マートル・キンバイ(ノビリス・ベイリーフ視点)
「普通じゃないと感じ始めたのは、メリッサが三歳になってすぐくらいかな? 文字の読み書きに興味を持って、必死に魔法書を読もうとしていることに気がついたのは」
クラリスは立ち上がり、室内にあった茶器で紅茶を淹れ直しながら言った。
まるで天気の話をするかのように、とても自然な口調だった。
思わず、クラリスが話している内容を聞き流してしまいそうになる。
「三歳で魔法書?」
私は呆然と聞き返した。
甥のローレルも天才だが、そこまでではなかったと記憶している。
ローレルも幼い頃から十分に異彩を放っていた。
「三つ年上のバウム子爵家の嫡男、レーモンさえ、まだ勉強していないところまで、メリッサは完璧に理解していたのよ。リモネンと私もレーモンと同じように教育を受けていたから、その異様さが私にも分かったくらいだし」
「……レーモン・バウムは、とても優秀だと聞き及んでいるが」
代々、バウム子爵家の人間は優秀だと私の耳にも入ってきている。
あまり政には深入りしないようにしているにも関わらず、だ。
兄上が現バウム子爵のペダニウス卿のことをよく話してくれたからかもしれない。
サフラン王国のソレイユ元王女が、自国を捨ててまでペダニウス卿を追いかけ、妻の座に収まったくらいだ。
ソレイユ元王女は、嫡男と長女の双子の出産時、王宮で暮らしていた。
当時四歳だった私も、ソレイユ元王女のことは覚えている。
当時、王太子妃だったケイジュ義姉上と同様に可愛がって貰っていた。
ソレイユ元王女が王宮に来るまで、王宮内は悲しみに暮れていた。
兄上夫婦の第一子であるローリエ王女が、生後三ヶ月未満で亡くなったからだ。
あまりにも悲しい出来事だった。
それがソレイユ元王女が王宮で暮らし始めたことで一変した。
王宮が活気を取り戻したのだ。
幼かった私は、ソレイユ元王女が魔法で王宮を明るくしたのだと思ってしまったくらいだった。
明らかに王宮の空気が変わったのだ。
「メリッサは純粋に、そして無邪気に魔法を学んでた。それを止めるなんて誰も出来なかった。元々、バウム子爵家は学ぶことを良しとしていたし」
クラリスは新しく淹れた紅茶を私のカップに注ぐ。
その仕草は、王宮の上級侍女にも匹敵すると言っても過言ではなかった。
「五歳になる頃には、子爵家に所蔵している魔法書は読み終えてたよ」
「……確かに、普通ではないな」
私はクラリスに同意する。
バウム子爵家は建国当初から続いている家門だ。
魔法書もそれなりに所蔵しているのは想像に難くない。
「次は領地のインフラに興味を持ち始めたの。水路を作る提案をしたり、風車を作ったり。この頃には魔法改良も出来るようになっていたから、色んなことが実現してしまっていた。バウム領民がメリッサの異様さを理解し始めたのもこの頃だよ」
クラリスの説明を聞きながら、よくもこれまでメリッサ妃を隠していられたものだと感心する。
少なくとも私は、ローレルが結婚するまでメリッサ妃の名前を聞いたことはなかった。
バウム領全体でメリッサ妃を保護していたのだろう。
「レーモンに頼まれたの。魔法学園を卒業するまでで良いから、メリッサを近くで見守ってほしいって」
「……だから、クラリスは年齢を偽ってメリッサ妃の近くにいたのか」
三歳差では、メリッサ妃を近くで見守ることは出来ない。
それで、年齢を二歳偽った。
違和感がないように。
しかし、子どもでは二歳偽ることが限界だった。
本来なら、メリッサ妃と同じ年齢と偽りたかったはずだ。
「メリッサは未だに私のことを一つ年上だと思ってるよ。そういうところは疎いんだよね。基本的に大雑把な性格だから気にしないの」
クラリスは大きくため息を吐いた。
「なるほど。だから私が書いた『青薔薇の賢妃』の台本を読んで笑い転げていたのか……」
私は台本を読んでいた時のクラリスを思い出しながら言った。
彼女はメリッサ妃を知っていたから、私が書いた『青薔薇の賢妃』を喜劇のように捉えたのだ。
自分では力作だっただけに、クラリスに大笑いされて落ち込んだのだが。
かなりシリアスなストーリー展開にしたことを、少し後悔する。
私自身がメリッサ妃のことを知らなかった。
否、間接的には知っていた。
小説家『エリッサ・バウム』は、私が尊敬する作家の一人だ。
当時、まだ魔法学園に通っている貴族令嬢が書いた小説とは、とても思えなかった。
まさか作者が年下だなんて思いもしなかったので驚いた衝撃は今でも忘れられない。
私はエリッサ・バウムが書いた小説は全て、とても綿密なストーリー構成で、登場人物の心の機微も細やかに描かれていた。
だから、勝手にメリッサ妃像が私の中で出来上がってしまっていたのだ。
とても落ち着きのある、理知的で繊細なご令嬢だと思い込んでいたのである。
ちなみに私は、エリッサ・バウムの小説を全て読破している。
そう言えば、最初にエリッサ・バウムの小説を知ったのはローレルの執務室だったことを思い出す。
歴史書や経済書で埋め尽くされていた書棚に、小説と絵本があったことに驚いて、エリッサ・バウムを知ったのだった。
ローレルはメリッサ妃が小説と絵本を書いていることを知っていた。
やはり、最初からローレルの妃に内定していたのはメリッサ妃だったのだと結論付けた。
「魔法改良だけではなく、魔法開発もメリッサはしているの」
「っ!」
クラリスの言葉に私は息を呑んだ。
そんな馬鹿な。
魔法開発なんて、簡単に出来るものではない。
どんなに優秀な研究者が何十年もかけても、魔法開発が出来るとは限らないのだから。
しかし、メリッサ妃は今まで誰も成し得なかった青薔薇の魔法改良に成功している。
しかも、魔法学園に入学する前に。
そして魔法学園在学中に、食べられる緑の薔薇と赤い薔薇の魔法改良も成している。
有り得ないとは言い切れないほどの才能を持っている。
「さすがにバウム子爵家も危機感を覚えて、メリッサが好きな小説を書くことへと、意図的に興味を逸らしたのよ」
「それは……メリッサ妃が幾つの頃の話だ?」
「十歳くらいかな? メリッサは、もともと物語を考えることは好きで、領民の子どもに即興で話を作って聞かせたりしてたしね」
きっと、それがメリー・バウム名義で原案を務めている絵本の数々なのだろう。
しかし、メリッサ妃の小説は素晴らしい。
天職なのではないかと思えるほどに。
「十二歳の時に、イーズ侯爵家で王太子とメリッサは顔合わせをしたみたい」
クラリスの言葉に私は驚いて顔を上げた。
だが、確かにローレルの妃が内定したと聞いたのはその頃だった。
「……クラリスはどこから、その情報を得たんだ?」
私は疑問を投げかけた。
王弟である私でさえ、ローレルの結婚相手を知らなかった。
王宮の秘匿情報のはずだ。
「先日、シトラールをぶっ飛ばした時に聞き出したのよ。でも顔合わせの時、シトラールも一緒にいたそうだけど、王太子にメリッサを会わせるのが目的だったことは知らなかったんだって」
「……バウム子爵家の次男とは、余程親しいようだな」
気がついた時には、声に出してしまっていた。
これでは、嫉妬しているのがクラリスに知られてしまう。
「そりゃ、幼馴染だからね。同い年ってことになってるし。あとシトラールに剣術と体術の基礎を教えたのは私だしね」
クラリスは平然と答えた。
私の気持ちに気がついているのか、いないのか分からない。
少なくとも、クラリスの表情や態度からは読み取れなかった。
しかし、聡い彼女のことだから、私の気持ちには気づいているだろう。
その上で何も言ってこない。
私のことを異性として見ていないのか。
それとも、私が王族だから距離を取っているのか。
「それよりも、ノビリス様!」
クラリスが突然ソファーから立ち上がった。
なんだか、怒っているようだ。
「私のドレスを見て、何か言うことないの?」
淡い赤紫の上品なドレスに、パープルサファイアのアクセサリーを身につけている。
美しい。
この一点に尽きる。
「ノビリス様の色で統一してるんだけど?」
クラリスの言葉の意味を理解した私は、顔が赤くなるのを止められなかった。
王子宮殿にクラリスを連れてきた。
しかも、彼女は私の色を全身に纏っている。
「そのドレス、どうしたんだい?」
しかし、ひとつの疑問が浮かぶ。
クラリスが着ているドレスは、高位貴族が着るような上等なものだ。
駆け出しの女優であるクラリスでは、手が出ない品物である。
「聞くところは、そこ? まぁ、いいけど……」
少し疲れたようにクラリスは呟く。
「イーズ侯爵家のヴィオレ様を脅迫して……弱みを握って譲っていただいたの」
「……」
建前と本音の本音しか言えていない。
彼女らしくはあるけど。
しかし、侯爵令嬢にそんなことをして大丈夫なのだろうか。
心配になる。
「このドレスを譲ってくれるかわりに、私はバウム領には帰らない。今、私がバウム領に戻ったらヴィオレ様が困ることになるの」
クラリスが何を言っているのか分からず、私は首を傾げた。
「私が今、バウム領に戻ったら、レーモンと結婚させられる確率が高いから」
それは、私にとっても避けたい未来だ。
クラリスが誰かのものになるなんて許せそうにない。
私の心は広くない。
「だけど、それがどうしてヴィオレ嬢が困ることになるんだい?」
「ヴィオレ様ってば、レーモンのことが好きなのよ。だから私の存在が邪魔なわけ。レーモンはバウム領に有益な女性なら誰でも良いってスタンスだしね」
それが事実なら、ヴィオレ嬢にとってクラリスは厄介な存在になる。
優秀なクラリスなら、立派な子爵家夫人が務まるのだ。
想像するだけで、私の胸の痛みは増していく。
「レーモンの妻になるなんて絶対に嫌だし。それだったらノビリス様の愛人になる方が、よっぽどマシよ」
「私の……愛人? 恋人ではなくて?」
「私はどちらでも良いけど? 私の女優人生はノビリス様にかかってるの! たくさん素敵な作品の脚本を書いて、それに私を出演させてね。マートルさん」
クラリスは可愛くウィンクしながら、私へと言い放った。
彼女は劇作家としての私に希望を持っているのだ。
クラリスに頼られているのは嬉しい。
今はこの関係で我慢するしかない。
劇作家のマートル・キンバイではなく、私自身に興味を持ってもらえるように。
まだ猶予が少しある。
その間に、クラリスに認めてもらえるようにならなくては。
クラリスの異性として。
唯一無二の男になれるように、努力するしかないのだから。
読んでいただきありがとうございます。少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。




