら、私の考えはお見通しらしい。
「食事を前倒しするだけだから、仕事に影響は出ないよ」
ローレル様の言葉に、私は肩を竦めた。
それなら良いけど、最近シトラールお兄様とハーツ様が少し痩せたように見えたのは、気のせいかな。
王太子の補佐として国政に携わっているのだから、重圧も大きいとは思うけど。
「……お仕事、お忙しそうですね」
私は独り言のように呟いてしまった。
手伝えないもどかしさも、若干ある。
本来なら王太子妃である私にも、何かしらの仕事はあるはずなのに。
今は結婚式の前だから、そちらに集中してほしいと、誰もが口を揃えて言う。
王太子の結婚式なのだから、気合が入るのは分かるけど。
ベイリーフ王国の一大行事であることは理解している。
王太子妃として、ローレル様の足枷にならないようにしなくてはいけない。
私たちの結婚には、政略的なものが一切ない。
その上、恋愛関係でもなければ、友人でもなかった。
魔法学園在学中は、ただのクラスメイト。
知人という言葉が一番近い関係性だった。
魔法学園で三年間同じクラスにいても、挨拶くらいしかしていなかったし。
ローレル様は王族で、私は貧乏子爵家の末娘。
しかも、そう遠くない未来には、私は貴族籍を離脱して平民になる予定だった。
そんな私がローレル様と親しくなるはずはなかったのだ。
それでもローレル様は、最初から私を自分の妃にしようとしていたらしいから驚きだ。
出会いも最悪だったし、ローレル様に見初められるようなことはしていない。
私のどこを気に入ってくださったのか、全く分からない。
魔法学園在学中も、ローレル様に気に入られるようなことをした記憶はなかった。
どうして、ローレル様が私を妃にしようと考えたのかは未だに謎である。
もしかしたら、ベイリーフ王国の謎として歴史に残るかもしれない。
変なことで名前が歴史に残るのは嫌だな…。
でも、そう言えば王妃様も、結婚式前は自分磨きで忙しかったと、遠い目をしながら仰っていた。
その王妃様の表情で大変だったことは何となく察することは出来た。
現国王夫妻は私のように婚約をすっ飛ばして結婚し、そのあとに結婚式を挙げるのではなく、長い婚約期間を経ての結婚式だった。
だから、一日の予定は王太子妃教育と体型管理……もとい、体調管理で埋め尽くされていたらしい。
私はローレル様から、そこまではしなくて良いと言われている。
でも、王太子妃教育って大事じゃない?
本当に何も教わっていないんだけど。
王妃様にも、私に王太子妃教育は必要ないと言われた。
元サフラン王国の王女である母に作法を習っているから、今更必要ないらしい。
……私、お母様に作法やマナーを教えてもらった記憶がないんだけど。
本当に大丈夫?
フローラ・フラワー嬢の件がなければ、ぜひ王太子妃教育を受けさせてほしいと懇願していたのに。
今はそんな状態ではないから、仕方がないのかもしれない。
人生は長いのだから、結婚式後に改めて王太子妃教育を受けさせていただこう。
私はもうローレル様と結婚している。
婚約をすっ飛ばし、婚姻してから三か月後に結婚式を挙げるという、最初から異例づくしなのだ。
王太子妃教育が多少前後してしまっても、今さら驚くような話ではない。
それに、私とローレル様の結婚自体が、バウム子爵家とベイリーフ王家の双方にとっても異例なのだ。
王太子妃教育が多少前後してしまっても、良いと思うことにした。
よく考えてみれば、あと九日で結婚式なのに、この短期間で王太子妃教育が完了するとはとても思えない。
結婚式さえ、何とか取り繕えばどうにかなる。
女は度胸。
何とかしてみせましょう!
ローレル様もいてくださるし、アンジェリカも側にいてくれるらしいし。
心強い。
きっと、何とかなる!
……何とかしなきゃいけないよね。
私は自分に言い聞かせた。
もう、引き返せないところまで来ているのだ。
覚悟を決めるしかない。
王太子妃になる覚悟を。
こんなことになるなら、お母様に礼儀作法をしっかり教えてもらえば良かった。
平民になる予定だったから、まともに教えてもらわなかったことを後悔する。
まさか私が王太子妃になるなんて思ってもいなかったし。
きっと、バウム子爵家の全員もそう思っているはずだ。
「仕事は結婚式のために、かなり前倒しで進めているから大丈夫だよ」
ローレル様が説明してくる。
結婚式のために、前倒しでお仕事をなさっているのか。
一日仕事をしないだけでも大変なんだな。
本当に、私はローレル様のお仕事について何も分かっていないのだと思い知る。
「結婚式の日のためだけじゃないからね?」
物思いにふけっていた私の顔を、ローレル様が少し困ったような表情で覗き込んでくる。
ローレル様の綺麗なお顔にも、少し耐性が出来てきた。
顔をいきなり近づけられても、以前より焦らなくなったと自分に言い聞かせる。
「もちろん、結婚式から一か月ほど休みを取るんだから。メリッサと一緒に過ごすために」
「……え?」
ローレル様の説明に、私は呆けてしまった。
確かに、ベイリーフ王国にそのような風習があることは知っている。
いわゆる蜜月期間なわけで……。
理由は、新婚夫婦がいちゃいちゃするためのお休みである。
そのことに思い当たり、顔が一気に熱くなるのを感じた。
だって、もう婚姻は済んでいる。
だから、そういうことを改めてする必要はないのだと思っていた。
……初夜があることは分かっていたけど。
一か月もローレル様がお休みを取るつもりだなんて、知らなかった。
でも、だからここまでお仕事が忙しいのかと納得もする。
魔法学園を卒業し、仕事量が増えたことは間違いないのだろうけど。
いくらローレル様が優秀でも、仕事の量が多すぎるとは感じていた。
ローレル様の執務室に何度か足を運んだことがあったけど、ローレル様の机には、これでもかというほど書類が山積みにされていたし。
魔法学園を卒業して成人になったとしても、多すぎる仕事量だった。
シトラールお兄様が手伝わなければいけないほど忙しいなんて、おかしいとは思ったんだよね。
一時期、睡眠時間が一時間しかなかったと仰っていましたし。
「夜は、ちゃんと寝ていらっしゃいますか?」
私は気になっていたことを尋ねた。
まさか、今も睡眠時間一時間の生活を続けていらっしゃるわけではないよね?
ローレル様の目には、今は隈がない。
でも、これは魔法で隠そうと思えば隠すことが出来るだろうし。
体調が多少悪くても、私の前では普段通りに過ごされそうだ。
ローレル様は、そういうことを隠すのが得意そうだし。
王族だから、表に出さないように教育を受けているのではないかと思う。
とても心配だ。
結婚してから、ローレル様は無理をするタイプなのだと、最近になって分かってきた。
それだけ、責任感が強いのだろうけど。
きっとそれは、王族として正しい姿なのかもしれない。
国のためを思って働いているのだから。
私の問いに、ローレル様は笑っている。
現在、笑う余裕はあるらしい。
そのことに安堵した。
「メリッサと二人きりで過ごすためだからね。大変だとは思わないよ」
にっこりと笑って、ローレル様が私へと言った。
本当に嬉しそうに。
ローレル様の言葉で、収まりかけていた顔の熱が再び沸騰した。
こういうことを、さらりと言うよね。
ローレル様って。
私をからかっているだけなのか。
それとも、本心からなのか。
ローレル様の言動を推し量れない時も、たまにはある。
だけど、今の言葉は紛れもなく本心からのものだった。
私は赤くなった顔を隠すように、両手で頬を覆う。
でも、言われる私は恥ずかしいのです。
これも、いつか慣れていくのかな。
そんなことを思ってしまっていた。
読んでいただきありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




