クラリス・イジー(ノビリス・ベイリーフ視点)
「寿命が十年は縮んだ……」
私の本来の住まいである王子宮殿のサロンで、侍女がお茶を淹れ終え、退室したと同時にクラリスは言った。
声には疲れが滲んでいる。
その上、ぐったりと椅子に倒れるように座っていた。
ローレルとのやり取りは、クラリスにとって疲れることだったのだろう。
私も内心ヒヤヒヤしながら、二人のやり取りを見ていたのが正直なところだった。
これが、私の本来知っているクラリスの姿ではある。
先ほどまでの凛とした姿はどこにもない。
まるで、幻でも観ていたのではないかとさえ思えてくる。
それほどまでに、別人だった。
さすが女優。
しかし、それだけでは片付けられない何かを、クラリスは持っている気がした。
「……疲れているけど、私のことで聞きたいことがあるなら聞いていいよー」
普段と同じ口調でクラリスは言った。
確かに疲れた表情をしているが、私に向かって苦笑も浮かべている。
私がこの部屋に入ってから、ずっとクラリスに視線を向けているからだろう。
クラリスは私に隠す気はないようだ。
王城の中心部にある王子宮殿に、私が連れてきたからだろう。
本来なら、一介の女優が王子宮殿に入ることさえ出来ない。
それは、準男爵の娘という肩書を持っていても変わらない事実である。
「……私はクラリスのことを本当に知らないな、と思っていたよ」
出会って一年以上が経過している。
それでも、私は彼女が新鋭の若手女優であることしか知らない。
私の言葉を聞いて、クラリスはイタズラっ子のように笑った。
バウム子爵家の家令の娘であること。
そして、魔法学園を卒業していること。
他にもたくさん私が知らないことがあることは簡単に推測できた。
それを意図的に私に隠していたのかも分からない。
本当に知らないことばかりだ。
好意を持っている女性のことを何も知らないなんて、とても滑稽に感じた。
私が一方的に懸想しているだけだから、仕方がないのかもしれないが。
思わず自嘲してしまった。
「そんな顔は似合いませんよ、ノビリス殿下」
クラリスは私に向かって言った。
先ほどとは違い、敬語を使ったクラリスに内心傷ついてしまう。
敬語を使われると、彼女から距離を取られているようで嫌だった。
「いつも通りの喋り方でよいよ。私と二人の時は」
「呼び名は? マートルさん? それともノビリス様?」
「ノビリスの方が嬉しいかな」
私は即座に返答する。
名前を呼ばれた時、心臓が震えた。
歓喜したのが自分でも分かった。
初めて、クラリスから本当の名前を呼ばれたからだろう。
殿下と呼称されないだけでも嬉しかったりする。
正直に言えば、呼び捨てで名前を呼んでほしい。
だが、その境界線を賢いクラリスは越えてこないことは分かっていた。
「ノビリス様、本当にあの王太子殿下と血の繋がりがあるの?」
クラリスは私の気持ちなんて関係なく、結構失礼なことを聞いてくる。
まぁ、彼女らしいといえばそれまでだが。
「昔はもう少し可愛げがあったんだけどな」
私はローレルの幼い頃を思い出しながら答えた。
「メリッサは大丈夫なの?」
クラリスの言葉に私は驚く。
彼女は今、当然のようにメリッサ妃のことを呼び捨てにしたからだ。
クラリスがバウム子爵家の家令の娘であるとはいえ、メリッサ妃が主家の娘。
……たとえ末娘であっても、現在は王太子妃である事実は変わらない。
その上で呼び捨てにしているとは。
余程、親しい関係だったのだと窺える。
そして、現在は危険であると知った上で、クラリスは私に付き添う形で王宮へ来た。
王立歌劇場での主演を一ヶ月後に控え、多忙にも関わらずに。
「……もしかして、私に近づいたのもメリッサ妃のためだったりするのかい?」
ふと疑問に思ったことを尋ねた。
「メリッサがマートル・キンバイに興味を持っているのは本当。でも、私も女優として生計を立てると決めたから、私自身がマートル・キンバイに売り込みをかけたのよ。まさか、王弟だとは思わなかったけど」
クラリスは赤裸々に答えた。
しかも笑顔で。
私は、優秀な女優の原石としてクラリスに目をかけた。
しかし、いつの間にか私は、女性としての彼女に惹かれてしまっていた。
後戻り出来ないほどに。
「クラリスは、よく私が王弟だと分かったね」
ずっと聞いてみたかったことを、私はクラリスに尋ねた。
彼女だけだったのだ。
私の正体に気がついたのは。
「生まれながらに学んできた作法が、無意識に出てたよ。とても平民とは思えなかった。私の主家の子爵夫人はサフラン王国の元王女だしね。近いものを感じただけ」
躊躇いなくクラリスは返答した。
先ほど侍女が淹れたお茶を飲みながら。
「それだけで?」
「私もバウム領の出身だから、とても慎重なんだよね。軽く調べたら、直ぐに王弟だと分かったよ」
彼女の説明を聞きながら、私もお茶を一口飲んだ。
そんな簡単にはマートル・キンバイが王弟であると分からないように、何重にもフェイクを入れている。
それを簡単に紐解くとは、私が思っていた以上にクラリスは優秀なのだろう。
しかし、本来、家令の娘なら主家の侍女になるケースが多い。
しかもクラリスは魔法学園にも通っている。
魔法学園の学費は、そう安いものではない。
主家の援助があったはずだ。
それなのに恩を仇で返すようなことをするなんて、クラリスらしくない。
「ああ……魔法学園の学費のこと?」
クラリスが私の顔を見て聞いてきた。
そんなに顔に出ていただろうか。
これでも私は王族なので、表情から感情を読み取られるようなことはないはずなのに。
「バウム領は、魔法学園に行きたい人は行かせてくれるの。それがバウム子爵家の方針だから、バウム領民の半数近くは魔法学園に通うのよ。珍しいでしょ?」
「バウム子爵家が学費を出すのか?」
「学費どころか生活費まで出してくれるよ。返済もしなくても良いし。変わっているでしょ?」
私はクラリスの説明に驚愕した。
確かに私が魔法学園に通っていた時も、バウム領の平民は多かったと記憶している。
しかも優秀な者が多かった。
ベイリーフ王国の中でバウム領が一番識字率が高いことにも関係あるかもしれない。
しかし、魔法学園を卒業しても王宮に勤める者は皆無である。
そのことは不思議だった。
王宮の文官試験さえ受けないのは異様に見えた。
「ノビリス様、私の年齢は知ってる?」
いきなり、クラリスは口を開いた。
「十九歳だろう?」
「ぶっぶー、違います。本当は二十一なの」
「……は?」
クラリスの、数少ない知っていると思っていた年齢さえも違ったのか。
「年齢を女優がサバを読むなんて、珍しくないでしょ?」
「……確かに、そうだが」
おちゃらけたような笑みを浮かべていたクラリスの表情が曇った。
「六歳の頃から二つサバを読んでたんだ。子どもだと、それが限界だった」
「なぜ子どもの頃から年齢を偽っていたんだ?」
私はクラリスに疑問を投げかけた。
子どもの頃から年齢を偽るなど、そんな話を今まで聞いたことはない。
何か理由があってのことだと推察できる。
「私はバウム子爵家のレーモンとリモネンと同じ年で、仲もよかった。六歳までは。シトラールも、私のことをお姉ちゃんと呼んでいた時期もあったんだよ。でも、メリッサが三歳になる頃には状況が変わった」
「……メリッサ妃?」
「今じゃ王太子妃殿下だもんね、メリッサ。シトラールのバカ野郎が王太子に協力したと知った時は、一発殴ってやったけど」
クラリスの説明を聞きながら、もう一口お茶を飲んだ。
主家の、しかも次男に向かって馬鹿野郎とは……まぁ、クラリスは普段からこんな言葉遣いだけど。
しかも、殴ったとは。
クラリスはその件で、バウム子爵家から縁を切られてしまったのだろうか。
「メリッサは幼い頃から普通じゃなかった。明らかに常軌を逸していたんだ」
クラリスの声には悲しみが滲んでいた。
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